いまの鳩山首相、「友愛」って掲げてるんでしょ。だから、たくさん補助金をだしたりとか、やろうとしてくれてるじゃない。仏の目からみても、とっても宗教的で、いいんじゃないの?
幸福の科学の大川隆法先生は、『夢のある国へ-幸福維新──幸福実現党宣言⑤──』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
私が言いたいことは、「愛というものは、単なる同情とは違うのだ」、また、「愛というものは、悪を増長させることではないのだ」ということです。
愛という言葉は、仏教では「慈悲」と言い換えてもよいでしょう。幸福の科学で説いている「与える愛」の思想は、仏教では「慈悲」に当たるものだと思います。
ただ、仏陀が説いているとおり、仏教の根本精神は、「悪いことをできるだけ抑えて、善いことを推し進める」ということです。「止悪の心、悪を押しとどめる心を持ち、そして、善なる心、善なるものを推し進める」というのが基本精神なのです。
そうした精神なくしての「愛」や「慈悲」というものはないのです。
善悪を分ける力は「智慧」と言われます。「智慧が介在しなければ、愛というものは、場合によっては、人を破滅させたり、あるいは、世の中を間違って導いたりすることもある」ということを知らなければいけないのです。(中略)
特に、この世の俗人たちには、人から奪うことをもって「愛」と考える傾向が非常に強いので、これに対しては、「そういう考えは、確かに人間の本性ではあるけれども、それを、もう一段、昇華させて、純粋なものにしなければいけないのだ」ということを言っておきたいのです。
「本当に、人々のため、世の中のために尽くす愛、そういう透明な愛、無償の愛に変えていくことが大事なのだ」ということです。それを忘れてはいけません。
もし、人から取ること、奪うことをもって、愛の本質だと考え、さらに、「友愛は、そういう人たちに“与える”ことなのだ。ただただ、ばらまけばよいのだ」と考えるならば、そうした愛の理解は、間違いを含んでいると言わざるをえません。
もし、鳩山氏が、自分たち、あるいは自分たちの政党が、周りから奪っていくことをもって、“愛”と考え、また、人々の「政府から奪いたい」という心を増長させることをもって、“友愛”と考えているのであれば、「それは大変なことになりますよ」と申し上げたいのです。
やはり、指導者たる者には、智慧をもって与えねばならない場合があるのです。その智慧は、例えば、予算の配分などにおいても表れなければならないと、私は信じるものです。(中略)
個性の違いは、いろいろあってもよいものです。したがって、個性の違いを認めたり、あるいは、国家の違いを認めたりすることは、かまわないと思います。
ただ、そのなかにも、個性の違いで話が済むレベルのものと、そうではないものがあることを知らなくてはなりません。
すなわち、「国の文化や伝統の違い、民族的な精神や宗教の違い」として、多様な価値観を許容してよいレベルのものと、「明らかに正義に反し、間違っている」と考えなければならないものとがあるのです。
鳩山氏の場合、ここの善悪の判断の部分が決定的に弱いので、この国の未来を考えたとき、私は非常に心配しています。
(151~157ページ)
愛とは、単なる同情とは違う。人から奪ったり、悪を増長させることではない。
愛とは、仏教でいえば「慈悲」にあたる。仏教の根本精神である、悪を押しとどめ、善を推し進める、という基本精神なくして、愛や慈悲はない。
善悪を分ける力である「智慧」がなければ、愛は、場合によっては、人を破滅させたり、世の中を間違って導いたりすることもある。
本能的な奪う愛を、人々のため、世の中のために尽くす透明な愛、無償の愛に変えていくことが大事なのである──
この教えに照らしたとき、鳩山首相の「友愛」などという考え方が、いかに危ういものか、どうして大川隆法先生が、現政権の政策を批判しておられるのかが、根本的思想の観点から明らかになるってこと、なんですよね!
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『夢のある国へ──幸福維新』
大川隆法著
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