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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

集英社文庫「対岸のヴェネツイア」より

2022-02-11 21:02:27 | 日記
 集英社文庫「対岸のヴェネツイア」を読むと、クロノスのジャージ、会長のザンパリーニと名波浩を思い出します。

 名波が移籍した19990-2000シーズンは、現在のように日本代表選手たちが欧州各国に点在しているわけではなく、中田英寿の存在だけが突出していました。

 彼が在籍するペルージャとの一戦では、日本から多くのマスメディアが殺到したわけですが、既に彼らの構図は

 「中田英寿対名波浩」

 という、まるでレスリング化柔道のような個人競技のような形で、サッカーが集団競技ではないような扱いだったことは、本当に奇妙でした。

 それだけ日本サッカーが本場から見れば「遅れている」証でもありました。

 ちなみにゼニト・サンクトベテルブルクという海外リーグ、そしてASローマ、インテルミラノ、そしてナポリとセリエAを渡り歩くルチアーノ・スパレッティが、この名波在籍時のヴェネツイアを率いていたことを覚えている方は、さほど多くないかもしれません。

 彼は就任、解任、再就任、また解任とオーナーのザンパリーニの短気さに振り回された格好で、駆け出しのスパレッテからすれば全く落ち着かないクラブだったに違いありません。

 ザンパリーニはのちにパレルモのオーナーとなり

 ファブリツイオ・ミッコリ イタリア代表 のちにユヴェントス
 ハビエル・パストーレ アルゼンチン代表 のちにパリ・サンジェルマン

 という代表選手たちを高値で売却するなど、辣腕を見せましたし2006年イタリア代表としてワールドカップ優勝を果たすルカ・トニも、パレルモで汗を流した時期があったものです。

 ただ、彼の短気はここでも変わらず、多くの指揮官が回顧通行を受けます。

 名波と中田の対戦は日本のマスメディアが溢れかえりました、案外欧州の記者もその点では同じ面はあります。

 2003年のFIFAコンフェデレージョンス・カップ、ジーコが日本代表監督とそて開催国フランスに渡り、ミッシェル・プラティニに挨拶すると、記者たちは二人が並んだ写真を撮りたいと要望を出します。

 「私は観光できたのではない」
 「日本代表監督という責任ある立場でやってきたんだ」

 と温厚なジーコが激怒するほどで、マスメディアの身勝手さが露呈されたわけですが。
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