ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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妻籠(長野): 中山道の宿場No.1

2009年06月17日 06時44分58秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「日本一の 中山道の宿場でゆるり 読者が決める「日本一」は?」という記事がありました。

中山道の宿場で行ってみたいのはどこですか?

5684人の読者アンケートの結果
 1位 妻籠(長野県) 1906人
 2位 馬篭(岐阜県) 1785人
 3位 軽井沢(長野県)1233人
 4位 関ヶ原(岐阜県)1119人
 5位 奈良井(長野県) 985人

1位の妻籠は、約50年前に役場の職員として他から来た方が魅力を発見し、町並みを保存し、現在の繁栄になったそうです。

妻籠を愛する会理事長の小林俊彦さん(80歳)は、長野県佐久市の出身です。
約50年前に、役場の職員として南木曾町に来ました。

当時の妻籠地区は、養蚕等の産業が衰退し、過疎化、高齢化で、「限界集落の状態」でした。

役場の上司からは、農業指導を指示されましたが、急傾斜地が多いため農業よりは中山道の宿場だった歴史こそが妻籠の宝物になると考えました。

「妻籠宿をよみがえらせ、観光地として生き残る」

役場では、非現実的と相手にされませんでしたが、週末に中山道沿いの住民を説得して回りました。

街道の草刈り、丸太橋の整備、郷土資料を集め、学者の意見も聞きました。

転機が1960年代末に来たそうです。

長野県が観光産業の育成に力を入れ始め、明治百年記念事業として1968年に保存事業が始まりました。

1971年には、観光業者に「売らない、貸さない、こわさない」の3原則を盛り込んだ住民憲章が決まり、住民が主役の町並み保存をめざしました。

「生きた博物館」づくりとも言える町並み保存は、全国に先駆けたものでした。

1976年、国の重要伝統的建造物保存地区の一つに初めて選ばれました。

記者の方は、小林さんの案内で実際に歩いてみたそうです。

「40年前は旅館は3軒だけ、食堂も土産屋もゼロだったんです」と小林さんは説明されます。

約200年前から続く旅館「松代屋」は、今でもふすまの仕切りです。

9代目主人の代田貞仁さんは「旅籠の雰囲気をあえて残しています」ということでした。
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外から来た役場の職員の方が魅力に気づき、今の妻籠につながったという話を興味深く感じました。

中山道は、江戸から京都までを内陸で結ぶ街道で、
東京都→埼玉県→群馬県→長野県→岐阜県→滋賀県→京都府と通るようです
(中山道マップhttp://www5.big.or.jp/~ejiri/nakasen/参照)。



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初の握手: 天台宗と真言宗、1200年

2009年06月17日 05時45分22秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「1200年「初の握手」天台宗トップ、真言宗総本山へ」という記事がありました。

天台宗と真言宗に、1200年ぶりに和解の握手が実現したそうです。

天台宗(比叡山延暦寺、滋賀県)の開祖は最澄、真言宗(高野山金剛峯寺、和歌山県)は空海です。

2人は唐(中国)への留学生仲間でしたが、晩年に最澄が空海に経典を借りようとしたところ、空海が断ったため、疎遠になったと伝えられています。

6月15日、天台宗トップの半田孝淳座主が、真言宗の総本山を訪れ、1200年で初の公式参拝となりました。

午前8時すぎに、天台宗の役職員13人が高野山大師教会に到着しました。

空海の生誕を祝う「宗祖降誕会」に出席した後、空海入定の地とされる奥之院を参拝し、真言宗の松長有慶座主らと歓談したということです。
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「入定」とは、瞑想に入ること。ここから転じて肉体的な死を迎えたとしても、それは永遠の瞑想に入ったとする信仰を言うようです(教えてGoohttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa1890372.html参照)。

記事の写真では、半田座主と松長座主が向かい合って、手を取り合っていらっしゃいました。

どういう経過で、今回の1200年ぶりの和解に至ったのだろうと思いました。


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