塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

最新号のプレジデントを立ち読みして

2018-08-29 22:19:17 | 日記
 最新号のプレジデントに、西野朗前日本代表監督のインタビューが掲載されています。

 本来ならば森保監督の所信表明の方が旬であ貼ると思います。

 それでもサッカー専門誌ではなくビジネス専門誌が日本代表ロシア大会に注目し、指揮官の胸の内を顧みることは試みとして面白いと思います。

 サッカー専門誌を読まない方にも訴求できますからね。

 今回のプレジデントは睡眠特集であり、浅田真央さんがエンドーサーを務める寝具メイカーの「エアー・ウイーブ」の記事も掲載されています。

 柴崎岳はロシア大会でこのエアー・ウイーブの世話になったようで、ストレスなく熟睡できることは選手でなくても快適です。

 東京西川 ネイマール
 マニフレックス 香川真司
 エアー・ウイーブ 柴崎岳

 というように、寝具メイカーは有名サッカー選手と契約しています。

 これは彼らが移動が多く、時差の関係や体調管理で寝に求める要求が強い、言い換えれば彼らの要求に応えられるならば、一般の睡眠に悩む方にも受け入れられる、という考えがあると感じます。

 その飛行機移動、エミレーツは何とビジネス・クラスにラウンジを設け、より快適な空の度を提供しているとのこと。

 改めて快適と言う物を突き詰めますと、商売の種になる人々の心理が無限にあることがわかります。

 マニフレックスが香川のサッカー・クリニックに協賛しているように

 「あの選手と同じ布団を買いたい」
 「あの選手がこの寝具が快適と言っていたよ」

 という波及効果は、僕らが考えるよりもはるかに大きいでしょうからね。
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靴ひもなしはお得感万歳か

2018-08-29 00:33:51 | 日記
 リーボックがまだバスケットボールの世界で活躍していた時期です。

 看板選手である専用シューズ「アンサー」のアンサー7だったと思いますが、リーボックお得意のポンプシステムをさらに進化させる形で彼をサポートしたのです。

 通常ポンプは手動であり、愛用者が自分の好みのフィッティングで履くことができる点が最大の長所でした。

 しかしこの最新のアンサーでは、シューズに足を入れた瞬間、ポンプが勝手に締まり最適の履き心地を提供するという、まさに画期的な代物だったのです。

 アスレチック・シューズは靴紐を軸に

 「どうやって選手に最高のフィッティングを供給できるか」

 を常にテーゼとして存在します。

 ベルクロ、足首のストラップ、スリップオン、ディスクなどその手法は様々ですが、サッカー・スパイクは締め方ではなく、素材でその問題を解決しようとしています。

 皆さんも「ああ、そうだよね」と思うはずです。

 その答えがナイキのファントム・ヴィジョンに代表される

 「スリップオンタイプのニット素材」

 にあります。

 プーマがシューレースを自在に操れる形を提案しているように、従来のレザースパイクに靴紐は不可欠ですが、今後はこの形がより浸透してゆくものと思われます。

 靴紐がほどける心配がない
 靴紐が無い分、軽量化ができる

 という利点もあるのでしょうが、アディダスがドイツ本社で3Dプリンターで靴を作成している最中、靴紐が無い方が制作しやすいのではないかとも思います。

 ビジネスの世界では靴紐付きが礼儀なのですが、スポーツの世界では紐なしの人気がより高まると感じます。
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いつだって息子は悩みの種なのか

2018-08-29 00:13:42 | 日記
 僕の父は夜、僕のことを考えると眠れないそうです。

 不眠の理由は僕にあるわけですな。

 自分の息子が何を考えているのかよくわからず、給料は安い、妻もいなければ子もいない、言い換えれば孫の世話をやくこともできず、壮年期に描いた老後とはまるで異なるのだそうな。

 確かに僕は血縁であろうがなかろうが、心中を吐露することはそうありません。

 どうせ僕の胸中など、誰に伝えたところで別ってもらえるはずがないと思いますし、何せ

 「お前の大学時代にこれだけ金を使っているんだぞ!!」
 「お前の年齢のころには、もう俺は父親だった!!」

 と批判されては返す材料はありませんからね。

 それを言っちゃあおしまいよ、という具体例は多々あると思いますが、これららのやりとり、過去のミランを思い出しますな。

 ベルルスコーニが指揮官に対して自分が希望する戦術や先発選手を「アドバイス」していた時代は、はるか彼方にい去ろうとしていますが。

 ブルーノ・コンティはトッティ、ファルカン、そしてジャンニーニと並ぶローマの偉人です。

 いつでしたか、降格圏内でもがく最愛のクラブを救うために途中就任し、見事A残留をを果たして指揮官としての任務を全うした、ローマファンの誰もが敬意を払う人物です。

 コンティは1982年のワールドカップ優勝を経験していますが、これは特別の意味合いがあります。

 インテル ジュゼッペ。ベルゴミ
 ユヴェントス アントニオ・カブリーニ

 に代表されるイタリア代表の面々は、基本「3強」から選ばれることが多かったのです。

 しかしコンティとフィオレンティナから選出されたジャンカルロ・アントニョーニと並び、地方クラブから代表を支えた貴重な存在でした。

 そのコンティの息子さんもサッカー選手で、父と同様の名声ではないにせよ、カリアリを軸に戦っていました。

 自分に比べて無名な彼をコンティは恥ずかしいと感じたでしょうか。

 そんなことはきっとありませんよね。
 
 僕の場合は恥さらしで心配の種で生涯あり続けるのでしょうが。
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