goo blog サービス終了のお知らせ 

塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ワールドカップで汚名を返上する大切さ

2013-08-19 00:18:41 | 日記
 ポルトガル語では「ジョギ・ボニート」

 日本語では美しい攻撃サッカー。

 メキシコで見る者全てを魅了し、その後の価値観を植え付けた1970年のセレソン以降、ブラジル国民だけでなく世界中の
ファンが上記の言葉を発してきました。

 攻撃か実利主義か。

 その狭間で揺れ動き続けたのは1994年までの24年間で、その間にはクライフ率いるオランダに完全に嘲笑された197
4年大会もありました。

 この考えは固定観念ではなく、もはや偏見のような代物でこの縛りが歴代の代表監督の首を絞めてきたように感じます。

 90年はラザロニの思惑である3-5-2が思うようにいかず、ドゥンガひとりがその敗戦を背負う形になりましたが、少な
くともロマーリオとベベト、そしてドゥンガはアメリカの地で

 「汚名返上」

 に成功します。

 出場機会はありませんでしたがミューレルもそうですね。

 ならばフェリペ・メロがブラジルの地で汚名返上は可能でしょうか?

 フェリポンも実利主義を唱える指揮官でり、メロのように荒っぽい選手でも招集される可能性がないわけではありませんが、
彼があれだけオランダに敗れた際に罵倒されたのは、ドゥンガの面影があったためでしょうか。

 2010年の招集選手で14年も出場が可能なのは、GKのジュリオ・セザル程度でしょうが、中盤の底には現在の主力である
ルイス・グスタボとパウリーニョで構成されるでしょう。

 70年はクロドアウド
 94年はマウロ・シルバ
 02年はクレベルソン

 優勝したその時代には、必ずセントラル・ミッドフィルダーに優れた人材がおり、その一方で味方を攻撃に専念させる重鎮も
控えていました。

 ジウベルト・シルバがそうですし、メロもその任務は「ほぼ」遂行できていましたが。

 ガラタサライではユヴェントス時代よりも重用されているようですから、このまま彼が汚名を背負ったまま生きてゆくのは、
どこか不憫な気もしますが、フェリポンの視線にトルコの地は含まれているのでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高校野球からサッカーが学べる点 | トップ | 裏方さん、ボランティアの皆... »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日記」カテゴリの最新記事