名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

スペインの歴史遺産を巡る (その3)

2016-01-16 14:29:08 | 海外・歴史遺産の旅

 この旅は、H25年4月にスペイン旅のJTBツアーに参加した時の内容を
再整理したものだ。18名のバス旅中心のツアーであったが、なかなか楽しかった。
今回は、古都トレドと現在の首都のマドリードを巡り、ついで宿泊先のパラドール
(国営ホテル)のあるエナーレスで宿泊した。パラドールは全国で94か所建設
されているようで、エナレスのものは、昔のサント・トマス修道院を改装したものだ
そうだ。内装はすばらしく、快適だった。

 さて、スペイン旅を終了するにあたり、日本とスペインとの関わりについて調べて
見た。1582年長崎からローマへ少年使節が派遣され、また1612年には伊達
政宗がローマ、スペインへ通商使節を派遣している。興味のある方は、末尾の紹介
記事をご覧ください。

   日本とスペインの関わり

 九州のキリシタン大名は名代として4名の少年使節をローマ教皇に派遣した。
 1582年2月に長崎港を出発した少年使節は1584年3月にポルトガルの
リスボンに上陸し、5月にスペイン王に謁見の後、ローマへ向かった。1585年
11月にローマ教皇に謁見した少年使節は大いに歓迎された。その後、1590年
に日本へ帰国したが、既に1587年秀吉による発禁令が公布されており、その成果
は発揮されることなく、悲運に終わった。
 伊達政宗がローマ教皇に送った通商使節(支倉常長)は、1612年日本(石巻)を
出発し、アメリカ大陸を経由して大西洋を横断し、1614年にスペインのセビリア
に上陸した。1615年1月スペイン王に謁見の後、ローマに向かい、、1615年
11月にローマ教皇に謁見した。スペインに戻り、スペイン王と通商交渉を続けたが、
不調に終わった。1620年9月に日本に帰国できたが、日本には既に禁教令が出さ
れており、常長は2年後に失意のうちに死去した。

以上。