9月29日、シカゴ・ブルースを代表するギタリストの一人、オーティス・ラッシュが亡くなられました。享年84歳。
*オーティス・ラッシュの生年は、これまで1934年とされてきたようですが、最近は1935年が正しいと訂正された見解が多いそうです。1935年説ですと、享年83歳となります。)
1934年(1935年)、米ミシシッピ州の生まれ。シカゴへ移住の後、1956年の初シングル「I Can't Quit You Baby」を皮切りに新興コブラレコードへ数々の名演を吹き込みました。そのスクイーズに彩られた奔放なギターソロをフィーチャーしたエネルギッシュなブルースは、共に頭角を現してきたバディ・ガイ、マジック・サムと並び、シカゴ・ブルースを新たな形へと導きました。オーティス・ラッシュがコブラに残したシングルの数々は、ブルースの至宝として、今でも語り継がれています。そして60年代以降も、決して多作とは言えないものの、様々なレコード会社を渡り歩きながら、数々の名作を残してくれました。
そしてオーティス・ラッシュと言えば、やはりライヴですよね! 私が初めてオーティス・ラッシュのライヴを観たのは、たしか1992年、渋谷クラブクアトロでした。実はその2年前にバディ・ガイを観ていて、それが初めて体験した生のブルースでした。ロックしか知らない私にとって、その煽動的で破壊力を持ったブラックフィーリングは衝撃的だったんです。それからブルースにのめり込んでのオーティス・ラッシュですよ。クアトロのステージに現れた、大きな帽子を被ったオーティスの姿と、それを迎える観客の熱気が今でも思い出されます。オーティス・ラッシュはバディのように扇動的ではありませんが、もっと深いところからブルースのなんたるかを語りかけてくるようで、これがブルースか!!と、震えるように受けた感銘は今でも忘れられません。オーティス・ラッシュを生で観て、本物のブルースを知った、みたいな人って、結構多いんじゃないですかね?
その後も、オーティス・ラッシュは何度も来日してくれました。私も何度も観に行きましたし、ある時は最前被りつきで見ることも出来ました。そして最後になってしまったのは2004年のブルースカーニバルでしたね。あの時は脳梗塞が発症した直後で、その後遺症と闘いながらのステージとなってしまい、観ていてとても複雑な思いでしたね。でもあの時、よくキャンセルしないで来日してくれましたよね。思うような演奏が出来ず、とても悔しかったと思いますが、オーティスのプロ意識と、ファンを思う気持ちは、本当に素晴らしいいと思います。その後、出来ることならば、リハビリなどで回復してまた元気な姿を見せて欲しいと思っていましたが…。とても残念ですね。悲しいです。
これまで、沢山の素晴らしいブルースを、ありがとうございました。
オーティス・ラッシュさん、安らかに。
Otis Rush: I`Cant Quit You Baby
*オーティス・ラッシュの生年は、これまで1934年とされてきたようですが、最近は1935年が正しいと訂正された見解が多いそうです。1935年説ですと、享年83歳となります。)
1934年(1935年)、米ミシシッピ州の生まれ。シカゴへ移住の後、1956年の初シングル「I Can't Quit You Baby」を皮切りに新興コブラレコードへ数々の名演を吹き込みました。そのスクイーズに彩られた奔放なギターソロをフィーチャーしたエネルギッシュなブルースは、共に頭角を現してきたバディ・ガイ、マジック・サムと並び、シカゴ・ブルースを新たな形へと導きました。オーティス・ラッシュがコブラに残したシングルの数々は、ブルースの至宝として、今でも語り継がれています。そして60年代以降も、決して多作とは言えないものの、様々なレコード会社を渡り歩きながら、数々の名作を残してくれました。
そしてオーティス・ラッシュと言えば、やはりライヴですよね! 私が初めてオーティス・ラッシュのライヴを観たのは、たしか1992年、渋谷クラブクアトロでした。実はその2年前にバディ・ガイを観ていて、それが初めて体験した生のブルースでした。ロックしか知らない私にとって、その煽動的で破壊力を持ったブラックフィーリングは衝撃的だったんです。それからブルースにのめり込んでのオーティス・ラッシュですよ。クアトロのステージに現れた、大きな帽子を被ったオーティスの姿と、それを迎える観客の熱気が今でも思い出されます。オーティス・ラッシュはバディのように扇動的ではありませんが、もっと深いところからブルースのなんたるかを語りかけてくるようで、これがブルースか!!と、震えるように受けた感銘は今でも忘れられません。オーティス・ラッシュを生で観て、本物のブルースを知った、みたいな人って、結構多いんじゃないですかね?
その後も、オーティス・ラッシュは何度も来日してくれました。私も何度も観に行きましたし、ある時は最前被りつきで見ることも出来ました。そして最後になってしまったのは2004年のブルースカーニバルでしたね。あの時は脳梗塞が発症した直後で、その後遺症と闘いながらのステージとなってしまい、観ていてとても複雑な思いでしたね。でもあの時、よくキャンセルしないで来日してくれましたよね。思うような演奏が出来ず、とても悔しかったと思いますが、オーティスのプロ意識と、ファンを思う気持ちは、本当に素晴らしいいと思います。その後、出来ることならば、リハビリなどで回復してまた元気な姿を見せて欲しいと思っていましたが…。とても残念ですね。悲しいです。
これまで、沢山の素晴らしいブルースを、ありがとうございました。
オーティス・ラッシュさん、安らかに。
Otis Rush: I`Cant Quit You Baby
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