ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
よろしければ
ご感想をお聞かせください。

立ち泳ぎ15時間: 船長生還

2009年01月09日 06時45分59秒 | 新聞
昨日の朝日新聞社会欄に、「漁船転覆 立ち泳ぎ15時間 55歳船長を救助」という記事がありました。

沖縄県宮古島で漁船が転覆しているのが発見され、海上保安庁の巡視艇が捜査したところ、操縦していた船長さん(55歳)を発見したそうです。

船から500m離れたところで15時間立ち泳ぎをしながら救助を待っていたとこのとです。

船長さんは救命胴衣をつけていず、潜水病の影響で両足が弱かったが、手だけで泳ぎ続けたと話していらっしゃるそうです。

病院に運ばれましたが、その日のうちに退院した 
ということでした。
-------------

15時間も立ち泳ぎをしていられるものなのでしょうか。

どんな様子だったのか知りたいと思いました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ

ためしてガッテン: 一番大切なことは?

2009年01月08日 06時37分38秒 | テレビ
昨日の「ためしてガッテン 新春特集!1万人健康クイズスペシャル」を見ました。

家族が飲み過ぎや食べ過ぎで肝脂肪になった女性が、ダイエットに努力したのに肝脂肪になってしまった、これは何が原因?

タンパク質の摂取が不足したから。
等、役に立つ知識がいっぱいでした。

最も参考になったのは、

人が倒れています。あなたならどうしますか?
という場合の対処方法でした。

まず電話で救急車を呼び、それからどうするかが問題でした。

答えは、心臓マッサージなのだそうです。

意識がなく、呼吸をしていない場合、心臓が止まっていることが多いです。

脳の血流が止まって時間がたてばたつほど、生存率が減ってしまうので、素人の心臓マッサージでもいいから、胸を押してマッサージをしてくださいとのことでした。

もし、もう1人人がいたら、AED(Automated External Defibrillator、自動体外式除細動器)を探して持ってきてもらうよう、声をかけてくださいと説明されていました。

救急車やAEDが到着するまでの5分間に、胸の中央を手で押して(1分間に100回、「ステインアライブ」のテンポが最適だそうです)、手をポンプの代わりにして、脳に血液が流れることを確保することが、最も大切だということでした。
------------

心臓マッサージというと、止まっている心臓を動かすようにと考えていましたが、ポンプの代わりに血液を動かすくらいなら、素人でもできそうです。

脳卒中の人は動かしてはいけないとかつては言われましたが、心臓と脳が死んでしまっては蘇生もできないので、この場合も心臓マッサージをしてくださいという説明に、なるほどと納得しました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ



日本の紅茶: ベルギーに輸出

2009年01月08日 06時09分08秒 | 新聞
昨日、Yahooニュースを見ていたら、「緑茶だけじゃない、静岡の紅茶がベルギーの店頭に」という記事がありました(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090107-00000013-yom-soci参照)。


日本でも紅茶の生産は、1950年代くらいまでは奨励されていて、1955年には日本から8500トンも輸出されていたそうです。

しかし、1971年の紅茶の輸入自由化等で生産量は激減し、現在では「少な過ぎて把握していない」(静岡県産業部)という状況です。

静岡市駿河区丸子に住む製茶業の村松二六さん(68)が、かつて紅茶産地だった丸子地区でもう一度作りたいと、1996年に「べにふうき」の苗を1500本植えました。

現在では5種類の紅茶を年間約1・5トン生産しているそうです。

昨年5月、ベルギーで日本酒や日本茶などの輸入を扱う日本人業者が、村松さんの紅茶のサンプルを入手し、飲んだところ、「緑茶の国・日本でこんなにおいしい紅茶ができるとは」と品質の良さに驚き、昨年11月、ベルギー輸出が実現しました。

今回輸出されたのは、「べにふうき」と「本山(ほんやま)」を紅茶用に発酵させた計30キロで、香りがよく、風味もしっかりしていて、ミルクティーにしてもおいしいのだそうです。

「少量でも、日本の紅茶が海外に受け入れられたことは誇り。好評なら今後も輸出したい」
ということです。
-----------------

緑茶と紅茶は加工方法の違いだけと思っていたので、品種で緑茶向け、紅茶向けがあるとは知りませんでした。
日本産紅茶というのがあったのですね。

機会があったら、どんな味が飲んでみたい気がします。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ

アニメ制作: 東京都がテキスト作成

2009年01月07日 06時56分29秒 | 新聞
昨日の夕方のテレビのニュースで、アニメ制作のテキストを東京都が作成したと伝えていました。

アニメの世界では、動画を制作するときには、原画作家1人に動画作家5人がついて、手描きで作成していくのだそうです。

動画作家の方によると、忙しくなると1週間家に帰れなくなるほど忙しく、その割に低賃金なので、人の入れ替わりが多いということです。

最近は、動画の作成をアジア諸国に外注する会社も増え、先輩の技術を見て後輩が学ぶという技術の継承が難しくなっています。

東京都にはアニメ制作会社の80%が集中し、アニメは日本が世界に誇る文化であることから、東京都はこのアニメ技術を伝える教科書を制作することにしたのだそうです。

大手プロダクションやアニメの専門学校に協力してもらい、4冊シリーズでアニメの歴史から実際にアニメ動画を制作するところまでを掲載しています。

4冊目はDVDでアニメ制作の手法が解説してあります。

「アニメの教科書」(税込10,290円)は、秋葉原の東京アニメセンター・オフィシャルショップで販売しているということでした。
--------------

公共団体がマンガの教科書を出版するのは、初めてのことなのだそうです。

制作現場の映像がありました。
鉛筆や色鉛筆で動画を描いていて、手作業の部分が多いのに驚きました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ

CMのアインシュタイン博士は誰?

2009年01月07日 06時23分49秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「はてなTV Q博士はCG?」という記事がありました。

ネスカフェ チャージのCMに登場しているアインシュタイン博士は、CGそれともそっくりさんですか?という質問に答えるものです。

ネスレ日本広報室によると、そっくりさんが演じているのだそうです。

アメリカ ロサンゼルス近郊に住む俳優のベニー・ヴァッサーマンさんで、アインシュタイン博士をドラマやCMで演じて15年になります。

ヴァッサーマンさんもユーモアのある方で、撮影中にいたずらをしてスタッフを楽しませてくれたり、撮影待ちのときにハプニングでシュパッとチャージされたときは「便利だ!」と驚かれたそうです。
-----------

我が家でも、CMを見て「そっくりだね」と話していました。

修正なしであれだけ似ている方がいらっしゃるんですね。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ

ユニクロ: 白井恵美さん

2009年01月06日 09時02分29秒 | テレビ
今朝の「おはよう日本」(NHK総合、午前4:30-)でユニクロの白井恵美さんのことが紹介されていました。

白井さんはウイメンズMD部長で、ヒートテック等のヒット商品で好調なユニクロの主戦力の方なのだそうです。

34歳で女性部門のトップを任されたとき、開発部門に女性を多く採用しました。

それまでアパレルは、男性が企画するのが普通でした。

女性を採用したメリットはありましたか?の質問に、

女性は洋服を選ぶときにコンプレックスや悩みを持ちながら選んでいます。

でも、企画会議のときに「私は足が太いので悩んでいます」と話したりはしません。

企画する人が女性だと、そういうことは言わなくても分かっているので、欠点をカバーしてくれる洋服等、女性が望む商品が分かっています。

ブラトップ(タンクトップにブラのカップが縫い付けてある商品)は、300万枚を完売しました。

「女性はタンクトップを着るとき、肩ひものないブラをつけたりしていたのですが、ずれたりして困っていたんです」

一般の女性が一番欲しいものを提供しようと、社会の動きや女性の考え方に注目しています。
ここが普通の洋服作りと大きく違う点です。

「以前は何が何でも美しく見られたいでしたが、最近は自分らしく心地よくになっていますね」

テレビや雑誌は注目して見ます。
ワイドショーを録画して、話題やCMを毎日チェックしています。

先月、家庭の洗濯機で洗えるセーターを発表しました。

「いろいろな所でお客様が減っている時代です。ニューヨーク等、金融危機の影響が大きかったところは特にそうです。そういうときこそ、攻めが必要です」

不況だからこそというのはありますか?

「不況だからではないですが、こういうときこそ、強いブランドが試されていると思います」

これからを言葉にすると?

「グローバル化」です。

ユニクロはアジアや欧米に50店舗を展開しています。世界的なブランドになるというのは、体力強化に必要なことです。
--------------

これまでアパレル業界は、男性が中心になって開発している場合が多かったとの解説に意外に思いました。

だから服や靴に体のほうを合わせなければならないような商品が多かったのかもしれないと思いました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ

熊本城: 一口城主が好評

2009年01月06日 08時35分31秒 | 新聞
昨日、Yahooニュースを見ていたら、「熊本城 「一口城主」が好評 寄付金 4日間で1200万円超す」という記事がありました(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090105-00000003-nnp-l43参照)。

熊本城の復元資金を募るため、一口1万円で熊本城の城主を募る「一口城主」制度が1月1日から始まったのだそうです。

「城主」になると城主証や、最大10年間無料で入城できるパスポートが贈られるほか、名前と住所を書いた芳名板も天守閣に掲示されます。

1月4日に早くも1240万円に達し、中には一度に10万円を寄付した方もあったとのことです。

目標は7億円で、「第2期復元整備計画」(総事業費23億円)で予定する馬具櫓の復元事業費などに充てる予定だそうです。
--------------

予想以上に好評なのは、1口1万円で名前が載るというところなのでしょうか。

城主はめったになれるものではないので、寄付とセットでネーミングがよかったのかもしれないですね。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ

山根基世さん: 自分ならではの志

2009年01月05日 06時52分30秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に「耕論 山根基世さん 自分ならではの志を持って」という記事がありました。

不況の時代にうろたえずに生きるには、どうしたらいいかという質問に答えたものです。

山根さんは、NHKのアナウンサーを経て、アナウンス室長に女性で初めてなった方です。

今の若い人は、仕事の話はできるけど、世間話ができないのだそうです。

世間話は、とても高いレベルの言語能力が必要で、どこに来るが分からない球を上手に受けて投げ返す必要があります。

山根さんも入局2年目の日記には、「このごろよく死にたくなる」と書いてあったそうです。

なんであの人はあの番組なのに、私はこの番組なのと、どうしても自分を他人と比べてしまい、苦く感じました。

転機になったのは、作家の雫石とみさんの番組を制作したことです。

雫石さんは、極貧の農家に生まれて、小学校もろくに出ていません。空襲で家族を全部失い、浮浪生活を送った後、施設に入ります。

ひどい扱いを受け続けますが、45歳のある日、大学ノートを買って日記をつけ始めます。

それ以来、書くことが支えになり、やがて作文コンクールに応募して労働大臣賞を受賞します。

それまで見下され、ののしられることしかなかったのに、生まれて初めて認められました。

その後も書き続け、65歳で最初の本を出版しました。

1987年に日雇いの仕事等でコツコツためたお金で「銀の雫文芸賞」という文学賞を作ります。

なぜ蓄えを全部はたいて賞を作ろうと思ったのか。書くこと、読むこと、言葉が自分を変えてくれたという思いがあったからだそうです。

「日記がなかったら、とっくに自殺していますよ」「書かなければ生きられなかったの」と話されました。

山根さんは、その時、自分が何をすべきなのかがはっきりと見え、仕事が自分の人生にカチッとはまったそうです。

目指すものが見えると、もう他の人のことは気にならなくなりました。

随筆家の串田孫一さんが、子どもの頃から掃除が好きで、80歳を過ぎて病気になった時も、朝夕掃除することですがすがしい気持ちになると書いてあるのを読みます。

山根さんは、毎朝、台所を掃除することにします。

落ち込んで、心が千々に乱れているときこそ、まず身の回りをきれいにする。そうすることで心が清められるのを実感したそうです。
-------------

女性で仕事で成功した方が、地に足のついた話をされたのが印象的でした。

不安を抱えている人は、志を持つことで救われますよと言いたい。不況で職を失ってもそれはあなたの人間性のせいじゃない。志は世のため人のためみたいに思いますが、志は自分を救うんです、とも書かれていました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ


波瀾爆笑: 美輪明宏さん

2009年01月05日 06時14分20秒 | テレビ
昨日の「誰でも波瀾爆笑」(日本、午前9:30-)のゲストは、美輪明宏さんでした。

「誰でも波瀾爆笑」は、元NHKアナウンサー堀尾正明さん、関根麻里さん、溝端淳平さんが、ゲストに話を聞くトーク番組です。

美輪さんの意外な日常が紹介されていました。

大リーグを、自宅でよく見ていらっしゃるそうです。

「海外で頑張っているのがすばらしくて、応援しているんですよ」

お笑いが好きで、お笑い番組もチェックします。

ユニクロ、デパート、コンビニにも1人で行きます。

帽子を目深にかぶってサングラスをすると、「笑うセールスマン」のようになるけれど、人には気づかれないのだそうです。

ラーメン屋さん、カレー店、牛丼屋さんも好きです。

和食の高級店に行くと、いろいろ説明するときがあるけれど、「効能を聞きにきたんじゃないわよ」と言いたくなるとのことです。

偉そうにしているのは、ダメなんだそうです。

純粋で弱い人を見ると放っておけなくなります。

「色気とは?」という質問には

「色気は上品な優しさ」と答えられました。

グラスを持つのにも、ただぐっと持つのと、グラスを作ってくれた方のことを考えて持つのとでは違いが出る、大切にしようという気持ちがしぐさに出ます。

「今年はどういう年になると思いますか?」

何も心配はありません。良い子を産むときは難産になる場合がありますが、その子はすくすくと育ちます。  ということでした。
--------------

トーク番組で話される美輪さんを初めて見ました。

意外ときさくな方なのですね。

きれいな言葉で、話題もつらかった話もそれを聞いた人の気分への影響を考えて話されているのが感じられました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ

立川志の輔さん: 落語との出会い

2009年01月04日 09時03分14秒 | 本、雑誌
『ひととき』1月号に「今を決めたあの時 立川志の輔 落語と真剣勝負」という記事がありました。

『ひととき』は東海道新幹線グリーン車に備えつけの雑誌で、「今を決めたあの時」は作家の吉永みち子さんが書かれています。

NHK「ためしてガッテン」の司会でも知られる志の輔さんは、落語家の家に生まれたのではないそうです。

富山県の出身で、明治大学に進学したときに、「東京は何でもある刺激的な場所、これからいろいろなものを見るのだ」とキャンパスを歩いていたら、落語研究会の看板と呼び込みに出会います。

誘われるままに教室に入ると、紫紺亭志い朝こと3年先輩の三宅裕司さんが熱演中でした。

「300人くらい学生がいたんだけど、みんないっせいに笑うんですよ。たったひとりで、こんなにたくさんの人を笑わせられるんだってことに驚いた」 

小学校の頃から、人を笑わせることが好きで、富山県の弁論大会でも、真面目一方の弁論の中で審査員や会場を笑わせて優勝、新聞に載ったこともあったそうです。

大学では、授業よりも落語を優先し、30分の話を3日で覚え、末広亭(新宿)には11時半から夜の9時半まで居座って聞きました。

実家からは、大学卒業後は地元に帰って県庁か市役所に勤めてほしいと期待されていましたが、富山には帰らないと決めました。

就職の時期になって、いろいろ見るはずだったのが落語しか見ていなかったと、劇団「昴」に入団します。

アルバイトをしながら養成所へ2年通ったところで、演出家から「君は落語家になった方がいい」を言われます。

上野の本牧亭で、三宅裕司さんと渡辺正行さんと3人で素人落語会を行ったのを見ていたのでした。

劇団を辞めましたが、落語家にはならず、昼はバイト、夜は新宿のゴールデン街で飲むという生活をしていました。

「なんでその時も、落語家への道を歩まなかったか。落語家になるってことは、テープ聞いてその通りにやってお客さんが笑ってうれしいってだけではないよなあって具合に、自制心が働いちゃうのが、石橋を叩いても渡らない富山県人なんですかねえ」

たまたま隣で飲んでいた人から「ウチの会社に来ない?」と誘われ、テレビCMを作る会社に入社します。

人が集まって、すごいCMが出来上がっていくのが面白くて、これで仕事は終点かと思っていたそうです。

4年目に社長と部長に呼ばれ、そろそろ営業はどうだろうと言われたときに、「ぼく、辞めたいんですけど」と返事をしていました。

すでに結婚して家庭を持ち、サラリーマン人生をまっとうすると感じていたのに、心の中では落語家になりたい気持ちが無意識にあり、それがこのときに出たのだそうです。

「10年遅れるということは、早く入れば入るほど得になるこの世界のシステムでは何もいいことがないけれど、あの10年がなかったら、今の自分はないと思う」

会社を辞めた直後に、立川談志さんの「芸人生活30周年」の高座を見に行き、「芝浜」という古典に席から立てなくなるような衝撃を受けて入門を決めます。

「俺が落語なんだ。俺の人生が落語なんだ。見ろ!聞け!って、29歳の僕には感じられた。そうか、落語って人生なのか。その人まるごとなのかって感じさせられたライブだった。落語家は落語という作品を巧く面白くしゃべるという落語観をひっくり返されたライブで、見事にふっきれました」
----------------

志の輔さんは、チケットを手に入れるのが難しい落語家のひとりなのだそうです。

「ためしてガッテン」の司会は14年目になるとのことで、サラリーマン生活を知っていらっしゃることが、あの話術に生かされているのではと思いました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ

Uターン(東京へ)

2009年01月04日 08時04分00秒 | Weblog
昨日、東京へ帰ってきました。

新幹線は、京都をお昼に出発する時点で全席予約済みですと放送があっていました。

グリーン車(ポイントがたまったので使用しました)も満席、子ども連れ、カップル等、帰省からのUターンのお客さんがほとんどに見えました。

沿線は、関ヶ原が雪が積もっていた以外は、再びおだやかに晴れていて、ずっと晴天だったのでしょうか。

車内はときおり赤ちゃんがむずかるくらいで静かでした。

子ども連れで帰省されたお父さん、お母さんは気を遣われたと思います。

東京駅に2時過ぎに到着、こんなに分刻みの列車の運行を、無事故で遅れもなく維持されている関係者の方の努力はすばらしいと思いました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ

世界SL紀行: ドイツとニュージーランド

2009年01月03日 09時42分24秒 | テレビ
昨日の「世界SL紀行」(BS1、午後5:10-)を見ました。

ドイツとニュージーランドのSLのお話です。

ドイツのモリー鉄道は、サミットで各国の首脳が乗ったことで有名になり、世界から観光客が訪れるのだそうです。

街の中、商店の屋根すれすれに、かつての市電のようにSLが市内を走る姿は珍しく感じました。

モリー鉄道の駅をはさんでカフェを経営するドイツ女性が、鉄道が年中無休なので、自分の店も年中無休と優雅にでもたくましく接客している様子が印象的でした。


ニュージーランドは、南島のウェカパス鉄道でした。

1978年に一度は廃止になったSLを、全員ボランティアの方が復興し、経営しているとのことです。

SLを管理、運転しているのは85歳の元SL運転手さん、来年でSLは生誕100年になるのだそうです。

他のボランティアには、大学で先生をしている女性、将来鉄道で働きたい小さい男の子(父親と一緒に参加)等が、切符切り、乗客の誘導等を行っていました。

撮影ポイントでは、乗客を降ろして再度入ってくるところを撮影してもらう等、お客さんサービスも充実しているようでした。

ボランティアは無償ボランティアなのでしょうか。

SLを動かすには燃料代も、何かあったときの保険も必要でしょう。

乗客の乗車券代でどれくらいまかなっているのか、気になりました。
------------

両方の番組とも、映像がきれいで、街の歴史や人の暮らしの様子も知ることができ、鉄道ファンでなくても楽しめる番組でした。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ


安藤忠雄さん: 新・家の履歴書

2009年01月02日 10時11分31秒 | 本、雑誌
『週刊文春』(1月1、8日号)に、「新・家の履歴書 安藤忠雄(建築家)」という記事がありました。

建築家の安藤忠雄が、ご自分が住んできた家やその周辺のことをインタビューに答えられたものです。

独学で建築を学び、数々の賞を受け、東京大学特別栄誉教授でもある安藤さんは、兵庫県の貿易商の家の双子の長男として生まれました。

お母さんが一人娘だったので、実家を継がせるため母方の祖父母に養子に出されます。

大阪の長屋で、自分たちで遊びを作りだす下町文化で育ちます。

高校生のときにボクシングに熱中し、プロボクサーとして四回戦で戦い、大卒の初任給が1万円の時代に一試合で4000円稼ぎ、招待試合でタイのバンコクに行ったりしていました。

あるとき、後に世界チャンピオンになるファイティング原田さんがスパークリングに来られて、スピードもパワーも自分とは違うと感じ、そこでボクサーをすぱっと諦めたそうです。

小さい頃から興味があった建築家になろうと決め、大学には行くことができなかったので、独学で学びます。

工業高校を卒業し、通信教育で図面の引き方を勉強し、大学の建築の教科書を買って読み、大学の授業に内緒で聴講したとこもあったそうです。

20歳のときに古本屋でル・コンジュビュジエ(スイスの建築家)の作品集を見つけ、1ヵ月お金を貯めて購入し、図面やドローイングをなぞって描きました。

ル・コンジュビュジエも独学で建築家になったと知ってからは、安藤さんの目標の人となりました。

22歳のときに日本一周、23歳でヨーロッパを貯金60万円全てを使って旅行し、生の建築を見ました。

28歳で建築事務所を開き、コンペに出品したり、縁故の依頼で初の建築を始めました。

建築家は、依頼をされて仕事をする人と、自分がこういう風にしたいと提案して仕事をする人がいて、安藤さんは提案する方なのだそうです。

1976年に手がけた「住吉の長屋」は、狭い長屋の真ん中に中庭があり、トイレに行くにも傘をさす必要がある住宅ですが、新聞等で話題になり、建設学会賞を受けます。

1983年の「六甲の集合住宅」、1989年の「光の教会」を手がけ、1995年には建設界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞されました。

建築家になった原点は、長屋で工事があり、天井に穴を開けたら、今まで暗かった家の中に光が差し込み、建築は光ひとつでこんなに変わるのだと気がついたことだということです。
---------------

安藤さんを紹介されるとき、元ボクサーで建築家、お話されると関西のアクセントで、随分ユニークな方だと思っていました。

生まれた長屋に45年住み、その後も職住接近で歩いて3分なのだそうです。

家は小さいものでいいというお話が印象的でした。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ