哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

「みんなちがって、みんないい」のか

2013-03-03 10:51:51 | 時事
金子みすずさんの詩はどれもすばらしいと思うのだが、久しぶりに中島義道氏の『私の嫌いな10の言葉』を読んでいたら、「わたしと小鳥とすずと」という題の詩の表題部分に関連して批判をしていた文章があった。。

「小学校の国語の教科書に(私の小学生時代にはなかったのですが)「みんな違ってみんないい」という言葉で終わる詩があり、テレビでその授業風景を見たことがあります。肌の色が白くても黒くても、男でも女でも、背が高くても低くても・・・・みんな違うけどみんないい。でも、それってウソなんじゃないかなあ、と画面を見ながら私はずっと呟いていましたし、子供のころ授業を受けたとしてもやはりそう思ったことでしょう。
じゃあ、殺人者も放火魔も強盗殺人も「みんないい」のかなあ。テストがいつも零点でも、殺される間際までいじめられても、親から毎日虐待され通しでも、「みんないい」のかなあ。そうじゃないから、生きるのがこんなに苦しいのに。」(『私の嫌いな10の言葉』より)

中島氏の言い方は、詩に対するというよりも、授業での取り上げ方をあげつらっているように思うが、金子みすずさんの詩そのものの批判にも聞こえる。「みんないい」とは、存在も行為も善も悪も全て肯定する意味なのか。いやそうではないだろう。詩はあくまで詩なのだから、全てをくどくど説明したりはしない。しかし中島氏は、暗黙の前提や空気を読むことを嫌うから、説明のない詩の内容を、教師が勝手に普遍化することを批判したのだろう。

同じ詩の内容を違った風に取り上げた本も最近読んだ。『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか?』(清流出版)という本で、ジャーナリストと物理学者の対談本なのだが、意外にも哲学的で面白い内容であった。

「「わたしと小鳥と鈴と」というタイトルなのに、最後の部分で語順がひっくりかえって「すずと、小鳥と、それからわたし」になっている。これは数学的なレトリックですね。「みんなちがってみんないい」だったらみんな勝手にしてもいいになるけれど、「ほかのものがあって、それからわたし」とわざわざひっくり返しているところがポイントです。私の存在は、あなたがいてからこその存在、だという視点ですね。金子みすゞの詩には数学的手法が入っているからおもしろい。」(『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか?』より)

やはり、こちらの詩の捉え方の方が素直で良いと思うのだが。