塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

大津祐樹、ケレメを履く

2022-01-20 21:40:54 | 日記
 ジュビロ磐田に在籍する大津祐樹は、2022シーズン「ケレメ」と契約したことを明らかにしています。

 (専門サイト コーヘイズブログを参照)

 ケレメはザスパクサツ群馬、グルージャ盛岡、ふたつのJ2クラブを支援し日本でもフットサル市場をけん引しています。

 一方でスパイク契約は、この大津祐樹が最初ではないでしょうか。

 ケレメは過去、以前お伝えしたように

 チリ代表 イバン・サモラーノ
 ブラジル代表 べベト
 1992年バルセロナ五輪男子代表

 とサポートしてきました。

 サモラーノはレアル・マドリード、ベベトはディポルティポ・ラ・コルーニャと契約していた時期がありましたたから、ケレメとしてのオファーを出しやすかったのでしょう。

 大津祐樹の契約が今後の日本市場を担う上で大きくなりそうな気配があります。

 2021年は柿谷曜一朗がコンケーブを履くという興味深い事例もありましたし、必ずしもナイキやアディダスという大手、アシックスとミズノという国産ブランドだけがスパイクではない、という当たり前の形が露見された気がします。

 ちなみに大津の履くスパイク「ミッチェル」の希望小売価格は12100円ということで、自分でスパイクを買わざるを得ないJ3やJFL、地域リーグの選手たちからすれば、魅力的な存在かもしれません。

 今は大手に限らず、新商品と新配色が投入される頻度が相当早いですから、人気商品も比較的早い段階で店舗がセールに回すことも多くなりました。

 ニューバランスなら4-4-2
 アンブロならばアクセレレイター

 がそのようですが、今後のスパイク市場の中でケレメが案外、注目のブランド、一足になれば興味深いと言えます。
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僕の上司はクロップのような存在でした

2022-01-20 21:24:23 | 日記
 僕が今の勤務先で一番最初に仕えた上司は、まるでユルゲン・クロップのような方でした。

 その人間性もさることながら、やる事成す事が全て理にかなっており、僕に業務依頼する際も

 どうして今、この仕事が必要なのか
 その依頼をどうして僕に頼んだのか

 を懇切、丁寧に指示したものです。

 辞令が出て転勤する際、僕の部署だけでなく他部署からも「お別れ会」に参加する方が多く、それだけ人望と仕事ぶりが目に付いた方でしたが、それでも彼のマネージメントに不満を漏らし、最後まで意見はかみ合わない人物もいましたが。

 逆に言えばサッカーだろうが僕たち一般社会だろうが

 完璧なマネージメントなどない
 反りがあわない人間がいることは当然である
 だからこそ、人間社会もクラブも成立する

 と思うべきなのでしょう。

 ユルゲン・クロップのように、感情を隠すことのない指揮官、ゲーゲン・プレッシング(英国ではカウンター・プレスと呼びますね)という明確な意図を持つ存在であっても、最後は選手とどうしても意見が紙わないこともあるのでしょうね。

 もしかしますとそれはGKのカリウスかもしれませんし、モハメド・サラーやファビーニョのような主力の中にも存在するかもしれません。

 ただ、最後成績面で全責任を負うのは指揮官です。

 だからこそクロップに限らず指揮官たちは、自分の脳裏に描く戦術を選手たちに説明し、実行できない、レッドカードをもらいやすいなどの選手を移籍させ、もしくは交代選手として先発はさせないという措置を取るわけです。

 ちなみにウルグアイ代表のルイス・スアレスは、スティーブン・ジェラード政権発足後のアストン・ビラに加入するのではないか、と囁かれています。

 既にフェリペ・コウチーニョの加入が決定しており、リバプールのファンは改めて彼の人徳を目の当たりにしています。
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ビッグネームが外れた際の衝撃

2022-01-20 21:12:17 | 日記
 1993年のJリーグ開幕当時、名古屋グランパスエイトが獲得したギャリー・リネカーは、まさしく日本サッカーが世界に衝撃を与えた存在でした。

 グランパスエイトが彼の古巣、トテナム・スパーズに支払った金額は、9億円と聞き来ましたが1990年代前半の金額としては非常に大きいですよね。

 ただリネカーの来日には、戦力としてもありますが同時にコマーシャル的の意味合いもあったでしょうし、リネカー側にも重病を患う息子さんに良い医療を与えたい、という思惑もあり、選手とクラブの思惑が合致した移籍例と言えます。

 1994年には、駆け出しのリネカーがお世話になった指揮官、ゴードン・ミルンを招くなど怪我も多く、同時に高温多湿の名古屋の気候と風土に苦しめられた彼を、クラブは何とか立て直そうとしましたが、うまくはいきませんでした。

 リネカーは1986年ワールドカップ得点王ですが、1990年ワールドカップ得点王のサルバトーレ・スキラッチも当時はジュビロ磐田に在籍しており、彼は面目躍如でしたね。

 2010年ワールドカップMVPのディエゴ・フォルランも、セレッソ大阪で思うようにいきませんでしたが、ここにJクラブのジレンマがあります。

 ヴィッセル神戸とアンドレス・イニエスタのように、ビッグネームの獲得は刺激に満ちており、リーグ全体に大きな波及効果がある
 イニエスタは存在そのものが大きく、他のクラブにも大きな影響が与えている
 しかし、ビッグネーム獲得は、必ずしも実りはもたらさない
 従ってそうでないときの現場はひどく混乱する

 という長所も短所もありますから。

 浦和レッドダイヤモンズがキャスパー・ユンカーとアレクサンデル・ショルツという、二人のデンマーク代表を加入させた2021年の活躍は記憶に新しいですよね。

 外国籍選手を獲得する際は、ビッグネームかそれともビッグネームではないが、代表歴があり実力も申し分ない選手にするか、それとももっと若い選手にするか、今後はJクラブも様々な観点化kら獲得を決めていくと感じます。
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