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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

Jリーグ、現行制度はいかに

2023-06-04 20:06:27 | 日記
 AC長野パルセイロと松本山雅は、いずれも現行の春開幕、秋閉幕のシーズンの維持を希望しています。


 これは本日の信濃毎日新聞によるもので、AC長野パルセイロ・レディースの田代久美子監督も、秋開幕、春閉幕という現行のWEリーグと照らし合わせ、冬場の難しさを語っています。


 野々村チェアマンは長らく北海道コンサドーレ札幌の経営者でしたから、反対意見の方が根強いことを重々承知してこの案件を議題にのせいていますよね。


 また日本の文化と風習の中に

 
 欧州と北米の新学期は9月だが、日本は4月である
 日本の雪は重く、欧州のようにさらさらしていない
 梅雨、台風、積雪など四季のある日本では、どの季節にも災害が起こりやすい


 と言う側面もあります。


 難しいのは現行のAFCチャンピオンズ・リーグが日程変更を決断しましたが、この余波はあくまで


 Jリーグから参戦するクラブだけ
 多くのクラブはチャンピオンズ・リーグではなく、リーグ戦が命である


 と言う点です。


 つまり少数派を網羅することは大切ですが、多数派のクラブにとっては日程変更は単純に「不利益」であることです。


 採用するのは2026年からであり、この年予選を突破していれば日本代表がワールドカップを戦います。


 FIFAもワールドカップとクラブ・ワールドカップの参加国とクラブをどんどん拡大し、金儲けしか眼中にないであろう制作方針を決めています。


 そのために今から動く必要があると、チェアマンは考慮しているのdしょうが、恐らく現行制度の維持を希望するクラブが過半数を占めるのではないか、と予想します。
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移籍して喜ばれる選手たち

2023-06-04 16:23:13 | 日記
 インテル・ミラノで過ごした2シーズン。デニス・ベルカンプは全く価値がなかったと批判されながら、アーセナルに移籍します。


 このオランダ代表と2トップを組んだのは、ウルグアイ代表のルベン・ソサでしたが、ふたりの呼吸とピッチ上での相性もさほどではありませんでした。


 しかしベルカンプは本来の姿をアーセナルで披露し、ハイバリーのファンから大きな敬意を集めます。


 ですからベルカンプ以上に批判され、ファンに悪い印象だけをを残して去るエディン・アザールも、当然移籍債で汚名返上を行える可能性はあります。


 本来ならばレアル・マドリード在籍中に、汚名返上を果たすべきだったとは思いますが、彼は常に怪我をしている形でしたし、チェルシー時代とは全く異なる姿でしたしね。


 話題だけでいえば、彼を買獲得することは意味があります。


 ただ日本のように欧州リーグほど年月は経過していませんが、実直に学んできたリーグからすれば


 1・目先のビッグネームは必要ない
 2・しっかりと練習に送れずにやってこれるのか
 3・お金を払う前にしっっかりと調査する


 ことが根付いていますから、よほどの新興リーグ、例えばインドのような国でなければ、レアル・マドリード時代の周囲に与えたマイナスの印象はぬぐえないでしょう。


 それは日本代表選手たちもそうで、移籍しても前のクラブの印象が良ければよいほど、地名すればファンが「勝手に」失望します。


 ただASモナコと南野拓美の事例というわけでなく、移籍初年度からスムーズに物事が進むと思わない方が得策でしょうし、当然彼に来季は大きな挽回の機会があると思います。


 アザールもそうですが、勝負の時は近いですよ。
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欧州クラブ、続々と退団選手が明らかに

2023-06-04 15:57:51 | 日記
 レアル・マドリードからはベルギー代表のエディン・アザル
 パリ・サンジェルマンからはスペイン代表のセルヒオ・ラモスとアルゼンチン代表のレオ・メッシ


 の退団が発表されました。


 特にアザールは


 「彼は何のために移籍してきたんだ」
 「全然体調が整わないよ」
 「そもそも太り過ぎだ」


 と大きな批判を浴び続けてきましたが、心情はどうだったのでしょうか。


 批判が当てはまる綿もあったでしょうし、偏見だった面もあるでしょう。


 ただ彼がチェルシー時代と同様の日々を過ごせなかった事だけは確かで、むしろ移籍はもっと早くてもよかったのではと、多くの方が考えると思います。


 その3選手を獲得するには


 1・高額年俸の準備
 2・年齢による怪我のリスク
 3・獲得してもベンチや途中交代が難しい


 と言う面があります。


 僕たちが日々の生活でも「先人の知恵」を継承、もちろん現在ではまやかしや、効力が実は全くなしと言う面もありますが、そのような銭湯で食生活と健康を死守してきた面があります。


 彼らのように場数を踏み、優勝争いを幾度となく経験してきた選手が、新しい契約先が見つからなければそれは寂しいと思うのです。


 ただ、パリ・サンジェルマンの事例をみてもわかるように、優勝経験者を加入刺せてもその遺跡自体が


 UEFAtチャンピオンズ・リーグ優勝の保証ではない
 むしろわがままな県も目立つ


 と言う点は考えられます宇。


 シーズン半ばでサウジアラビアで渡ったとされるメッシ
 怪我が多く体調維持が出来なかったセルヒオ・ラモス


 はそうかもしれません。


 新天地は3選手共にサウジアラブアの可能性おありますが、そこには先輩として振る舞うロナウドがおり、移籍する選手の顔ぶれがファンを期待させます。
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セルティック、国内3冠を達成し今季を終える

2023-06-04 15:43:35 | 日記
 スコットランドでは2部のインバネスに勝利したセルティック・グラスゴーがスコティッシュFA杯を獲得、国内3冠を達成しました。


 世の中には「終わりの始まり」と言う表現があります。


 この優勝が軸となり、2023-24シーズンのセルティックは


 1・アンジェ・ポステコグルーに替わる指揮官を探すこと
 2・彼が移籍を強く求めるであろう古橋享吾に替わるセンター・フォワード


 を最重要課題とするのでしょう。


 それは両者がプレミア・リーグのスパーズに移籍することが決定済みと囁かれるためです。


 仮に古橋享吾はスパーズに移籍すれば


 1・アーセナルに在籍する富安健洋と共に、ノースロンドン・ダービーを戦う
 2・韓国代表のソン・フンミンと共に、アジアの選手が攻撃を活性化
 3.古橋は移籍する可能性の高い、ハリー・ケインの後任になる


 と言う形で話題だけでいえば相当大きな部類になると感じます。


 セルティックにはアンジェ・ポステコグルーの希望で獲得した日本代表選手が多々存在し、旗手も移籍先がスパーズと言うことはあると思います。


 仮にポステコグルーが移籍となれば、彼の重用した選手が後任指揮官からすると面倒な存在となり、Jリーグやkリーグに復帰、もしくは国内移籍ということもあるでしょう。


 ただ、それ以上に落胆しているのは日本サッカー協会かもしれません。


 識者の間では2019年に横浜Fマリノスで優勝した際、彼を日本代表監督に推挙すべきだという考えがありました。


 それだけ横浜のリズミカルなサッカーは見栄えはあったわけであり、ポステコグルーに声をかけるべきだったと思う方はそれなりにいるのではないでしょうか。


 スパーズで指揮を執った彼が日本代表監督に「仮」になれば


 1・最終予選で良く戦うオーストラリア代表の攻略
 2・古橋を最大限活用する戦術


 と言う面で興味深いと言えますしね。
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2002年、レアルとジダンとチャンピオンズリーグの顛末

2023-06-04 15:22:11 | 日記
 一週間後、UEFAチャンピオンズ・リーグ決勝が行われます。


 チャンピオンズ・カップの時代からリーグの時代を含め、決勝戦において最高に美しいと讃えられるのが、2002年のレアル・マドリードとジネディーヌ・ジダンのボレーシュートです。


 実はこのシュート、3つの意味で大きかったんですね。


 この2002年、レアル・マドリードは国内リーグと国王杯を含む3冠を目標にしていましたが、それはクラブ創立100周年のためでした。


 しかし優勝の可能は最後、チャンピオンズ・リーグだけとなり、この年補強の目玉であったジダンが大仕事を成し遂げたのです。


 ジダンは1995-96シーズン、ユヴェントス移籍前のボルドーにおいてUEFA杯で「準」優勝を得ます。


 そして移籍したユヴェントスではスクデットは獲得するも、チャンピオンんず・リーグも「準」優勝で終了し、ファンから「黒猫」と批判されます。


 つまり2002年の優勝は


 1・クラブの栄光に華を添える
 2・ジダン初のチャンピオンズ・リーグ優勝


 だったんですよ。


 そして対戦相手のバイエル・レバークーゼンは、レアル・マドリードとは異なり最後の最後磨で3冠の可能性がありならが、最終的には無冠で終わるという逆の形で記憶に残ります。


 指揮官のクラウス・トップメラー
 ドイツ代表のミハエル・バラックとトルコ代表のバシュツトゥルク


 彼らにとって欧州制覇にもっとも近づいた瞬間でした。


 そしてジダンは指揮官としてレアルに戻り、3連覇を果たし「黒猫」のあだ名を払拭します。


 2002年は名手が「新¥」の盟主になった記念の年でもあるのです。


 皮肉にもここからレアルはチャンピオンズ・リーグと縁がとおくなってしまいますがね。
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