「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 201 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-09-08 15:08:14 | 日本文学の革命
暗い話ばかり書いてきてしまったが、また実際今の日本社会には暗い閉塞感ばかりが蔓延しているが、これから書いてゆく章「電子同人雑誌とそのネットワーク」―これが長く続いてきた『電子同人雑誌の可能性』の最終章になる!―では思いっきり明るい希望を描こうと思っている。できるだけ楽しく面白い、そして大きな可能性を持った新しいメディアとして、実現可能な明るいヴィジョンを描きたいのだ。

もともと現行の社会制度「賞取りシステム」を克服しようとして、戦前の社会制度「同人雑誌」―この「同人雑誌」の時代に日本文学は真の発展を遂げたのである―を現代に復活させようとしたのが「電子同人雑誌」だが、これを考察すればするほど実に大きな明るい可能性があることが分かってきたのだ。暗い閉塞感と息がつまるようなよどんだ空気に満ちている今の日本社会に、明るい天窓を開くような、さわやかな空気を招き入れるような、そして大いなる活性化をもたらすような、そんな明るい可能性に溢れているのである。

まず第一にこのメディアは「ネットユーザー」のためのメディアである。現代の社会にはコンピュータを使いこなしインターネットで世界とつながっているというこれまで存在しなかったタイプの人間たち「ネットユーザー」が存在しているが―しかも世界規模で大量に!―彼らが自由に自主的に参加し、思い思いに楽しみ、思う存分活躍できるメディアなのである。またこれまで「ネットユーザー」はバラバラな流砂のような存在だったのだが、彼らに一つのまとまりを―彼らのパワーと能力を有効に引き出すようなまとまりを―もたらすことも出来るのである。

またこのメディアは「交流」を第一の目的としたメディアである。普通の雑誌は「売る」ことを第一の目的としており、その雑誌を購入しても、見て、読んで、それでお終い。あとは何もすることがない。ところが電子同人雑誌の場合は雑誌を購入するということはその雑誌を作っている人々と「交流」関係に入るということなのである。雑誌を通じて実に様々な交流関係を築くことができるのであり、その関係は全世界に及ぶこともできる。「全世界と内面的につながりたい」というインターネットの理想―現在インターネットは物理的には全世界とつながっているが、「こころ」はつながっているとは言えない―その理想を実現するものに成り得るのである。

またこのメディアは「人間的魂」の交流―成長―発現を目指すメディアでもある。もともと同人雑誌とは―戦前の文学雑誌にしろ戦後のコミケにしろ―趣味や志ざしや創作として表れる自分の中の「人間的魂」を中核として結びついた団体で、その「人間的魂」を涵養し、成長させ、様々な形で発現させてゆくことを目指しているのである。この「人間的魂」はこれからの時代きわめて重要なものになってゆく。というのはこれから社会のAI化ロボット化が急速に進行し、人間を排除する時代が始まろうとしているからである。社会全体が自動化ロボット化してゆく中で逆に重要なものになってゆくのが「人間的魂」であり、様々な真の付加価値を生み出す源泉にも成り得るのである。この「人間的魂」の最大のものが世界の諸文明であり、現在始まっている諸文明が様々に交流し合う時代「文明の時代」にも対応可能なメディアなのである。

またこのメディアは―多少我田引水的なものだが―出版業界の復活にもつながって来る。「人間的魂」を成長・発展させるための古典的メディアが“本”なのである。人々は“本”との交流―読書―を通じて、自分の中の「人間的魂」を成長させてきたのである。しかし“本”は基本的には紙で作られた死んだ素材であり、またよほど教養を積み修行しないと訳の分からないもので、人々の立ち入りをシャットアウトしてしまう性格がある。ところが電子同人雑誌の場合はネットの向こうに“生きた”人間がいるのである。やろうと思えば会うこともできるのである。そしてインターネットのテクノロジーを通じて自分も能動的に参加でき、生きた人間同士の臨場感をもって活動できるのである。いわば“生きた本”“能動的に参加できる本”という性格を電子同人雑誌は持っているのである。これがもたらすものは「本とネットの融合」であり、ネットのパワーを取り入れて本や出版業界が復活できる可能性が生じるのである。

そしてこのメディアは―まさに戦前の同人雑誌がそうだったように―日本の文化的発展をもたらすものになり得るのである。従来のような経済的発展はもうこれからの時代不可能である。また政府が狙っているような軍事的発展も―あともう一度世界大戦が起きたら人類が滅びるというのに―正気の沙汰とは言い難い。ところが文化的な発展なら、日本にはまだ大きな可能性が残っているのである。東洋文明という土壌の上に成長してきた日本文化が西洋文明をも取り入れて「東洋文明と西洋文明の融合」という新しい文化を生み出す可能性を持っているのである。対立する諸文明の間に「大いなる和」をもたらすことができるかも知れないのだ。実はこれこそが近代日本文学という文化が目指していたものであり、夏目漱石たち昔の日本文学者たちの努力のおかげで実現可能な状態にあるのである。

「電子同人雑誌とそのネットワーク」という最終章でこのようなヴィジョンを実現可能なものとして描いてゆきたい。たしかにやたら壮大なヴィジョンとなり、実現可能かどうか書いてる本人もあやしくなってくるが、今はそんな疑念は払拭してできるだけ明るく希望に満ちた気分になって書いてゆこう。明るい夢や希望―これがヴィジョンを建設する際、最も重要な原動力となる。だから努めて明るい自由な気分で『電子同人雑誌の可能性』のフィナーレとなる壮大な希望を描いてゆこう!

その前に「コンピュータの本質」の章を片付けてしまわなければならない。これからAI化やロボット化が怒涛の勢いで進行してゆくことが予想されるので、この章を書いておくことも必要なのである。コンピュータの本質とは何か。それを明らかにしてゆこう。