哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書)

2011-05-01 08:08:00 | 
 本の題名から、もしかしてこれまで認識していた杉原千畝像が変わってしまうのかも知れない、と危惧しながら読んだが、結局杉原千畝のヒューマニストたる面の印象はさして変更を迫られなかった。というか、杉原氏のヒューマニストたる一面は、あまり本書のテーマではないのだ。変わったとすれば、命のビザが守った敵はナチスではなく、ソ連からユダヤ人を守ったという点だろう。さんざん繰り返されているのは、杉原氏が諜報(インテリジェンス)について極めて有能であったとの話であり、戦前の日本外交において、結果として有能な情報士官(杉原氏を含め)の情報が必ずしも有効に用いられなかった点が日本の悲劇に大きく影響したとの内容だ。


 興味深かったのは、まさに命のビザを発給しながら、外務省にそのビザを安易に無効とさせないための工作を並行して行っている点だ。有能な情報士官は、本省にも全て手の内を明かさない面もあるそうだ。その意味で、同様のことが以前にもあったことが触れられている。ソ連に外交官として赴任を命じられたのにソ連からビザが発給されなかったことがあって、その理由は、杉原千畝氏に白系露人(反共産)の情報ネットワークの存在があることをソ連側が疑ったためだが、杉原氏は自国日本の外務省に対してもそのようなネットワークはない(実際には過去に白系露人の妻がいたくらいだから、ネットワークはあったはずと本書では指摘している)と答えたそうだ。有能な情報士官は、本省に対しても全ては開示しないという。しかし、結局それも究極的には国益のためだというのだが。


 本書は基本的に情報士官としての千畝氏にスポットを当てているので、杉原千畝氏の生涯の全てを描いているわけではないし、ビザを発行している最中の人道的なエピソードなどはほとんど書かれていない。さらに、著者は外務省内部の人だから、戦時中は不問にされたビザ問題が戦後に問題とされて杉原氏が外務省を辞めた経緯や、最近になってその名誉回復が図られた点までは触れられていない。しかし、杉原千畝氏という人物をより深く知るためには良い本だと思った。