塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

上に立つ人間に必要な言葉がけを考える

2013-12-07 00:03:27 | 日記
 選手にとって

 「監督に直談判する時」

 ほど、日々の練習で緊張する瞬間は無いと思います。

 特に東アジアで顕著ですが、目上の人間に対して質問する、疑問点をぶつけることはどこか不躾という印象が強いですし、
欧州でも直談判したところで状況は変わらない例は幾らでもあります。

 最近テレビで日本の部活動の内容が流れることが多いですが、顧問やコーチの言動には本当に驚かされます。

 「バカ!そうじゃないだろう」
 「何度いったらわかるんだ。」
 「やる気なくした。もう練習お終い!」

 テレビはフィルムを編集して放送しますから、映像だけを鵜呑みにするのは危険でしょう。

 それでも批判、罵詈雑言のオンパレードで、彼らは生徒たちの人生、ご両親が与えてきた教育、全てを侮辱し脅している
ようにしか見えません。

 僕は怒鳴る、怒るような事を基本しませんが、それは僕が怒られる側でいる方が圧倒的で、
 
 1・夜眠れない時がある
 2・いつも激怒している人間の視線を気にして、思うような動きが出来ない
 3・萎縮している時分がいる

 事を痛いほど痛感している為です。

 僕が罵ったせいでその方の寝つきが悪くなる。

 こんな事はあって良いはずありません。

 鬼平犯科帳が今でも読まれているのは、鬼と畏怖されている平蔵様が、同心たちが耳にした他愛もない、事件に繋がりそ
うにはならないことでも

 「よく言ってくれたね。」
 「おお、気にせず言っておくれ」

 と笑顔で労いながら聴く耳を持っている為です。

 勿論これは池波先生の創作で、実際の事柄ではないですが上に立つ側が報告する側に

 「怒られる」

 という悲観を持たせることほど意味は無いと思うのです。

 
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