かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

モンゴルにもっていけるだろうか?

2011-07-22 21:05:06 | わがうちなるつれづれの記
 隣の家にゴミを持っていけるだろうか?
 お互いに話し合ってなら、ありうることかもしれない。
 裕福なお家の人が、お金を出して、隣の貧しいお家に持っていくというのは、
 ありうることかもしれない。
  でも、なにか釈然としないものが残る。

 普段、新聞は、読んでいない。引っ越してきて、新聞の定期購読をしていない。
読むときは、食堂とか喫茶店で、手持ち無沙汰のときだけ。
 何日か前、津の病院に定期診療に行った時、蕎麦屋さんに寄った。
 「モンゴルで核処分構想」という見出しが目に入る。
 
 日本とアメリカとモンゴルの三国間で「包括的燃料サービス構想」の合意文書原案が出来たという
記事だった。
 モンゴルはウランの輸出と、使用済み核燃料の貯蔵施設をモンゴル内につくる。
 その施設をつくる技術は、IAEAが協力する。

 そういう話が、福島原発事故の終息の見通しがついていない時にも、着々とすすんでいる。
 ぼくの気持ち。核廃棄物をモンゴルまで持って行ってほしくない。
 核廃棄物の処理が、次世代以降の人類はじめ、生きとし生けるものすべて、宇宙自然に
禍根を残さないという確証を得て、先ず日本国内でやってほしい。
 
 モンゴルには友人がいる。その人たちは、そういう日本の動きを喜ばないように思う。
 一人の人間として、さらに考えていきたい。
 


 

チェルノブイリ子ども基金の人から写真が届く

2011-07-22 14:08:40 | わがうちなるつれづれの記
 3年前、チェルノブイリ子ども基金から募集があったので、里親に応募した。
 なんで、そんな気持ちになったのか、はっきり説明できない。
 でも、二年間、毎月、なにがしかのお金を基金を通して、仕送りした。
 その子の母親が結婚するなど、事情が好転したので、今年一月からは、別の女の子の
里親になった。

 子ども基金の佐々木真理さんは、先月ベラルーシのサナトリウムで行われた
「腫瘍病の子どものための特別保養」を視察してきた。その時、撮った里子の女の子の
写真を送ってくれた。(写真、左の子)


 女の子は、1995年12月生まれ。ベラルーシ・ゴメリ市で母子家庭。
 母上の歳はわからないけど、1986年のチェルノブイリ事故のときは、おそらく小学生ぐらいだろう。
そのときに放射能を浴びている。生まれた子どもに、その影響と思われる症状が出ているのだ。
その女の子は2010年にガン手術をしている。

 子ども基金の佐々木さんに、お礼のメールを送った。
「写真ありがとうございます。
 ナースチャさんは、もう高校生になったのですかね?  
 画像が鮮明なので、友達とかと表情を見比べながら、その一人ひとりが、
口を開いて、しゃべりはじめたら、どんなことを話すのか、
一人ひとり、いろんなことを話すだろうし、コトバにならない気持ちも
いっぱいいっぱいあるだろうなとか、いろいろ想いを馳せました。
 書道では、「愛」とか「幸福」とか「平和」と書いていましたが、そういうことについても、
こころの奥では、どんなふうに思っていて、口ではなにかと言えなくても、実際に見えてる世界は、
彼女ら一人ひとりのなかは、どうなっているのだろう?
  そんな思いにかられながら、いまのこの日本に暮らす自分や自分たちのことを思わずにはいられません。


 3・11の大地震・津波・福島原発事故のあと、以前読んだことのある、武谷三男編「原子力発電」を読み返しました。高木仁三郎さんの「プルトニュウムの恐怖」広河さんの「チェルノブイリ報告」も読み返しました。
 正直、これだけ刻銘に冷静に原子力発電の危険が分析されているのに、それに耳をかたむけることができなかった、ぼくら人間の愚かさ・・そして、原子力を進めてきた当事者の、事故対応。
 いまも、原子炉内の状況をハッキリ言わないで、途方もない被害を世界、人類に拡散しつつあるらしいこと。
 ジャーナリズムも、そのありのままを言わない。
 
 福島で、高校生の総合文化交流の催しを8月にやるとか。全国から、一万人以上の高校生が汚染地域にあつまってくるとか。そこに暮らしている人たちや子どものことを考えても、そこでこれから暮らしていけるかの苦渋の選択のなかに、心底では、いるようなのに、この動き、そのところどんなふうにとらえているのだろう?

 ちょっと、興奮していますね。すいません。
 ナースチャさんの写真を見て、彼女のこころのなかのこと、思っています。
最近、乙骨淑子さんの「十三歳の夏」を読みました。主人公の女の子の内面世界が、瑞々しい文体で書かれて
いました。彼女は、あえてじぶんが心休まる人々がいる世界から、いまは冷たい人が待つ世界にとび込んでいきます。冷たい人のなかに、人間の息遣いがあることを予感しながら・・

 ナースチャさんが、友達とともに、豊かなこころで暮らしていけるよう、ねがっています。」

 





 

セミが鳴きはじめた日に・・

2011-07-22 11:16:02 | 鈴鹿川流域の暮らし
 台風一過とかかわりがあるのだろうか、7月21日朝、セミが一斉に鳴きはじめた。「ミイミイ」とも「ニイニイ」とも聞こえる。

 朝7時半ごろ、玄関からチャイムが鳴った。「はーい」と小浪がいそいそ出て行く。
 その日は、鈴鹿市の子育て支援プロジェクトの資格を取った小浪が、地元に住む家族の男の子を
はじめて預かる日だった。
 預かるといっても、我が家の前にある学童保育所”飛行機雲”が、夏休みは朝8時から開くので、病院勤めをしているお母さんが30分だけ預かってほしいというのである。
 夕方は家まで送ってやる。

 その子は、飯野小学校の四年生。孫娘の風友(ふゆ)と同じ学校で、同学年。
 その子は、おずおずと、居間にやってきた。小浪は、昨日部屋に飛び込んできたというセミを渡してやる。
 「なんというセミか知ってる?」
 「ううん」
 「クマゼミというのよ」
 小浪と男の子は、どことなくぎこちない。ぎこちないところが、初々しくておもしろい。



 昼前、公園前を通りかかると、子どもたちが樹の下にたかって、虫とり網をふりふり、ワイワイ騒いでいる。セミ取りだ。虫カゴには、生きたセミと抜け殻がいくつか入っている。
 高校生ぐらいのお兄さんもいる。
 「なにゼミだい?」と聞く。
 「クマゼミ」と口を開けずに答えた。
 子供たちが「あそこ、あそこ」と叫ぶ。お兄さんは、そこに静かに網をもっていって、「エイ」とやったが、あっという間に逃げられた。お兄さんは、子どもたちにお背を向けて、無言で虚空に目をやった。
 
 朝、我が家に来た子は、サッカーをやっていた。

 樹の下には、セミの幼虫がはい出してきた穴がいっぱい開いている。
「ここが、セミの住まいだったんだ」とぼく。
 「知ってる」と子どもたち。


 昆虫記のファーブルは、セミについての不思議をいくつも自問している。
 セミの幼虫は四年間、地中地中で暮らす。穴を掘った後、土が相当出るはずだけど、それが外に排出されていないのは、なぜか?
 地中のなかで、体内に水をたもっているのは、なぜか?
 生存期間4,5週間のあいだ、あんなにも鳴き続けるのは、なんのためか?

 自分の子供の頃の夏はどうだったんだろう?
 この歳になって、夏の日々をどんなにくらすのだろう。
 セミの鳴き声を聴きながら、考える。
 この合唱が、セミたちの生きるよろこびの声とききとれるかな?

 朝、やってきた男の子は、明日もくるかな?


 

スイスから猛暑の日本にやってきた

2011-07-21 16:49:27 | アズワンコミュニテイ暮らし
 やってきたのは、ゼンピ久美さんと長女ユリア、次女アイラのお三かた。
7月18日、その日は京都から鈴鹿にやってきた。レンタカーを一カ月借りている。
鈴鹿カルチャーステーションで本山照子さんとぼくがお出迎え。


 今から、5年前、ぼくら夫婦は真冬にパトリック・久美さん一家を訪ねている。
ルッツエンという街の郊外、家からはピラトス山の白い雄姿が展望出来た。
そのとき、ユリアもアイラも、日本暮らしから、スイスに引っ越したばかりで、
ドイツ語に苦労していた。身体も、まだ小さかった。アイラは愛らしかった。
 一目見て、びっくり。写真撮ろうと言ったら、「じやあ、立って撮ろう」と久美さん。
「わああ、あれあれ、ユリアはぼくと変わらない」ぼくは、174センチ。
ユリア、今年9月中学3年。アイラは、中学1年になる。


 翌日の夜、三人を我が家にご招待した。
 メニュはトンカツ。
「トンカツ好きかい?」
「やったあ、大好き。スイスでは、あんまり食べてない」とユリアとアイラ。
「パトリックさんの身体、考えて、揚げ物をあんまりしないのでね」と久美さん。


 同居人狩山雄一くんも、加わる。
 久美さんと雄一くんは、高校生のとき、同期で、同じところで暮らしていた。
 ユリアとアイラは、あたりまえに日本語で話していた。
 雄一くん「ちょっと、ドイツ語で話してみて・・」と彼女らに言った。
 「そんなこといわれても、どうやって、ドイツ語に切り替えるのよ」といった反応に見えた。
 でも、話の流れで、ユリアとアイラだけの話題になったら、一挙にドイツ語になった・
 雄一くん「かっこいい!」としきりに感嘆。



雄一くんと久美さんが、高校生時代の思い出話をひとしきり。

 あっという間に10時を過ぎた。いよいよ、明日台風6号が三重県に最接近。雨も強くなりそう。
 三人はレンタカーで、宿泊先のゲストハウスに帰った。
 7月30日まで、滞在する。その間、ユリアやアイラの小学校時代の友達に会ったり、コミュニテイーの人たちと出会ったりするようだ。







桃の葉がミルフィーユになって・・

2011-07-20 18:49:32 | アズワンコミュニテイ暮らし
 台風6号が四国に接近しているらしい。時折、激しい雨。
 7月18日夜、長澤文則さんが豊里から中井さん宅にやってきた。晩酌しながら、夕食。大平さんとぼくもご相伴に預かった。ひさしぶりのひとときだった。
 お料理は、中井佳子さん。コミニュテイ食堂と名乗っているだけあって、こんな内輪の席でもちょっとしたメニューだった。
 キューリのサラダ
 細の目に切ったポテトのチジミ焼き風
 東南アジア系の生春巻
 鶏肉で、酢豚風味で炒めたもの。
 あと、もい一品あったけど、思いだせない。
 さいごに、「辛いのでご飯にかけて食べてね」とだしてくれた、タイ風豚肉と野菜の煮たもの。
 
 佳子さんは、そこまでテーブルに出して、同席しなくなった。
 夜が更け、先ほどまでの雨音も静かになった。
 長澤さんが、タイ風煮物をご飯に載せて食べた。「うまい!」と言う。長澤さんは、舌が肥えている。彼が言うのだから、けっこういけるのかなと思った。

 デザートに、中井さんが袋に入ったお菓子を出してきた。
 「これって、街のはたけ公園で、近所のおばさんから貰ったものかな?」と聞く。「そうだ」という。
 洋菓子のようで、「白桃」と「ミルフィーユ」と書いてあった。製造は山梨。
 長澤さんが、自分で切って、食べはじめる。「いけるよ」と言う。
 「ミルフィーユって、なんだ?」と中井さん。
 「ミルフィーユというのは、フランス語で千枚の葉っぱと言うんだぜ。パイ生地を何層にも重ねて・・」と蘊蓄を披露、長澤さん。
 「そのお菓子って、中井さんが近所のおばさんのところに、桃の葉を持って行ってあげて、そのお返しじゃないの?」とぼく。
 
 中井さんが、街のはたけ公園に居たら、女の人が二人、母子のようだけど、ここに桃の木はないかと聞かれた。その方は、このはたけ公園の地主さんの一人だった。どうも娘さんの皮膚が荒れていて、それには桃の葉が効くということらしい。
 「ここにはないけど、友達のところにあるので、後で持っていきますよ」と中井さん。友達のところになくて、その隣の家に桃の木があったので、眺めていた。不審者と見られそうになったけど、事情を話したら、何枚でも要るだけ持っていけと言ってもらった。「それで、その地主のお母さんとこに届けたんだ」

 「桃の葉が、ミルフィーユに変わった?しかも、白桃入りのクリームが入っている・・」
 「そのお母さん、ミルフィーユが千枚の葉という意味だと知って、わざわざ白桃ミルフィーユを中井さんに届けたのだろうか?」
「だとすると・・・これは。ただのお菓子ではない・・・」
「気持ちをお菓子に託している・・」

 そこへ、一寝入りしたらしく、佳子さんが起きてきた。
 わいわい言っている席に座る。
 中井さんが、ミルフィーユを佳子さんに勧める。そして、ミルフィーユ物語を語った。
 佳子さん「わらしべ長者の話からいくと、貰ったものは食べないで、次に生かしたら長者になるというけどね」
 一同「・・・・」

 台風6号は、明後日三重地方に最接近という。12時前、外は静まりかえっている。
 長澤さん、ときどきは出かけてくださいね。

(しらべて、分かったこと)
 ・このミルフィーユは、山梨のお菓子屋さんのもの。山梨は日本一の桃の産地だということ。
 ・「夏の土用は桃湯に入る」という慣習があったらしい。山梨では、それが盛ん?
 ・桃の葉はとても細かい毛に覆われていて、さわるとかぶれることがあるらしい。それを、逆手にとって、古人はかゆみを抑える効果を見出して、薬用にした。日焼け、あせも、しっしん、虫さされに効能。毛穴をきっと、ひきしめる作用あり。