ISAAC HAYES / HOT BUTTERED SOUL
08年8月10日、アイザック・ヘイズが亡くなりました。メンフィスの自宅で倒れているところを発見され、病院に運ばれましたが既に息を引き取っていたそうです。発見された時、近くにあったランニングマシンが動いたままの状態だったとか…。65歳でした。
アイザック・ヘイズは映画「黒いジャガー」のテーマ曲「Theme from Shaft」の大ヒットで知られる黒人ソウル・シンガー。いかついスキンヘッドに超低音ヴォイスというキャラも凄いですが、彼が黒人音楽界に与えた影響は計り知れません。
42年テネシー州生まれ。60年代前半にメンフィスのスタックス・レコードへ入り、キーボーディスト、ソング・ライターとして活躍。自身のアルバム・デビューは67年の「PRESENTING ISAAC HAYES」。ですが彼のシンガーとしての成功は69年の2nd作「HOT BUTTERED SOUL」(写真)から。このアルバムは当時のアナログ盤で長尺曲が片面2曲づつの計4曲しか入っていないという当時としては異例の作品。しかし3分間ポップスの寄せ集めではなく、自身の世界観をアルバム単位で表現し、ソウル・ミュージックを芸術の域へ高めた最も早い作品であり、ニュー・ソウルの幕開けと評価される作品です。しかも斬新なわりに大ヒットし、米R&Bチャートの1位を獲得しています。
さらにここからアイザック・ヘイズの快進撃が始まります。WIKIのチャート表を見ますと、「HOT BUTTERED SOUL」から、71年の「BLACK MOSES」まで4作連続でR&Bチャートの1位を獲得。サントラの「SHAFT」を入れれば5作連続です。しかもPOPチャートでも10位前後に顔を出し、さらにジャズ・チャートでも首位を獲得しているから面白い。確かにこの頃のヘイズはジャズ色も濃いんですよね。その後75年の「CHOCOLATE CHIP」まで大ヒットを続けています。
しかしピークは何と言っても「SHAFT」でしょう。映画「黒いジャガー」のサントラ盤ですが、米POP、R&B、JAZZ全てで1位に輝き、テーマ曲「Theme from Shaft」は黒人作曲家としては初めてのアカデミー歌曲賞を受賞しています。
この映画「黒いジャガー」は70年代のブラックシネマ・ムーヴメントの火付け役であり金字塔と言われる名作。ヘイズがスコアを担当したサントラはほとんどがインスト曲で、彼が作曲、アレンジ、プロデュースを一人で仕切り、作り上げた世界観は、その完成度と共に黒人アーティストとしての高い意識を世に示しました。ちなみにこの翌年にカーティス・メイフィールドの「SUPER FLY」がリリースされます。
この頃のアイザック・ヘイズはまさに黒人アーティストとしての扉を次々に開けていったイメージ。その扉をスティーヴィーもマーヴィンもカーティスも潜って行ったといっても過言ではないでしょう。
そして現在最高峰のR&Bアーティストの一人であり私も大好きなアリシア・キーズもヘイズからの影響を語っていたり。実際にヘイズの「Walk On By」をカヴァーしたり、リメイク版の「SHAFT」に曲を提供したりと、ヘイズへのリスペクトを表しています。彼の開けた扉は現在のR&Bへ続く扉でもあるのです。
何故、アイザック・ヘイズにそれが可能だったのか? それはやはりスタックスでの初期、裏方の仕事をしていた経験が大きいのではないでしょうか? その辺も含めて次回に続きます。
08年8月10日、アイザック・ヘイズが亡くなりました。メンフィスの自宅で倒れているところを発見され、病院に運ばれましたが既に息を引き取っていたそうです。発見された時、近くにあったランニングマシンが動いたままの状態だったとか…。65歳でした。
アイザック・ヘイズは映画「黒いジャガー」のテーマ曲「Theme from Shaft」の大ヒットで知られる黒人ソウル・シンガー。いかついスキンヘッドに超低音ヴォイスというキャラも凄いですが、彼が黒人音楽界に与えた影響は計り知れません。
42年テネシー州生まれ。60年代前半にメンフィスのスタックス・レコードへ入り、キーボーディスト、ソング・ライターとして活躍。自身のアルバム・デビューは67年の「PRESENTING ISAAC HAYES」。ですが彼のシンガーとしての成功は69年の2nd作「HOT BUTTERED SOUL」(写真)から。このアルバムは当時のアナログ盤で長尺曲が片面2曲づつの計4曲しか入っていないという当時としては異例の作品。しかし3分間ポップスの寄せ集めではなく、自身の世界観をアルバム単位で表現し、ソウル・ミュージックを芸術の域へ高めた最も早い作品であり、ニュー・ソウルの幕開けと評価される作品です。しかも斬新なわりに大ヒットし、米R&Bチャートの1位を獲得しています。
さらにここからアイザック・ヘイズの快進撃が始まります。WIKIのチャート表を見ますと、「HOT BUTTERED SOUL」から、71年の「BLACK MOSES」まで4作連続でR&Bチャートの1位を獲得。サントラの「SHAFT」を入れれば5作連続です。しかもPOPチャートでも10位前後に顔を出し、さらにジャズ・チャートでも首位を獲得しているから面白い。確かにこの頃のヘイズはジャズ色も濃いんですよね。その後75年の「CHOCOLATE CHIP」まで大ヒットを続けています。
しかしピークは何と言っても「SHAFT」でしょう。映画「黒いジャガー」のサントラ盤ですが、米POP、R&B、JAZZ全てで1位に輝き、テーマ曲「Theme from Shaft」は黒人作曲家としては初めてのアカデミー歌曲賞を受賞しています。
この映画「黒いジャガー」は70年代のブラックシネマ・ムーヴメントの火付け役であり金字塔と言われる名作。ヘイズがスコアを担当したサントラはほとんどがインスト曲で、彼が作曲、アレンジ、プロデュースを一人で仕切り、作り上げた世界観は、その完成度と共に黒人アーティストとしての高い意識を世に示しました。ちなみにこの翌年にカーティス・メイフィールドの「SUPER FLY」がリリースされます。
この頃のアイザック・ヘイズはまさに黒人アーティストとしての扉を次々に開けていったイメージ。その扉をスティーヴィーもマーヴィンもカーティスも潜って行ったといっても過言ではないでしょう。
そして現在最高峰のR&Bアーティストの一人であり私も大好きなアリシア・キーズもヘイズからの影響を語っていたり。実際にヘイズの「Walk On By」をカヴァーしたり、リメイク版の「SHAFT」に曲を提供したりと、ヘイズへのリスペクトを表しています。彼の開けた扉は現在のR&Bへ続く扉でもあるのです。
何故、アイザック・ヘイズにそれが可能だったのか? それはやはりスタックスでの初期、裏方の仕事をしていた経験が大きいのではないでしょうか? その辺も含めて次回に続きます。
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