塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

駆け出しのころのスパイク契約

2022-01-19 22:09:17 | 日記
 ナンバー979号30ページでは、FCバルセロナ在籍時の久保建英の姿が確認できます。

 彼は現在アディダス契約選手ですが、2011年の久保建英はミズノのウエーブ・イグニタスの青を履いています。

 シントトロイデンに移籍が決定した香川真司。

 彼も在籍するセレッソ大阪つながりだったのか、デビュー当時はミズノのモレリア2を愛用していました(当時セレッソはプーマではなくミズノがスポンサー)が、もし両選手と変わらずミズノが契約していたならば、アディダス・ジャパンのファンプロモーションは、大きく変化したことでしょう。

 ナイキ、フィラ、そして引退後のチャリティではアディダスを履く中田英寿。

 彼はアトランタ五輪アジア最終予選ではアシックスを愛用しており、アシックスがここで彼に良い契約を打診していれば、と何となく思いますね。

 ただ、当時の五輪代表の中軸は、誰がどう考えても主将である前園真聖であり、中田はこの段階ではまだ助演男優でした。

 香川真司もセレッソ大阪在籍時を考慮すれば

 2011年と12年、ボルシア・ドルトムントにリーグ優勝
 途中離脱するも、2011年アジア杯優勝

 という結果を得られる、と考える関係者は多くなかったはずです。

 つまり、用具を提供する側からすれば

 今の好調を逃さないべきか
 彼、彼女たちが今後、どのような進路を歩むだろうか

 という2つの出来事を、常に考慮して動かねばならないという、難しさがありますよね。

 ちなみにミズノはセルヒオ・ラモスとの正式契約のアナウンスがありません。

 このままラモスが勝手にミズノを愛用し続けるのか定かではありませんが、そこにはきっと彼の今後を見据えての判断があるのでしょう。
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皆さんは最近、公衆電話を使いましたか

2022-01-19 22:00:16 | 日記
 今の若い方は公衆電話の使い方を含めて、存在そのものをしらないのではないでしょうか。

 僕は念のため、テレホンカードを財布に所持していますが、テレホンカードを見たことがない世代がどんどんと育っています。

 ただ、映画の小道具として公衆電話は最適としてみる監督もあるでしょうし、今DVDで「冷静と情熱の間 青」を視聴しましたが、主人公であるジュンセイの元交際相手、あおいが電話ボックスの中で泣き崩れる場面は、スマートフォン全盛期の現在では、撮影不可能な代物でした。

 サッカー代理人も、複数の携帯電話を所持し、顧客(選手)にとって良い契約を結ぶため、常に走り回っているのでしょう。

 それも公衆電話から折り畳み式携帯電話、折り畳み式携帯電話からスマートフォン、そしてスマートフォンから折り畳み式スマートフォン、というように、交渉相手であるGMや選手と蜜に連絡が可能な、最先端の技術があればこその話です。

 サッカーボールやサッカースパイク、そしてジャージの機能は選手に直結します。

 一方で最先端技術は代理人の仕事に直結しているわけです。

 一方で移籍証明書は現剤でもファックスが主流のようですが、この案件もいずれば電子メールに変化してゆくのでしょう。

 僕の勤務先では

 誤った番号でファックス送信が行われ、一般家庭に届いた事例がある
 常に番号を確認するように

 という指示がありましたが、意外にデリケートなのがファックス送信です。

 ファックス送信も移籍市場が閉まるギリギリで行われることもありますし、そこにはクラブの利益(契約解除金)と、選手の未来がかかっていますから、送信には緊張しますよね。

 日本代表選手がどんどんと海外に渡る中、改めて海を渡る事の意義が問われ始めていますが。
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佐藤優の著書「勉強法」より

2022-01-19 15:12:01 | 日記
 佐藤優は角川新書「勉強法」の27ページにおいて

 「もし二つの国の間で歴史がまったく一緒になったら、それは二つの国ではなく一つの国として統合しているということになる」
 「歴史が一緒になるというのは、そういうことです」

 と伝えています。

 これは韓国と中国、そして日本が常に大東亜共栄圏や韓国併合、南京大虐殺という一連の戦争問題で揺れていることに関し、客観視するという事は歴史がわかっていない証拠なんですよと訴え、その背景につて説明している箇所です。

 サッカーも同じですよね。

 ワールドカップ2014,ブラジル代表はドイツ代表にあろうことか、1-7で敗れ「ミネイロの悲劇」と呼ばれる屈辱を味わいます。

 ドイツ側からすればブラジル代表、同時にホスト国を倒したことが大きな刺激になって優勝できた、という観点は成立しますよね。

 一方のブラジル代表からすれば

 1・仮にネイマールとチアゴ・シウヴァが参戦していれば、結果は異なっただろうか
 2・マノ・メネゼス解任の際、指揮官をフェリポンではなく、挙手したグアルディオラに任せていたならばどうなっただろうか
 3・フェリポンが選んだ23名は、その出来栄えはどうなのか

 という観点があると思います。

 佐藤さんのおっしゃるように、客観視すればするほど、その「溝」は深くなる一方といえますよね。

 ただ、ブラジル代表は前年のFIFAコンフェデレーションズ・カップで優勝していますし、1年前の戦力分析では一応の形は決まっているわけです。

 それは2017年、やはりコンフェデレーションズ。・カップで優勝したが、2018年の本番では最低最悪に終わったドイツ代表とヨヒアム・レーブも同じでした。

 サッカーにおける歴史にある種の偶然は重なる事がありますが、だからと言ってその敗北が消せるわけではない、この点も覚えておくべき事柄です。
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AC長野パルセイロ、今季もペナルティが支援する

2022-01-19 14:58:48 | 日記
 AC長野パルセイロは、2022シーズンもペナルティの支援を受けます。

 ペナルティは株式会社ウイン・スポーツが手掛けており、湘南ベルマーレ、アスルクラロ沼津、AC長野パルセイロと契約する各クラブ担当責任者がおり、イベントや新ジャージのデザイン決定、新グッズの販売訴求などを手掛けているのでしょう。

 逆に言いますと、ペナルティは

 万年J3のAC長野パルセイロ
 J3の門番が定位置

 と、ファンがクラブを揶揄することで何とか自尊心を保つ現状に対して

 クラブと長野市、ファンに対してポテンシャルがあると信じでいる、感じている
 だからこそスポンサーを続けたい、一緒にJ2へ行きたいと思う

 と考えていただいているのでしょうか。

 胸スポンサーのホクトも同様ですが、信じてくれている存在があることは本当にありがたい出来事ですし、クラブも選手もその点は身に染みて感じるべきでしょうね。

 それはファンも同じですが。

 もしAC長野パルセイロ・レディースが、Xガールと契約していなければ、今季も男女ともにペナルティがサポートしていた形になります。

 ペナルティと聞いて思うことは

 キング・カズがサントス在籍時のスポンサー
 1992年と93年、コパ・トヨタのために来日したサンパウロFC

 の存在でしょうか。

 特に1992年はヨハン・クライフ率いるFCバルセロナに対し、ライーの1激で下した見事に世界一に輝きました。

 翌年93年は2-3でACミランに敗れますが

 エリベウトン(名古屋グランパスエイト)トニーニョ・セレーゾ(鹿島アントラーズ指揮官)レオナルド(鹿島アントラーズ)と日本に縁のある選手が来日
 実況が叫んだ「レオナルド!トニーニョ・セレーゾ!!」という素晴らしい活躍

 が印象的ですかね。

 ブラジル国内のオールドファンは現在のナイキではなく、ペナルティ、トッパー、そしてアスレタを好むのではないか、そんな気もしますよ。
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僕が思うアシックスのあの時

2022-01-19 14:44:39 | 日記
 1996年、日本五輪代表は準決勝でサウジアラビア五輪代表に勝利し、1968年メキシコ五輪以来の出場権を獲得します。

 1968年メキシコ五輪は

 1・釜本邦茂が得点王に輝く
 2・デトマール・クラマー提唱の日本サッカーリーグの発足

 という大きな実りをもたらしました。

 この時の五輪代表選手、例えばGKの横山謙三は1989年日本代表監督、1994年浦和レッドダイヤモンズの監督就任と、創成期のjリーグでも大きな影響力がありました。

 1998年のワールドカップ、日本代表は現在のアディダスではなく、アシックスからジャージの提供を受けましたが、このサウジアラビア五輪代表に勝利する、五輪最終予選もアシックスが納品先だったんですよ。

 今風の言葉を用いるならば、アシックスは

 「持っているブランド」

 と言えるのでしょうが、以後五輪もA代表もサッカー全般はアディダスとの契約の基づいていますから、アシックス、そしてプーマの日本代表ジャージは、今後も珍重されてファンの間で語られるに違いありません。

 実際プーマが手掛けた1993年のアジア最終予選ジャージ、通常

 「ドーハ・モデル」

 と呼ばれる一着は、およそ30年が軽消している現在でも、大変な人気と言います。

 逆に、アディダスはかつてから日本代表と縁があったことも事実ですが、アシックス、プーマが日本代表との契約交渉をしなかったのだろうかとも感じます。

 まもなく北京冬季五輪が開幕しますが、選手たちは夏季五輪同様にアシックスの公式ジャージを着用し、選手インタビューに応じますよね。

 アシックスからすれば、日本代表の支援というある意味大きなビジネスから、潔く手を引いたようにも思えるのですが、上層部の決断が聞けるのであれば、聞いてみたいと思う事柄です。

 90年代のアシックスはサンプドリアを軸に、多くのクラブを支援していましたしね。
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