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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

母の定年と選手の引退

2014-03-27 23:36:12 | 日記
 昨日、僕の母が定年を迎えました。

 任期はあと1カ月残っていますが、有給休暇を完全消費することで給料に変換するとのことで、息子の僕が言うのも何ですが様々なパートに就いてきて、その状況に飛び込んできた母は凄いと思います。

 昨日、同僚の方が送別会を開いてくれましたが、何と後4回も食事会が企画されているとのことで、母な皆から慕われていたのだと、つくづく痛感しました。

 今、スポーツナビで大野美夏氏による

 「リバウド引退」

 の記事を目にしたばかりですが、彼の静かな幕引きは派手な事を嫌い、真摯にボールを向かい合ってきたリバウドの面影が存分に反映されていると思えたのです。

 全ての選手に引退はあります。

 しかし、誰もが目に見える形でその経歴に拍手を贈られる形ではありません。

 例えば日本ならカズに遠藤、イタリアならピルロのように代表でもクラブでも大きな功績を遺した選手ならば、メディアもファンも大きな形で取り上げるのは間違いありません。

 一方で洋お東西問わず、毎年膨大な

 「名もなき選手達」

 がスパイクを脱ぎます。

 そんな彼らにメディアが拍手を贈るわけではありませんし、所属クラブも手厚い保護をしたわけでもないわけです。

 それでも彼らに声援をおくり続けたファン、ご両親は妻など周囲の人間に肩を叩かれ、ねぎらいの言葉をかけてもらえたならば、素晴らしい選手生活だったと思えるようにも感じます。

 中には病気や怪我というアクシデント、日本で言えば財前や小倉のように、自分でもこんなに振り回される競技生活になるとは思えなかった選手もいますね。

 でも、そんな彼らに少しでも暖かい眼差しを向けられる、そんなリーグがJであってほしいとも思うのです。
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