goo blog サービス終了のお知らせ 

塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

野趣という趣

2021-01-02 19:53:25 | 日記
 昨年、レナウンが倒産しましたが、老舗のダーバンとアクアスキュータムの事業は継続します。

 そのダーバンが隆盛を誇った1970年代、彼らはテレビ・コマーシャルにアラン・ドロンを起用します。

 フランスを代表する俳優に支払った報酬額は相当だったと思いますが、レナウンにはそれだけの財政基盤だけでなく、自社のスーツに誇りと自信があったに違いありません。

 一方でこのコマーシャルを見た塩野七生は、ドロンの仕草に違和感を覚えたと言います。

 レナウンはこのコマーシャルで彼に優雅な食事作法を担ってもらったのですが、塩野さんによるとどこかドロンのナイフとフォークさばきがひどく不器用に見えたらしいんですね。

 アラン・ドロンの生まれは作法が求められる女流階級ではなく、庶民の出ということで、いざフォークとナイフを持たされて優雅に食事を、と指示されても根幹が無いのです。

 サッカーでいえば、反則内容や根本的な技術などの下地がないまま、本能でプレイしている感じでしょうか。

 ドロンの持つある種の下卑た姿、そして野趣な雰囲気。

 このオーラがきっと、あのルキノ・ヴィスコンティを虜にしたのでしょう。

 この野趣という雰囲気は、CR7も同様ではないでしょうか。

 ある種の唯我独尊的な存在意義ではなく、自分の鍛え上げた身体を強調する服装や、宙を舞うゴール・パフォーマンスは、僕の勝手な想像ですが、彼が上流階級であれば行わない仕草だと思います。

 2007年のバロンドール受賞カカのポーズは、自分を支えてくれている「神」への敬意でしたし、カカがロナウドのように自分こと唯一無二というような発言はしていなかった。

 そんな気がします。

 これらはあくまで僕の主観にすぎませんが、その野心があるからこそロナウドが今でも最前線で活躍する存在であることも確かですよね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドラマとサッカーにおける映... | トップ | アディダス、エックスゴース... »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日記」カテゴリの最新記事