ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



職場で、上司に毎日のように叱られるんだよね。いろんなことガンガン言ってくる先輩もいるしね。どっちも、同期の同僚にはやさしいのに、なんだか不公平だよね。あーあ、いやだ、いやだ。・・・なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子供向け書籍『子供にとって大切なこと』(幸福の科学出版)で、子供たちに対して、こう教えておられます。

 君たちは、「大人は子どもに対して公平に接するべきだ。」と思っているかもしれない。けれども、君が大人になったとき、世の中は君に対して公平には接してくれないものなんだ。
 スタートラインでは同じあつかい方をされるかもしれないけれども、君の性格や仕事のできによって、人からの評価もちがってくるようになる。(中略)
 このように、世の中は、けっこう不公平なものなんだね。人はみんな、できのいい人のほうをほめたがり、できの悪い人とは、「できれば、あまりお付き合いをしたくない。」というのが本音なんだ。
 みんなも、親やきょうだいから、性格が悪くておこられたり、できが悪くておこられたり、性格がよくてほめられたり、できがよくてほめられたりしているよね。
 社会に出てからも、子ども時代と同じようなことを経験するんだ。性格が悪かったり、口が悪かったりすると、今度は、職場の仲間や上司からしかられるようになる。
 つまり、家庭というのは、まるで実社会をちぢめたようなものなんだね。
 仕事のできが悪いと、やはり、しかられる。「ぼくばかりしかられる。」「私だけしかられる。」と言っても、毎日ミスをしていたら、毎日しかられることになる。でも、ミスがない人は、まったくしかられない。
 それを「不公平だ。」と言っても、しかたのないことだね。相手は君に「きちんと直してほしい。」と言っているわけで、本当は、しかるほうだってつかれるんだ。
 こういうふうに、大人になると、子どものときと同じことがまた起きてくるから、悪いところは今のうちに直しておいたほうがいいということなんだ。(中略)
 今、君にきびしいことを言う人は、必ずしも悪い人ではないんだ。それは、「この子が大人になってから苦労しないように、今のうちに直しておいてもらおう。」と思って言ってくれているんだね。そういう意味では、本当は親切な人なのかもしれないよ。
 反対に、子どものときに、いくらできが悪くても、いくら性格が悪くても、「まあ、子どもだから、いいだろう。」と思って、放っておかれる人もいる。これは、子どもにとっては、やさしくされているように感じるかもしれないけれども、そういう子どもは、大きくなってから苦労することが多いんだ。
 もし、子どものうちに、親からきちんと説教されていたら、そうならずにすんだのに、放っておかれたために、大人になってから、他の人に、「私は、この人の親でもないのに、こんなことまで教えなければいけないのか。」と思われて、その人にめいわくをかけるようになるんだね。
 だから、君たちにとっては、「この人はきびしいことばかり言ってくるから、悪い人だ。」と思うような人が、本当はいい人で、逆に、今は「やさしくていい人だ。」と思うような人が、本当は自分にとって悪い人だったということを、大人になってから気づくことも、世の中にはたくさんあるんだ。そういうことを知らなければいけないと思う。
(88~93ページ)

社会人としては、当然できなくてはならない基本が十分に身についているか。

毎日、注意力不足の単純なミスばかりしていないか。

上司や先輩職員は、あえてそれをきちんと直そうとして、愛の気持ちで叱ってくれるのではないか──。

子供に対するお教えも、それを今の自分の立場に置き換えて受け止めてみると、とても大切な観点が説かれていることに、改めて気がつきます。

つまりは、家庭教育の真の意味を知ることで、職場で自分になされている教育の意味が、よりよく分かってくるのだと私は理解しているのです。
 

『子どもにとって大切なこと』

 大川隆法著

 

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コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
Unknown (すけ)
2009-02-23 10:48:46
ゆーぱさん、はじめまして^^
いつもブログ見させていただいてます。

私も大人や上司など、いろいろな方々から叱られることがありました。私が幸福の科学の教えを学ぶようになり、叱られたことに反発したり、うちひしがれるのを辞め、何故叱られたか、この人が伝えんとしていることはなにか、と考えるように努めたときに、私自身の成長につながった経験もあります。

しかし、理不尽に叱られ、自己反省をしようとして疲れきっている一般の友人がいます。
真理の目からみても、間違っている叱られ方をしている場合はどうしたらよろしいでしょうか?
 
 
 
Re:Unknown (ゆーぱ)
2009-02-23 21:16:19
すけさん、こんにちは!

うーん、困ってるんですね。ご相談の友人の件は、「対人関係の悩み」と考えて、このブログの過去記事を探してみていただくと(左サイドの「CATEGORY」や「SEARCH」はけっこう使えます)、参考になるものがいくつか見つかるように思います。

たとえば、まずは、理不尽な言葉の受け止め方という観点からは、「ひどいことを言われたら?」という記事が参考にならないでしょうか。
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/adf4ada24394cf6e810d991a132f5cbe

その叱っている方の態度が変わってくれないか、という観点からは、「どうしてあの人は優しくないの?」はどうでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/cbb97172c0443d00a6212b535668b479

もうひとつ、「どうしても肌が合わない人とどう接すればいいの?」というのもあります。
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/df0e879a6ddd40c3cf8e8315051d8314

また、そのお友だちが叱られやすいようなタイプの方であるような場合には、「いつも人から害されないようにするには?」の方が参考になるかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/aedce42ff5dade11319c9c4d5c23f4f9


これらがいくらかでもお役にたって、その方の問題が、少しでも早く解決しますように、心より祈念しております!
 
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