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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

大袈裟が嫌いという感覚

2015-10-06 00:04:37 | 日記
 僕は大袈裟が嫌いです。

 誰かがミスをしたとしても大騒ぎしませんし、何より騒がなくとも解決できることは幾らでもあります。

 周囲で大騒ぎになっても、簡単に解決すること、ありますよね。

 それは僕がミスをすると、糾弾する人間が多い事も関係していると自分では感じます。

 イタリア、ブラジル、スペインではクラブが2連敗でもしようものなら

 「自分の足下が揺らいでいると感じますか?」
 「お辞めになってはいかがかしら」

 と指揮官をメディアが指摘するそうです。

 彼の国に比べればフランスは保守的であり、ル・キップにしてフランス・フットボールにしても、そんな簡単に代表監督をけなすことは市内と言います。

 僕は
 
 「監督は一人、メディアは大多数」
 「この多勢に無勢の中で、言論という暴力を指揮官は振るわれているのではないか」

 と感じる時があります。

 ル・キップが代表監督、今はデシャンですが批判を開始するまでに観察するのは、1998年ワールドカップにあります。

 批判し続けてきたエメ・ジャッケが世界一の指揮官となり、ル・キップは批判態度を改め彼に謝罪をします。

 でも代表監督として我慢し続けてきたジャッケがこれを認めず、その12年後、レイモン・ドメネクの手腕、選手選考に大きな口出しを出来なかった、という悔いに繋がります。

 誇張や派手な目出し、人権侵害は当然論外です。

 このような

 「大袈裟」

 を排除し、冷静に状況を把握し記事を書く事は、当然日本でも求められる要素ですが。

 
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