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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が思う、サッカーにおける風景が他競技と違う理由

2017-07-07 00:40:16 | 日記
 野球やバスケットなど、他の競技愛好家の方からすれば

 「どうしてサッカーファンは、移動用のバスを囲んだり選手を吊し上げるの?」
 「どうしてサッカーでは、そんな簡単に監督が交代できるの?」
 「どうしてサッカーでは、ファンが石や卵を投げるの?」

 と思っているでしょうね。

 今、レッズがフロンターレに敗れていこう、監督交代か続投か、という議論にまで発展していますが、フロントは監督交代という意思はない模様です。

 僕はこれまで、サッカーで頻繁に監督交代が起きる理由、ファンが選手バスを囲んで動かないようにする行動を

 「結果が好転するように見えないから」
 「このままいけば残留できるはずがない」

 という焦りからくるものと考えていました。

 一方でサッカー好きは基本、クラブと代表の両方に関心があることが普通ですが、

 「代表サッカーよりもクラブサッカー」
 「ワールドカップには出場してほしいが、自分のクラブから選手が招集されて怪我をするのは嫌だ」

 というように、俺のクラブに情熱を注ぐ方もいます。

 彼らはきっと、敗戦が込む、勝ち点3は得たが内容はっぱり、という形に我慢ができないのでしょうね。

 言い換えますと

 「俺が情熱を注ぐクラブが喘いでいるのは、監督と選手が集中していないから」
 「フロントの動きが怠慢だから」

 と感じる、その為に一言言いたいことができる、という心理状態を推測します。

 僕個人は試合会場で罵声を浴びせるほうではありませんが、間違いないのは勝負事は勝って初めて意味を持つ、という点ですね。
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