哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

塩野七生さんの「日本人へ」64

2008-08-20 22:16:20 | 時事
 世間では今やオリンピックが話題の中心だが、少し前のサミットに関連して、今月の文藝春秋の掲題連載は、「サミット・雑感」であった。サミットはもうやめたらいいのではないか、と塩野さんはいう。サミットは、日本が他の国の顔色を気にせず正規メンバーでいられる、唯一の国際的な場であったのに、それを活かせなかったと。

 塩野さんによれば、そもそもサミットを始めたのは、安保理の機能不全への打開策だったのではないかという。5ヶ国が拒否権という強大なパワーをもつ安保理には常任理事国の追加は無理だし、5ヶ国に権力を集中している状態が現実と合わなくなってきた。そこで時代の変化に対応できる強国連合ということで、ドイツ・イタリア・日本も入れてもらったと。しかし、最近のサミット形骸化が著しい要因として、次の3つを塩野さんは挙げる。

1.経済サミットのはずが、その色が年々薄まっていること。かといっても政治はテーマではない(もしそうなら日本は絶対に招かれない)ので、何を話し合う場かわからなくなっている。

2.もともとは欧米的な考えの持主が集まる場に、ロシアを加えたこと。欧米的とは、「法」つまり共生に必要な「国際的ルール」を尊重し合うことであり、それを共有しない国を入れると、サミットでの討議結果は実行力を伴わない。

3.サミットの参加国や招待国の数が、年を追うごとに増えていること。考え方が多く集まれば集まるほど、正しく、かつ問題の解決によりつながる対策が立てられると信じているとしたら、人間性に無知というしかない。当事者を参加させれば問題の解決も早くなる、などという、人間性に無知でしかも偽善的な考えも、サミットを機能不全にしている。



 それぞれもっともだし、アエラに連載を持っているぐっちーさんのブログでも、今やサミットの8カ国では、経済的に大きな影響がないと書いていた。そのせいか、今回のサミットの招待国も随分多かったようだが、結果的に何か実行力のある結果が残ったかというと、何もない。それは明らかに塩野さんの指摘する、とくに上記3の要因なのだろう。

 真に経済力と実行力と遵法精神のある国のみが集まり、国際的な経済問題を解決する意思を明確にもって討議すれば、もっとも効果的なのだろうが、果たしてそのような国際会議は可能なのか。