ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
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フィル・ガイを偲ぶ

2008-09-22 19:04:10 | ブルース
BUDDY & PHILIP GUY / BUDDY & PHIL

在米ブルースギタリストの菊田俊介さんのブログによりますと、08年8月20日、シカゴ・ブルース・ギタリスト/シンガーのフィル・ガイが肝臓及び腎臓がんのため亡くなられたそうです。享年68歳。

フィル・ガイは御存知バディ・ガイの弟。40年ルイジアナ州生まれ。50年代に兄を追ってシカゴに出てきたそうです。しかしシカゴ・ブルース・レジェンドに登り詰めた兄の華々しい活躍に比べれば、その陰に隠れ大きな成功を収めることは出来なかったかもしれません。私も正直、フィル・ガイのソロ作は聴いたことがありませんし、見たことすらないかも…。しかし、ブルース・ファン及びシカゴ・ブルース界にとっては、また一人、大きな存在を失ったことには間違いありません。

実は私が初めて買った黒人ブルースのCDでサイド・ギターを弾いていたのがフィル・ガイなのです。そのCDとはバディ・ガイの「STONE CRAZY」。ブルース・カーニバルで初めて観たバディ・ガイに衝撃を受け、とりあえず買ったCDでした。今から18年ほど昔の話。ですがこの時はただただバディ・ガイが聴きたかっただけでしたし、ブルースに対する知識もほとんど無かったので、フィル・ガイをはじめとするバック・メンバーには全く興味がなかったんですよね~。すいません…。

で、私がフィル・ガイという名を初めて意識したのは「JUNIOR WELLS & BUDDY GUY」というアルバムを手にしたときかもしれません。「STONE CRAZY」から数年後に中古で手に入れました。これはジュニア・ウェルズとバディ・ガイが初来日した75年の第2回ブルース・フェスティバルの模様を収めたライヴ盤で、フィル・ガイはこの時、バック・バンドのリーダーとして来日していたんですね。私はこのCDのライナーを読んで、バディの弟フィルの存在を知ったのだと思います。

ですが正直、その頃はそんなにフィルの存在を意識していませんでした。もちろんバンド・サウンドの素晴らしさがあってこそのシカゴ・ブルースですし、だからこそ私もブルースへのめり込んで行ったのだと思うのですが、やっぱり耳は主役のアーティストへいってしまうんですよね~。

そんな私にとって、突如フィル・ガイの存在がクローズアップされたのが一昨年06年に発売されたジュニア・ウェルズの発掘ライヴ盤「LIVE AT THERESA'S 1975」でした。75年の来日公演直前の地元シカゴでのライヴ。ここで聴けるフィル・ガイのプレイがディープで良いんですよ! ブルース・ギターここにあり!って感じで、脂の乗ったウェルズにも負けない濃~いブルース臭を発散しています。

そしてこの発掘ライヴ盤の直後にリイシューされたのがバディとフィルの兄弟名義による「BUDDY & PHIL」(写真)。オリジナルは81年にイギリスのJSPレコードからリリースされたもの。このJSP時代のバディ・ガイは、一般的に“低迷期”と呼ばれたりしていますが、このアルバムはなかなか面白いです。

まず暴走気味にすら感じる強烈なファンク・ナンバーの「Funk Is The Skunk」と「Feeling Sexy」からして凄いですし、まるでクラブの中で音楽と観客が絡みつくような19分にも及ぶライヴ録音「Knock On Wood」もそうとうヤバイ。そしてこのアルバムではフィル・ガイのヴォーカルを3曲で聴くことが出来ます。やっぱり声質自体はバディによく似ていますが、バディのように激情的と言うかヒステリックな感じではなく、まろやかな味があります。

そしてこのJSP時代に、フィルも遅すぎるアルバム・デビューを果たしたそうです。82年リリースの「Red Hot Blues」と言う作品だそうですが、残念ながら私は未聴。


さて、菊田俊介さんのブログによりますと、80年代以降、フィルは自分のバンドで活動していたそうです。また今年の7月4日にアイオワ州ダヴェンポート市で行われた“ミシシッピー・ヴァレイ・ブルース・フェス"に出演したフィルは、すでに癌で体調を崩していたようで、20キロ近く痩せた上に、椅子に座って演奏していたそうです。菊田さんは「こうして死の直前までプレーしていたミュージシャンシップには頭が下がる。」と賛辞を送っていましたが、まったくその通りですね。

フィル・ガイさん、安らかに。




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