ネットで見つけて買ったDVD。チャ-ルズ・ロイドがキースやデジョネットをメンバーにしての映像。
ベルギーのTV放送用に録ったもの。
この時期のことを中山康樹氏の著書「キース・ジャレットの頭のなか」から纏めてみよう。
キースに関してのこの本の第1章がまさにこのころ。だかあらチャールズ・ロイド・グループから始まるかというと、その前4か月間はアート・ブレーキ―のところにいて、66年に「バターコーン・レディ」というアルバムに参加している。ジャレットがロイドのグループに参加したのは1966年2月と思われる。
そして「ドリーム・ウィーヴァー」を1966年3月29日に録音する。
ロイドのマネジャージョージ・アヴァンキャンは過去にロイドの売り出しに失敗しているため、新しいグループの新作の前にヨーロッパ・ツアーを組み、そこでの成功をもとにアメリカに凱旋することにした。それが今回の映像になる。ロイド・グループは1966年4月28日スウェーデンでジャレットが参加した初めてのライヴをおこなった。その5日後、ベルギーの放送局用の映像がこれになる。
とにかくみんな若い。26歳ぐらいだった。
このころのロイド・グループが青春だったから買った。
参加2ヵ月のキースはアピアノの中に手をつっこんだりするけれど、まだきーすにはなっていない。ちょっと片鱗を見せる程度。
デジョネットのステックを持つ手が大写しになるけれど、実に柔らかく握るんですね。
特筆したいのはセシル・マクビー、斬新なベースラインとそれを安定して弾くテクニック、これが一番驚いた。
そして
アメリカに帰り1966年9月8日にモントルーで大ヒット作を生む。
翌年1967年6月18日にスイスMontreux jazz festivalの時にはベースがロン・マクルーアに変わっていたけど、日本にはこのマックルーアと来た。
それでマクルーアが好きになったのを想えている。
若い日々の出来事。
CHRLES LLOYD QUARTET RTBF STUDIO 1966
チャールズ・ロイド(ts, fl)
キース・ジャレット(p)
セシル・マクビー(b)
ジャック・デジョネット
May/2nd/1966
1.East Of The Sun
2.Love Song To A Baby
3.Of Course, Of Course
4.Manhattan Carousel
5.Island Blues
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