与える愛が大事だと、繰り返し教えられてると思うんだけど、でも、なんで愛って大事なの、何かいいことがあるっていうの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『愛から祈りへ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
第二の真実は、「愛は一つの投資である」ということです。そして、これは決して無駄にならない投資なのです。
たとえば、余った金銭を銀行に預金するだけではなく、それで土地や証券を買うなど、さまざまなものに投資する人がいます。それらの投資は、実を結ぶこともあれば、そうでないこともあるでしょう。
しかし、愛という名の投資は、実を結ばないことは決してありません。これは、一〇〇パーセント実を結びます。
すなわち、愛というものは、大宇宙空間に生命の種子をまくことと同じなのです。朝顔の種をまけば朝顔が咲くように、愛という種をまけば、やがて発芽し、成長して、『ジャックと豆の木』 の豆の木のように、天まで届くほどにスルスルと伸びていきます。それが、愛の種をまくという行為なのです。
そして、これは必ず実を結ぶことになります。地上的には、ある一定の期間をとれば、実を結ばないように見えることもあります。しかし、長い日で見ると、それは確かに実を結ぶのです。
また、人びとは自分の身の回りを宝石で飾り立てようとしますが、霊的な目で見ると、愛の行為を行なおうと思っただけで、身体に一つのダイヤモンドが輝いているのです。
したがって、愛多く生きた人は、霊的な目で見れば、身体全体に大小さまざまなダイヤモンドがちりばめられています。すなわち、愛がひとしずく地上に落ちたならば、そのひとしずくの愛は、宝石となってその人の身で輝くのです。
私は与える愛の大切さをよく説いていますが、なぜ与える愛が大切かといえば、愛は与えた人のものになるからです。また、「愛を与えて、見返りをもらおうとしてはいけない」とも説いていますが、与えた愛は、結局、その人自身のものとなるのです。これが霊的法則です。これを知っていただきたいのです。
みなさんは「愛を与えても、返ってくるかどうか分からない」と考えるかもしれません。しかし、霊的世界においては、愛を与えれば、与えた分だけ自分のものとなるのです。これが真実です。
「主はなぜ、大宇宙を創り、人間を創り、動物や植物を創り、そして、さまざまな生命をはぐくんでいるのか」と、みなさんは不思議に思うかもしれませんが、それはまさしくこの法則によるものなのです。
主もまた与えんとしているのです。大宇宙に空間を与え、人びとに生命を与え、動植物にも生命を与え、生きがいを与え、喜びを与え、与え、与え、与え、与えつくしています。
そして、与えると、それは主自身の喜びとなるのです。お返しがあるからうれしいのではありません。与えるという行為自体が、すでに喜びとなっているのです。
(154~157ページ)
ここでは、「投資」というまったく新たな観点を用いて、「与える愛」の大切さ、その喜びの意味を教えて下さっています。
愛を与えるというのは、うれしいことなのだ。喜びなのだ。
返してもらおうと思うと、そうはならないけども、そんなことを思わない純粋な愛は、必ず自分に返ってくるのだ、と。
このお教えをいただいてから、ずいぶん時間がたちましたが、改めて味わってみると、たしかにその意味が実感として分かってくる気がします。
今日は愛の教えの学びをまた一つ深めることができた気が私はしているのです。
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『愛から祈りへ』
大川隆法著 |
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