ね宗教に入るってさ、なにかいいことでもあるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
「とりあえず」というかたちであったとしても、何かの宗教、宗派に縁があったほうがよいのです。
死後、お父さんやお母さん、親類縁者が迎えに来てくれることが多いのですが、必ず来てくれるとは限りません。自分も修行中であるために出てこられない人もいます。そういう場合には、少し救いが遠のいてしまい、苦労することがあるので、やはり、何かの宗教に縁があったほうがよいのです。
自分自身は信仰を持っていなくても、友達や身近な人のなかに信仰を持っている人がいれば、ありがたいことに、それでも縁ができます。
信仰心のある人は、友達が死んだときには、その人の死後のことを心配して、一生懸命に弔ったり、「成仏するように」と冥福を祈ったりします。そうすると、死んだ友達は、その信仰心のある人の守護霊や、その人の宗教の指導霊団とつながりができ、「あの人の友達だから、導きに行かなければならない」と思われ、手配をしてもらえるのです。それで、あの世での行き場所が決まります。
あの世へ行ったときに、全然、案内人がつかないというのは厳しいものです。
死後、魂は体から離れ、トンネルを抜けて光の世界に入り、お花畑を通って三途の川に出ます。日本では川の場合が多いのですが、湖の場合もありますし、スイスのほうでは、山の峠を越えることが三途の川を渡る代わりになっていることもあります。
そのように、いろいろな場面が出てくるのですが、そのときに何らかの導きは必要なのです。
そのために、宗教者たちは、この世において真理の伝道をし、この世で伝道し損ねた場合には、あの世へ行ってから、また導きの仕事をしています。そのことを知っていただきたいのです。
(200~202ページ)
とりあえずでも、何かの宗教、宗派に縁があったほうがよい。
あの世へ行ったときに、何らかの導きは必要であり、まったく案内人がつかないというのは厳しいものである。
そのために、宗教者たちは、この世において真理の伝道をし、あの世へ行ってからも、また導きの仕事をしている──。
若くて元気なうちは、宗教なんて関係なく生きていても、なにも気にならないかもしれません。
でも、人には寿命がやってきます。病気や事故というのもあるかもしれません。
一人残らず、必ずいずれは帰天することになるわけです。
そのとき、宗教に何も縁がなければ、誰も導いてくれず、あの世で惑ってしまって厳しい体験をすることになる、というわけです。
そんなふうになってほしくないというのは、おせっかいな話だという人もいるかもしれません。
あの世に還ってからも、惑っている人々をなぜひたすら救おうとするのかを、おめでたいと感じる人もいるのかもしれません。
でも、天使や菩薩というのは、求められなくても思わず手を差し伸べてしまう、そういう性格の方々だと聞きます。
だからこそ、熱心な宗教者は、何と言われても、いわばおせっかいだし、おめでたい人たちであるのだと私は思っているのです。
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『霊的世界のほんとうの話。』
大川隆法著
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