「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性260 「コンピュータの本質ー数学とは何か 7 」

2023-01-24 12:12:15 | 日本文学の革命
「外界」は我々とは一線を画す圧倒的な対象世界という性格を持っている。「量的存在」という特徴も持っており、また何らかの周期的に繰り返される「法則性」も感じられる。さらには「外界」はもう一つの意外な特徴も持っているのである。それは「死と隣り合わせの場所」という特徴である。我々の命を奪いかねない怖ろしくて容赦のない存在という特徴も持っているのである

これは我々が普通に感じる「外界」のイメージとは異なっているかも知れない。「外界」とはまず第一に広々とした活動の天地であり、夢や希望や憧れを持って我々が歩んでゆく生命に満ち溢れた場所だからである。晴れ渡った空のもと世界は鮮やかに輝いて見える。豊かな大地が周囲に広がり、植物は生い茂り動物たちは生き生きと活動している。大勢の人々もそこで暮らしており、その人々と交流し生きた温もりを感じ取ることもできる。気分がいい時には思いっきり駆け回りたい世界であり、自由に伸び伸びと跳ね回ることができる活動の舞台である。また夢や希望や憧れの舞台でもあり、少年であれば『海のトリトン』のように「はるかな波の向こうには夢の世界があるのだろう」と信じて「誰も見ない未来の国」を求めて旅立ってゆくし、少女であれば『赤毛のアン』のように「あの丘を越えて馬車がやって来る。あの人が私を迎えに来るのね。白い花の道へ、風のふるさとへ、私を連れてゆくのね」と空想し胸をときめかす世界でもある

たしかに「外界」はこのようなイメージを我々に抱かせるが、しかしそこは同時に危険に満ち溢れた「死と隣り合わせの場所」でもあるのである。たとえば空想に浸ってぼーと通りを歩いていたら突然現れた車に轢かれてしまうかも知れない。ルンルン気分で階段をスキップしながら降りていたら足を踏み外して転げ落ちてしまうかも知れない。酔っ払っていい気分で千鳥足でホームを歩いていたらホームから転落して命を失うかも知れない。危険はまさに至るところに潜んでいるのである。それに対処するためにはしっかりした注意と配慮が必要なのであり、通りを渡るときは前後左右車が来ないか確認し、階段は慎重に足元を確認しつつ降り、駅のホームでは酔っ払って千鳥足で歩いてはならないのである。このような注意がなされないと「外界」ではたちまち死が押し寄せて来るのである

周りの人々も決して優しいだけの存在ではない。中には危険や死をもたらしてくる人間もいるのである。ヤクザや半グレにからまれてボコボコにされ死ぬような目に遭うかも知れない。強盗に襲われ金品や命まで奪われるかも知れない。女性であればいつ何どき痴漢や悪漢に襲われてレイプされるかも知れない。このような危険性は常に我々の周囲に渦巻いているのである。普段の日常生活にも至る所に危険が潜んでいる。上司に睨まれてリストラ候補に入れられそうになったら、これは背筋も凍るほどの恐怖である。取引先の機嫌を損ねることも恐怖であり、それを避けるためには薄氷を履むような思いでご機嫌を取らねばならない。またいつ何どき経済的クラッシュや大不況が襲って来て、職を失い生きる術を断たれてしまうかも知れない。さらには大地震が起きたり、大洪水が襲って来たり、北朝鮮のミサイルが飛んで来たり、ロシアや中国の軍隊が攻め寄せて来たりと、ありとあらゆる危険が現実に考えられる。これらすべては「外界」から押し寄せて来て「外界」がもたらしているのである。まさに「外界」は「死と隣り合わせ」の怖しい場所でもあるのだ

自然界で暮らしている動物などはまさに「死と隣り合わせ」の極限状況を生きている。彼らのほとんどはいつ何どき天敵に襲われ食べられてしまうか分からないのである。野良猫などはせっかく子供を産んでもいつ何どきカラスに奪われて食べられてしまうか分からない。大地を這う昆虫なども好き勝手に歩き回る人間の足によっていつ何どき踏み潰されてもおかしくないのである。幸い彼らは人間のように死を意識することはないから平気で暮らしているが、もし死をありありと意識できる人間がこのような極限状況で生きていたら、まさに毎日が死に直面する怖しい恐怖の日々となるだろう

「外界」が人間にとって死の象徴となる時刻がある。それは夜である。夜になると全てが暗闇に包まれ動きを止める。人間も万物も寝静まり、深い静寂が全てを支配する。このような夜に一人でいることは人間にとって耐え難い恐怖である。誰かがいてくれればいい。誰かの気配があればそこに生が感じ取れるのである。しかし誰もいない暗闇の夜には、そこに死がまざまざと感じられて、我々を圧倒するのだ。死や死者の気配が至るところに感じられ、我々を取り巻き、我々を恐怖させる。まるで「外界」がその本性をあらわして死の存在を我々に見せつけてくるようなものなのだ。夜は人間にとって死の存在をまざまざと実感させられる時刻でもあるのである

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