かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

そう思ってやっていたら、そうなっていくか?

2011-07-18 18:53:39 | サイエンズ研究所のある暮らし
 誰とでも仲良くなりたいと思って、そういう思いから、何かをしていたら、いずれそうなっていくのではと、考えてきたようだ。そういうときの自分のなかは、どうなっているのだろう?こころの目が外を向いているようだ。ああしたらどうか、こうしたらどうだろうかと、忙しい。
 良かれと思っていろいろやる。自分の目から見て、思ったようにいかないときは、また次の手を考える。
 やっても、やってもならない時は、自分を見つめる努力が足りないからだと、自分をもっと正しいものにしようと、また努力する。良いことに向かっていると考えているからか、じぶんが努力しているという意識があまりない。
 
 「技術出し惜しみの批難に対して」のなかの一節。
 「自分が先取りしてからでなく、自分より遅れている人、弱い人の手を曳いて誘い合い、待ち合わして、同じ歩調で進みたいです」
 ”自分が先取りしてからでなく・・”
 じぶんをなんとかしたいというような思いの時って、いままでは「じぶんは真面目にじぶんに向き合っている」ぐらいに、自負の気持ちさえあったように思うけど、最近はどうも、このへんが、あやしい、あぶないのではないかと、感じるようになてきた。
 「心の狂った人の部類」という言い方もあるけど、もともとじぶんのなかにあるまともな心、たとえば「自分一人で生きていけない、たえずひととともにの心であふれている」のに、じぶんでなんとかせにゃならんという狭
い、小さい、暗い世界、このあたりを、こころが狂っているというのではないか。
 「ひととともに」と口先の人、そう頭では思っていても、「豹変しそうな
人」、じぶんのなかのどこを見るか、ともに生きている凡ての人々のなかの、どこみていくか