長年連れ添ってきた僕の山の相棒、ジムニー君とも昨日でいよいよお別れの日であった。
これまで山行といえばジムニーが相棒で、かれこれ20年近くジムニーを4台乗り継いできた。

◆1代目:SJ30
会社の先輩からSJ30(2スト)を10万円で譲ってもらう。
ビキニトップ&ホロ、窓は差込式。フロントウィンドウはボンネット側にばたんと倒れるMT車で
あった。速度は出なかったが、超軽い車体と、ポロポロと成るストサウンドで、夏の夜
ビキニトップで走るのは気持ちが良かった。

◆2代目:JA11
ジムニー初のAT車が発売され新車を購入。シートはバケットシートでタイトであった。
この頃はまだサスは板バネだったのではねるはねる。林道を少し速度を上げて走ると天井に頭を当てるぐらいであった。
それでもオートマになり100km/h走行ができるようになったので、高速を使ってよく信州に出かけた。
この頃は高速道路の割引もなく、お金も無かったので山の帰りは随分下道を走って帰ってきたりた。
若くて体力があったからいけたのかも。
15万キロ走ったところで、エンジンからオイルを吹いたりして買い換えることにしたが、ネットオークションに出したら
25万円でもらわれていったのにはびっくり。

◆3代目:JB23
フルモデルチェンジしたドクロ顔の中古ジムニー(2000年型)をネット販売で70万程度で購入。
サスペンションがそれまでの板バネからコイルスプリングに変わり、乗り心地は抜群によくなった。 これで遠方の山に行くことが
苦で無くなった。現地に着くとフロントの椅子を倒しフルフラットにし、二人で車中泊も良くした。
この狭いジムニーで二人が車中泊しているのはかなりレアなペアだったかも。平成20年春、富士山に山スキーに行く途中スバルラインで
鹿と衝突して、バンパーを破損。走行には支障なかったが、それをきっかけに手放す事に。
フロントマスクはどくろ顔といわれるこの初代JB23が一番かわいいと思う。

◆4台目:JB23
またもやJB23のジムニーを新車で購入。色や装備は少し違えど基本構造、デザインを10年以上フルモデルチェンジしないこの車は
すごいと思う。青が綺麗な車で、この車でも遠征を続けるが、年とともに仕事が忙しくなり限られた時間でジムニーで遠征し、
帰って来ることがだんだんと苦痛になってきた。自分の歳と山スキーの荷物や車中泊のことも考えついにジムニーとおさらばすることにした。

こうして、僕の青春と共にあった、最後のジムニーが引き取られて行くのを 昨日は少し感傷的に成りながらお見送り。

これからは新しい相棒、エクストレイル君との山行が始まる。
これまで山行といえばジムニーが相棒で、かれこれ20年近くジムニーを4台乗り継いできた。

◆1代目:SJ30
会社の先輩からSJ30(2スト)を10万円で譲ってもらう。
ビキニトップ&ホロ、窓は差込式。フロントウィンドウはボンネット側にばたんと倒れるMT車で
あった。速度は出なかったが、超軽い車体と、ポロポロと成るストサウンドで、夏の夜
ビキニトップで走るのは気持ちが良かった。

◆2代目:JA11
ジムニー初のAT車が発売され新車を購入。シートはバケットシートでタイトであった。
この頃はまだサスは板バネだったのではねるはねる。林道を少し速度を上げて走ると天井に頭を当てるぐらいであった。
それでもオートマになり100km/h走行ができるようになったので、高速を使ってよく信州に出かけた。
この頃は高速道路の割引もなく、お金も無かったので山の帰りは随分下道を走って帰ってきたりた。
若くて体力があったからいけたのかも。
15万キロ走ったところで、エンジンからオイルを吹いたりして買い換えることにしたが、ネットオークションに出したら
25万円でもらわれていったのにはびっくり。

◆3代目:JB23
フルモデルチェンジしたドクロ顔の中古ジムニー(2000年型)をネット販売で70万程度で購入。
サスペンションがそれまでの板バネからコイルスプリングに変わり、乗り心地は抜群によくなった。 これで遠方の山に行くことが
苦で無くなった。現地に着くとフロントの椅子を倒しフルフラットにし、二人で車中泊も良くした。
この狭いジムニーで二人が車中泊しているのはかなりレアなペアだったかも。平成20年春、富士山に山スキーに行く途中スバルラインで
鹿と衝突して、バンパーを破損。走行には支障なかったが、それをきっかけに手放す事に。
フロントマスクはどくろ顔といわれるこの初代JB23が一番かわいいと思う。

◆4台目:JB23
またもやJB23のジムニーを新車で購入。色や装備は少し違えど基本構造、デザインを10年以上フルモデルチェンジしないこの車は
すごいと思う。青が綺麗な車で、この車でも遠征を続けるが、年とともに仕事が忙しくなり限られた時間でジムニーで遠征し、
帰って来ることがだんだんと苦痛になってきた。自分の歳と山スキーの荷物や車中泊のことも考えついにジムニーとおさらばすることにした。

こうして、僕の青春と共にあった、最後のジムニーが引き取られて行くのを 昨日は少し感傷的に成りながらお見送り。

これからは新しい相棒、エクストレイル君との山行が始まる。