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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

先天的に何かを持つことの意義

2021-07-11 17:50:42 | 日記
 僕はオペラに精通していませんし、当然鑑賞経験もありません。

 それでもプッチーニ、ヴェルディ、そしてモーツアルトが素晴らしい演目を書き記したこと、ドイツとイタリア、そしてフランスで現在でも盛んであること、くらいの予備知識はあります。

 そのヴェルディですが、彼は貧困家庭に誕生し、両親を含む血縁者に音楽に精通している人物はおろか、正式な教育を受けた事すら皆なかったといいます。

 (参考資料 角川文庫 中野京子著 怖い絵 死と乙女編97ページ)

 レオ・メッシは案外、子のヴェルディと似ている気がします。

 彼の代理人は実父であるホルヘ・メッシですが、彼がサッカーがずば抜けてうまかったという言う話は聞いたことがありませんし、それは母方をさかのぼっても同様と思われます。

 メッシがバルセロナの居住を移したのは

 1・彼が身長が伸びない、ホルモンのバランスを欠いていたことが明らかとなる
 2・メッシが先天的に途轍もない才能を保持しているとバルセロナが見抜き、治療費とホルヘの職業を保証
 3・そして移籍せず、バルセロナに在籍し続ている

 というわけです。

 ヴェルディもかつては片田舎で生活していたものの、自身が持つ先天的な才能と共に生き抜いてきたことと、僕は酷似しているように思うのです。

 それはキング・ペレもそうでしょうし、今もってバスケットボール史上最高の選手として讃えられるマイケル・ジョーダンも同様です。

 F1ならばアイルトン・セナにミハエル・シューマッハ、デニスならばロジャー・フェデラーやジョン・マッケンローなども、両親や祖父母は平凡な家庭に誕生したのではないでしょうか。

 先天的に「何か」を持つのは彼らだけでなく、僕たちも同様と思いたいですね。
 
 だからこそ皆、自分に「適性」のある職業を求めて、転籍や転職を繰り返すのではないでしょうか。

 どうせやるなら、自分と波長の合う仕事でお金が欲しいと思うのは当然ですから。
 
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