塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

本職で勝負して批判されるならば

2016-07-30 00:54:43 | 日記
 本職のポジションで批判されることと、頭数を合わせるために指名されたポジションで批判されることは、まったく異なりますよね。

 僕はこれまで、幾度となく他の部署の欠員補助に駆り出されてきましたが、その手伝った部署の方が僕の仕事を応援してくれた、心からありがとう、と語ってくれたことは一度もない。

 そう感じています。

 僕がほしいのは、言葉でも手伝いでもなく、敬意の問題であり、コンバートや穴埋めはサッカーでも、選手の評判に直結しますからね。

 オシムの後を継ぐ形で発足した第2次岡田体制で、今でも納得できないのは、何時の試合だったか、本職が右のフルバックである加地亮を、左のフルバックで起用したことです。

 特にカード累積や体調不良の選手が存在した、という形では無かったはずです。

 つまりファンからすれば

 「彼が左で起用される意味がわからない」
 「これは戦術の幅を広げるためのものなのか」

 と、訝しがるものだったのです。

 皮肉にも、彼は以後、完全に日本代表から遠ざかりますが、もしこれが監督の最後通告だったとすれば、やはりフェアではないでしょう。

 自分の本職の場に、素晴らしい若手が出現した
 自分が代表とクラブを掛け持ちできない

 という、明確な理由で代表選考から外れるのであれば、それは感情的になりませんよね。

 しかし、明らかに不明瞭な形で批判、叱責されては、選手はたまったものではありません。

 五輪のように少数精鋭で戦う場合、複数のポジションで活躍できる選手は魅力ですが、言い換えれば器用貧乏に結び付く可能性もあるわけですから。
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専門誌の休刊を改めて思う

2016-07-29 00:15:11 | 日記
 僕は昨日知ったのですが、日本文化出版が手掛けるNBA専門誌「フープ」が休刊するのですね。

 ジョーダンとブルズ、そしてアイバーソンやブライアントなど、多くの有名選手が来日したころは、専門誌だけでなくナンバーやスポーツ・ヤアなど、多くの媒体がNBAを特集していたものです。

 ちなみにベースボール・マガジンも「サッカー・マガジンゾーン・ウエブ」から、月間ではありますが再度

 「サッカー・マガジン」

 として刊行を開始しました。

 そんなに紙で作られた本と雑誌はつまらないのかなあ、本屋に行くことは面倒で、買った本を届けてほしいのかと思うのですが、これが時代の流れと言えばそれまでです。

 日本サッカーもさまざまな問題がありますが、少なくとも

 「日本代表と五輪代表」
 「Jリーグと海外移籍」

 という両輪は維持できていると思います。

 これがどちらかが傾いてしまうと、より書籍としての維持は難しくなるのは間違いありません。

 速報性という観点、本棚が不要で扱いが簡単という電子書籍(僕は一度も入手したことがないのですが)は、それだけ魅力なのでしょう。

 でも、本屋に行くのも楽しいと思いますよ。

 一方でフットボール批評が問題提起している

 「インタビュー記事のねつ造」
 「若年層を指揮する人材の確保」

 など、記者やコーチング・スクールを見直す、という作業もひつようなのでしょうが。
 
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レトロという商売とデザイン・ソース

2016-07-29 00:05:05 | 日記
 某携帯会社が1980年代のディスコを舞台にしたテレビCMを放送し、大きな反響があります。

 簡単に言えばレトロ、ということなのでしょうが、サッカーでも以前からこのレトロは商売になっています。

 最近ですとニューバランスが、サポートするセルティック、リバプールのジャージを、過去のチケット・デザインから配色とデザインに求めているように、過去に回帰することは必然なのかもしれません。

 ミズノも同様で以前に

 「スーパースター」

 を復活させましたが、今回はさらに1980年代の靴にデザインしていた「Ⅿ印」の靴を復刻し、大変評判が良いとのこと。

 アシックスがアシックス・タイガーを発売しているように、自社の原点回帰という動きは、今後もビジネスの主流になる気がします。

 仮にアシックスが2018年のロシア大会に日本代表が出場した場合

 「初出場から20周年」
 「当時のデザインを復刻したシャツを発売」

 というようなことが起きる、かもしれません。

 過去、アディダスがフランス代表に、1998年ワールドカップ優勝時のデザインでジャージを提供したことがありますが、これはアディダスが契約下にあったからこそできたことでした。

 アシックスが当時そのままでジャージを復刻できないわけですが、そのエッセンスを取り入れることはできると思います。

 2016年の今の風俗が、20年後は

 「あの時こんなことが流行だった」

 と思われるわけですが、果たしてその時、サッカーはどうなっているでしょうか。

 
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女性を助けるという仕草について

2016-07-28 19:42:31 | 日記
 マクドナルドでハンバーガーを頬張っていると、お子さんふたりを連れた母親が、注文をしながらその動向を注意していました。

 「ママ、トイレどこ?」
 「そっちにあるから行っておいで」
 「ええ、どこなの?」

 と困っていたので、僕が立ち上がって案内をするも、勘違いして女子トイレに入ってしまいました。

 「面倒かけてすいません」

 とお母さんが僕に頭を下げましたが、女性の自立だとか、働く母親を助ける、というのは賃金と待遇の改善だけではなく、僕のように一言声をかけるだけも良いのでは?と考えました。

 別にええ格好をするためにしたのではなく、僕が案内をすれば店も助かると考えただけなのですが。

 マックのような限られた店内では、怪しい人物がいれば周囲もすぐにわかりますし、誘拐などまず置きませんから、お母さんもその点は心配なかったと思いますよ。

 例えば南長野のような大きなスタジアムで子連れで観戦する場合は、迷子、怪我の他にも誘拐や熱中症だと、両親が考えることは山のようにあります。

 特に、見知らぬ人間が善意で協力しようとしても、このご時世ですから

 「結構です」
 
 と拒否されるかもしれません。

 しかし、スタッフとボランティアの数にも限度がありますし、お隣に観戦している方が子連れならば、すこし心を大きく持って接した方が良いようにも思います。

 昔のような助け合いは難しいですが、少しの気持ちがゆとりにつながりますからね。
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マクドナルドで考えた世界の食文化

2016-07-28 19:35:53 | 日記
 五輪が近いから、というわけでもないのですが、久しぶりにマクドナルドでハンバーガーを頬張りました。

 マクドナルドの日本支社の業績はまだまだ芳しくないようですが、世界中のマクドナルドから見ると、その品質ともてなしは最高級とのこと。

 嘘か誠かわかりませんが

 「俺の国でチーズバーガーを頼んでも、肝心のチーズが挟まっていない」

 事が多々あるそうですが、本当でしょうか?

 日本代表がリオ五輪でどのような食事を得るかはわかりませんが、マクドナルドのように

 「全世界で同じ基準の食材を用いる」
 「どこで食べても同じ味」

 というのは、海外遠征の多い選手たちには、凄くありがたいのではないでしょうか?

 アジアで最も海外進出を果たしているのは中国華僑のせいか、日本人が海外に行くと大抵中国人と間違えられます。

 しかし、中華料理は世界中で高品質である事もまた事実です。

 例えばイタリアはパスタの国ですが、スペインやポルトガルで口にするパスタは、完全にイタリアとはかけ離れた湯で加減で調理されており、美食で有名なフランスも、パスタの味は今一つ、と聞きます。

 まさかイタリア代表が海外に出ないのは

 「ワインとパスタとチーズはイタリアが最高」

 と考えているためではないでしょうが、やはり食文化は大切ですよね。

 今インドネシア代表はタイ代表が日本でプレイしています。

 一口に米といっても、東南アジアと日本では粘り気が違いますし、風味も異なります。

 サッカー以外の適応は、僕らが思うほど簡単でないのは確かです。
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