幸福実現党って、人権は神さまとか仏さまに与えられたっていうんでしょ。それって、近代法になじまない考え方なんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学の未来を考える』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
民主主義は、いちおう、暴虐な王を追放できる制度であるところが、いいところではあるんですが、それは、「最悪を防ぐもの」でしかないため、ソクラテスやプラトン等は、民主主義に、あまり高い評価を与えていないんですね。(中略)
その基本には、ロックやルソーなどの「契約説」的なものも、近代においてはあるのかもしれないけれども、そういう思想には、人間が神とほとんど同じところまで上がってきている傲慢さがあるね。
また、カント自身は、信仰心を持ち、神を信じていたかもしれないけれども、「人間の持つ最高の能力は理性だ」と言ったために、カントがやったこと自体には、実際には、神の首をギロチンでコロンと切り落としたようなところがあります。
それから、「フランス革命その他の流れが、本当に善なるものであるかどうか」ということは、いまだに検証されなくてはいけないでしょうね。(中略)
カントで言えば、彼自身は、神を信じ、宗教的なものを信じていたけれども、「それを学問の領域とは分けて考える」という考え方をしたため、他の人たちが、それを無神論や無宗教のほうに持っていきました。
それと同じように、ルソーの流れにも、解釈によって、何か違うものが入っているのだろうと思われるんですね。
でも、法律は基本的には人間がつくったものだし、もし「神の法」というものがあるのであれば、それは、やはり大事にしなければいけないものでしょう。
「人間がつくったものが最高だ」という考え方のなかには、素晴らしい面もあるのかもしれませんが、傲慢な面もあるかと思います。謙虚さを失うと、法律の世界ではなく一般の世界であっても、やはり駄目になるものなので、そのへんで、マイナスの部分が、どうしても残るのではないかと感じるんですね。(中略)
近代法の問題は、最終的には人権論のところにあるだろうと思うけれども、宗教を取り除いたら、やはり、人権の根拠がなくなるんですよ。
アメリカの場合には、何といっても、憲法の基本的人権の根拠には、キリスト教の精神がきちんとありますからね。
例えば、アメリカの「独立宣言」には、“all men are created equal”(すべての人間は、生まれながらにして平等である)という言葉があります。(中略)いちおう宗教的な思想がバックにはあって、アメリカは、そこから出発しているんです。
だから、今のオバマ大統領も、神に宣誓するし、演説の際には、「神の前に謙虚でなくてはいけない」というようなことを、よく発言していますよね。アメリカの大統領は国家元首に当たるんでしょうが、でも、「自分が最高ではないんだ」ということを、いちおうは言う。これは常識だね。
日本では、天皇が力を持っていたときには、天皇がその役割を担ったのかもしれないけれども、今では、もう、完全に、非常に不思議な状態になっている。天皇が神社の鳥居のような存在になっているのでね。
(117~123ページ)
民主主義は、暴虐な王を追放できる制度ではあるが、「最悪を防ぐもの」でしかない。
近代における、ロックやルソーなどの「契約説」の思想には、素晴らしい面もあるのかもしれないが、人間が神とほとんど同じところまで上がってきている傲慢さがある。
例えば、アメリカであっても、宗教的な思想が背景にあって、そこから出発しているように、近代法における人権論においては、宗教を取り除いたら、その根拠がなくなる──。
うーん、ちょっと今日は、選び出してみたテーマが、私の力量を超えた分野だったのかもしれません。むずかしいですねー。
でも、本書は、ご長男の宏洋さんとの対談本で、全体は楽しく読み通せるような気がするんですが、こういうむずかしい議論も随所に展開されていて、その意味でとても勉強になる書籍ではあります。
要は、大川隆法先生は、近代におけるロック、ルソー、カントなどの思想哲学は、神仏を否定する方向で理解されがちだけれども、宗教というのは、人権論とか民主主義とかとなじまないどころか、むしろその重要な背景になっているものだと説いて下さっていると、私は理解できると思うのです。
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『幸福の科学の未来を考える』大川隆法著 |
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