ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



英語なんて、外国に行くわけじゃなけりゃ、別に勉強しなくていいんじゃないの。何の役にたつのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 日本のテレビや新聞には、やはり偏向がありますし、それだけでは、どうしても知識の限界が生じます。例えば、CNNやBBCと、日本のテレビとでニュースを見比べると、その内容の落差は、もう唖然とするほどですよ。
 結局、「日本語しか使えない記者たちは、世界各地では取材ができない」ということなのです。「海外で取材ができるほどには英語ができない」ということなんですね。
 だから、CNNやBBCの記者が、いろいろな国へ行き、戦場などで、どんどん取材をしているのに比べると、日本の記者の取材などは、ほとんどが事後処理になっています。事件がおおかた終わってから、大まかな内容を少し報道するぐらいなのです。現在進行形で事件が動いているときには、たいてい現場にいないので、分からないのです。
 新聞もそうです。日本の新聞にも情けないものがあります。例えば、「ヘラルド・トリビューン」と日本の新聞を読み比べてみると、扱っているテーマが明らかに違います。
 結局、日本の場合、ほとんどが国内ニュースなのです。その意味で、やはり日本は島国であり、閉鎖性があることがよく分かります。
 以前、インドを視察しに行ったときに、ホテルでインドの英字新聞を読んだのですが、内容がよく分かりませんでした。「ニューヨーク・タイムズ」や「ウォールストリート・ジャーナル」を読める私が、インドのデリーの新聞が読めないはずはないのですが、その新聞にはインド国内のローカルニュースばかり書いてあったために、私には分からなかったわけです。
 「誰々さんが、どこそこの町で、何々をした」とか、「どこそこで何々の試合があって、どちらが勝った」とかいうような話ばかりが、たくさん出てくるので、読んでも分からないんですよ。
 おそらく、外国人が日本の新聞を読んでも、同じようなことになると思います。「政治家の派閥争いで、○○派と××派が足の引っ張り合いをしている」というような記事を読んでも、おそらく、「これは何だろう」という感じになるでしょうね。
 だから、日本の新聞や雑誌を読むのも大事ですが、国内のニュースばかりに偏りすぎているので、やはり何らかの外国語をツールとして持っておくことが大事だと思います。情報の偏りを防ぎ、ものの見方のバランスを取る意味で大事なのです。
 私が志したことは、今述べたように、専門のジャンルを増やすことや、代表的な古典はきちんと読み、古いものと現代的なものの両方をきちんと見ること、それから、日本そのものに関心を持つと同時に、外国のものにも関心を持つことです。
 異文化について、比較対照をして見る目を持ち、いろいろな角度から立体的にものを見るように心掛けているんです。
 私の発言のなかに、みなさんがまったく初めて聞くような話がよく出てくる理由は、そういうことなんですね。ただ、そこまで行くには、かなりの努力が要ります。
(111~114ページ)

かなりの努力が要るが、異文化について比較対照をして見る目を持ち、いろいろな角度から立体的にものを見るように心掛けることである。

日本のテレビや新聞は国内のニュースばかりに偏りすぎているので、それだけでは、どうしても知識の限界が生じる。

情報の偏りを防ぎ、ものの見方のバランスを取る意味で、何らかの外国語をツールとして持っておくことが大事である──。

その何らかの外国語のうち、もっとも手近で役に立つのが英語だって思い当たると、英語を勉強する必要性とか意義が、とてもよく分かる気がします。

この夏、また気合いを入れ直して、しっかりと英語の勉強をしてみたいものだと私は思っているのです。

『知的青春のすすめ』

 大川隆法著

 

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