昨日の朝日新聞に、「日本一の 中山道の宿場でゆるり 読者が決める「日本一」は?」という記事がありました。
中山道の宿場で行ってみたいのはどこですか?
5684人の読者アンケートの結果
1位 妻籠(長野県) 1906人
2位 馬篭(岐阜県) 1785人
3位 軽井沢(長野県)1233人
4位 関ヶ原(岐阜県)1119人
5位 奈良井(長野県) 985人
1位の妻籠は、約50年前に役場の職員として他から来た方が魅力を発見し、町並みを保存し、現在の繁栄になったそうです。
妻籠を愛する会理事長の小林俊彦さん(80歳)は、長野県佐久市の出身です。
約50年前に、役場の職員として南木曾町に来ました。
当時の妻籠地区は、養蚕等の産業が衰退し、過疎化、高齢化で、「限界集落の状態」でした。
役場の上司からは、農業指導を指示されましたが、急傾斜地が多いため農業よりは中山道の宿場だった歴史こそが妻籠の宝物になると考えました。
「妻籠宿をよみがえらせ、観光地として生き残る」
役場では、非現実的と相手にされませんでしたが、週末に中山道沿いの住民を説得して回りました。
街道の草刈り、丸太橋の整備、郷土資料を集め、学者の意見も聞きました。
転機が1960年代末に来たそうです。
長野県が観光産業の育成に力を入れ始め、明治百年記念事業として1968年に保存事業が始まりました。
1971年には、観光業者に「売らない、貸さない、こわさない」の3原則を盛り込んだ住民憲章が決まり、住民が主役の町並み保存をめざしました。
「生きた博物館」づくりとも言える町並み保存は、全国に先駆けたものでした。
1976年、国の重要伝統的建造物保存地区の一つに初めて選ばれました。
記者の方は、小林さんの案内で実際に歩いてみたそうです。
「40年前は旅館は3軒だけ、食堂も土産屋もゼロだったんです」と小林さんは説明されます。
約200年前から続く旅館「松代屋」は、今でもふすまの仕切りです。
9代目主人の代田貞仁さんは「旅籠の雰囲気をあえて残しています」ということでした。
-----------
外から来た役場の職員の方が魅力に気づき、今の妻籠につながったという話を興味深く感じました。
中山道は、江戸から京都までを内陸で結ぶ街道で、
東京都→埼玉県→群馬県→長野県→岐阜県→滋賀県→京都府と通るようです
(中山道マップhttp://www5.big.or.jp/~ejiri/nakasen/参照)。
中山道の宿場で行ってみたいのはどこですか?
5684人の読者アンケートの結果
1位 妻籠(長野県) 1906人
2位 馬篭(岐阜県) 1785人
3位 軽井沢(長野県)1233人
4位 関ヶ原(岐阜県)1119人
5位 奈良井(長野県) 985人
1位の妻籠は、約50年前に役場の職員として他から来た方が魅力を発見し、町並みを保存し、現在の繁栄になったそうです。
妻籠を愛する会理事長の小林俊彦さん(80歳)は、長野県佐久市の出身です。
約50年前に、役場の職員として南木曾町に来ました。
当時の妻籠地区は、養蚕等の産業が衰退し、過疎化、高齢化で、「限界集落の状態」でした。
役場の上司からは、農業指導を指示されましたが、急傾斜地が多いため農業よりは中山道の宿場だった歴史こそが妻籠の宝物になると考えました。
「妻籠宿をよみがえらせ、観光地として生き残る」
役場では、非現実的と相手にされませんでしたが、週末に中山道沿いの住民を説得して回りました。
街道の草刈り、丸太橋の整備、郷土資料を集め、学者の意見も聞きました。
転機が1960年代末に来たそうです。
長野県が観光産業の育成に力を入れ始め、明治百年記念事業として1968年に保存事業が始まりました。
1971年には、観光業者に「売らない、貸さない、こわさない」の3原則を盛り込んだ住民憲章が決まり、住民が主役の町並み保存をめざしました。
「生きた博物館」づくりとも言える町並み保存は、全国に先駆けたものでした。
1976年、国の重要伝統的建造物保存地区の一つに初めて選ばれました。
記者の方は、小林さんの案内で実際に歩いてみたそうです。
「40年前は旅館は3軒だけ、食堂も土産屋もゼロだったんです」と小林さんは説明されます。
約200年前から続く旅館「松代屋」は、今でもふすまの仕切りです。
9代目主人の代田貞仁さんは「旅籠の雰囲気をあえて残しています」ということでした。
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外から来た役場の職員の方が魅力に気づき、今の妻籠につながったという話を興味深く感じました。
中山道は、江戸から京都までを内陸で結ぶ街道で、
東京都→埼玉県→群馬県→長野県→岐阜県→滋賀県→京都府と通るようです
(中山道マップhttp://www5.big.or.jp/~ejiri/nakasen/参照)。