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安藤忠雄さん: 新・家の履歴書

2009年01月02日 10時11分31秒 | 本、雑誌
『週刊文春』(1月1、8日号)に、「新・家の履歴書 安藤忠雄(建築家)」という記事がありました。

建築家の安藤忠雄が、ご自分が住んできた家やその周辺のことをインタビューに答えられたものです。

独学で建築を学び、数々の賞を受け、東京大学特別栄誉教授でもある安藤さんは、兵庫県の貿易商の家の双子の長男として生まれました。

お母さんが一人娘だったので、実家を継がせるため母方の祖父母に養子に出されます。

大阪の長屋で、自分たちで遊びを作りだす下町文化で育ちます。

高校生のときにボクシングに熱中し、プロボクサーとして四回戦で戦い、大卒の初任給が1万円の時代に一試合で4000円稼ぎ、招待試合でタイのバンコクに行ったりしていました。

あるとき、後に世界チャンピオンになるファイティング原田さんがスパークリングに来られて、スピードもパワーも自分とは違うと感じ、そこでボクサーをすぱっと諦めたそうです。

小さい頃から興味があった建築家になろうと決め、大学には行くことができなかったので、独学で学びます。

工業高校を卒業し、通信教育で図面の引き方を勉強し、大学の建築の教科書を買って読み、大学の授業に内緒で聴講したとこもあったそうです。

20歳のときに古本屋でル・コンジュビュジエ(スイスの建築家)の作品集を見つけ、1ヵ月お金を貯めて購入し、図面やドローイングをなぞって描きました。

ル・コンジュビュジエも独学で建築家になったと知ってからは、安藤さんの目標の人となりました。

22歳のときに日本一周、23歳でヨーロッパを貯金60万円全てを使って旅行し、生の建築を見ました。

28歳で建築事務所を開き、コンペに出品したり、縁故の依頼で初の建築を始めました。

建築家は、依頼をされて仕事をする人と、自分がこういう風にしたいと提案して仕事をする人がいて、安藤さんは提案する方なのだそうです。

1976年に手がけた「住吉の長屋」は、狭い長屋の真ん中に中庭があり、トイレに行くにも傘をさす必要がある住宅ですが、新聞等で話題になり、建設学会賞を受けます。

1983年の「六甲の集合住宅」、1989年の「光の教会」を手がけ、1995年には建設界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞されました。

建築家になった原点は、長屋で工事があり、天井に穴を開けたら、今まで暗かった家の中に光が差し込み、建築は光ひとつでこんなに変わるのだと気がついたことだということです。
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安藤さんを紹介されるとき、元ボクサーで建築家、お話されると関西のアクセントで、随分ユニークな方だと思っていました。

生まれた長屋に45年住み、その後も職住接近で歩いて3分なのだそうです。

家は小さいものでいいというお話が印象的でした。


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