憲法には、信教の自由が保障されてるんでしょ。日本の憲法って、けっこういいんじゃないの? なーんて考えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。
第十九条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」という条文があって、さらに、駄目押しのように、第二十条で、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(第一項)、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」(第二項)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(第三項)とあります。
この二十条のつくり方が、かなり混乱を呼んでいると思います。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」というだけなら、それでよいのです。
ところが、そのあとに、付帯条項で、「してはならない」という文言がたくさん付いているために、結局、「宗教活動はしてはならない」と言っているように読めるのです。
国や公共団体に関しては、「一切、宗教活動に触れてはならない」というタブーのようになっていて、事実上、「宗教については、国や公共団体は何もしないから、宗教だけで勝手にやってくれ」と言っているように見えなくはないのです。
これを善意に解釈し、「宗教間の自由競争に任せるのだ。言論の自由と同じで、宗教が勝手に競争すればよいのであって、国は関与しないのだ」と捉える見方もあろうかと思いますが、この書き方から見るかぎり、やはり、迫害の材料になっていると言わざるをえません。
例えば、第二十三条を見たらよいのです。「学問の自由」に関して、「学問の自由は、これを保障する。」という一行で終わっています。これと同じでよいのです。「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」ということだけで終わればよいのです。あとは要りません。
あとのことについては、「こういう場合には、こうする」というものを、法律か何かでつくればよいのであって、憲法に入れるべきではありません。こういうものを入れるから、「公立学校で宗教教育をしてはいけない」と言ったり、左翼のほうが非常に強くなったりするのです。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」というのは、もとは国家神道のことを意図してつくったものではあるのですが、条文を正確に読むならば、今の天皇制自体も、これに当たるわけです。
天皇自体は、日本神道の最高の祭司、神官であり、儀式を行っています。
例えば、天皇家では、先の天皇が亡くなったら、「殯(もがり)」といって、その亡くなった天皇の遺体を棺桶に入れて祀り、次の天皇はその隣で一緒に寝たりしなければいけないのです。これは明らかに宗教行為です。弥生時代か縄文時代から続いているような儀式ですが、そういうことをやっています。
天皇家は、こうした政治には関係のない宗教行為を幾つか行っています。これは、れっきとした宗教行為です。したがって、現実に特権を受けています。
(65~68ページ)
うーん、今日は憲法論でむずかしくって、簡単にまとまりません。明日に続きます…。
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『幸福実現党宣言』
大川隆法著 |
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