かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

大豆の芽が出た!

2011-07-22 22:20:19 | アズワンコミュニテイ暮らし
 22日夕方、街のはたけ公園に行くと、中井さんがミカンの苗木の下の草刈りをしていた。
 
 ミカンの苗木の西隣の三畝ほどの畑がある。
 台風6号が接近しつつある17日朝に大豆を播いた。
 中井さんから、「種まきにかかわっておいてほしい」と聞いて、「よし」と二人で播いた。
 途中から、小浪も来た。午後からは、大平さんも播いたという。

 「大豆の芽が出てるよ」と草刈りの手を止めて、中井さんが隣の畑を見にきた。
 たしかに、双葉が出ている。

 中井さんは、「三河島大豆だ」と言った。「徳川家康が三河から江戸にもってきたものだ」とも言った。
 でも「それが、どうしたって?」というのが、正直な気持ちである。
 いずれ、「そうだったのか!」とおどろくときがくるのだろうか。
 先の楽しみに、とっておこう。

モンゴルにもっていけるだろうか?

2011-07-22 21:05:06 | わがうちなるつれづれの記
 隣の家にゴミを持っていけるだろうか?
 お互いに話し合ってなら、ありうることかもしれない。
 裕福なお家の人が、お金を出して、隣の貧しいお家に持っていくというのは、
 ありうることかもしれない。
  でも、なにか釈然としないものが残る。

 普段、新聞は、読んでいない。引っ越してきて、新聞の定期購読をしていない。
読むときは、食堂とか喫茶店で、手持ち無沙汰のときだけ。
 何日か前、津の病院に定期診療に行った時、蕎麦屋さんに寄った。
 「モンゴルで核処分構想」という見出しが目に入る。
 
 日本とアメリカとモンゴルの三国間で「包括的燃料サービス構想」の合意文書原案が出来たという
記事だった。
 モンゴルはウランの輸出と、使用済み核燃料の貯蔵施設をモンゴル内につくる。
 その施設をつくる技術は、IAEAが協力する。

 そういう話が、福島原発事故の終息の見通しがついていない時にも、着々とすすんでいる。
 ぼくの気持ち。核廃棄物をモンゴルまで持って行ってほしくない。
 核廃棄物の処理が、次世代以降の人類はじめ、生きとし生けるものすべて、宇宙自然に
禍根を残さないという確証を得て、先ず日本国内でやってほしい。
 
 モンゴルには友人がいる。その人たちは、そういう日本の動きを喜ばないように思う。
 一人の人間として、さらに考えていきたい。
 


 

チェルノブイリ子ども基金の人から写真が届く

2011-07-22 14:08:40 | わがうちなるつれづれの記
 3年前、チェルノブイリ子ども基金から募集があったので、里親に応募した。
 なんで、そんな気持ちになったのか、はっきり説明できない。
 でも、二年間、毎月、なにがしかのお金を基金を通して、仕送りした。
 その子の母親が結婚するなど、事情が好転したので、今年一月からは、別の女の子の
里親になった。

 子ども基金の佐々木真理さんは、先月ベラルーシのサナトリウムで行われた
「腫瘍病の子どものための特別保養」を視察してきた。その時、撮った里子の女の子の
写真を送ってくれた。(写真、左の子)


 女の子は、1995年12月生まれ。ベラルーシ・ゴメリ市で母子家庭。
 母上の歳はわからないけど、1986年のチェルノブイリ事故のときは、おそらく小学生ぐらいだろう。
そのときに放射能を浴びている。生まれた子どもに、その影響と思われる症状が出ているのだ。
その女の子は2010年にガン手術をしている。

 子ども基金の佐々木さんに、お礼のメールを送った。
「写真ありがとうございます。
 ナースチャさんは、もう高校生になったのですかね?  
 画像が鮮明なので、友達とかと表情を見比べながら、その一人ひとりが、
口を開いて、しゃべりはじめたら、どんなことを話すのか、
一人ひとり、いろんなことを話すだろうし、コトバにならない気持ちも
いっぱいいっぱいあるだろうなとか、いろいろ想いを馳せました。
 書道では、「愛」とか「幸福」とか「平和」と書いていましたが、そういうことについても、
こころの奥では、どんなふうに思っていて、口ではなにかと言えなくても、実際に見えてる世界は、
彼女ら一人ひとりのなかは、どうなっているのだろう?
  そんな思いにかられながら、いまのこの日本に暮らす自分や自分たちのことを思わずにはいられません。


 3・11の大地震・津波・福島原発事故のあと、以前読んだことのある、武谷三男編「原子力発電」を読み返しました。高木仁三郎さんの「プルトニュウムの恐怖」広河さんの「チェルノブイリ報告」も読み返しました。
 正直、これだけ刻銘に冷静に原子力発電の危険が分析されているのに、それに耳をかたむけることができなかった、ぼくら人間の愚かさ・・そして、原子力を進めてきた当事者の、事故対応。
 いまも、原子炉内の状況をハッキリ言わないで、途方もない被害を世界、人類に拡散しつつあるらしいこと。
 ジャーナリズムも、そのありのままを言わない。
 
 福島で、高校生の総合文化交流の催しを8月にやるとか。全国から、一万人以上の高校生が汚染地域にあつまってくるとか。そこに暮らしている人たちや子どものことを考えても、そこでこれから暮らしていけるかの苦渋の選択のなかに、心底では、いるようなのに、この動き、そのところどんなふうにとらえているのだろう?

 ちょっと、興奮していますね。すいません。
 ナースチャさんの写真を見て、彼女のこころのなかのこと、思っています。
最近、乙骨淑子さんの「十三歳の夏」を読みました。主人公の女の子の内面世界が、瑞々しい文体で書かれて
いました。彼女は、あえてじぶんが心休まる人々がいる世界から、いまは冷たい人が待つ世界にとび込んでいきます。冷たい人のなかに、人間の息遣いがあることを予感しながら・・

 ナースチャさんが、友達とともに、豊かなこころで暮らしていけるよう、ねがっています。」

 





 

セミが鳴きはじめた日に・・

2011-07-22 11:16:02 | 鈴鹿川流域の暮らし
 台風一過とかかわりがあるのだろうか、7月21日朝、セミが一斉に鳴きはじめた。「ミイミイ」とも「ニイニイ」とも聞こえる。

 朝7時半ごろ、玄関からチャイムが鳴った。「はーい」と小浪がいそいそ出て行く。
 その日は、鈴鹿市の子育て支援プロジェクトの資格を取った小浪が、地元に住む家族の男の子を
はじめて預かる日だった。
 預かるといっても、我が家の前にある学童保育所”飛行機雲”が、夏休みは朝8時から開くので、病院勤めをしているお母さんが30分だけ預かってほしいというのである。
 夕方は家まで送ってやる。

 その子は、飯野小学校の四年生。孫娘の風友(ふゆ)と同じ学校で、同学年。
 その子は、おずおずと、居間にやってきた。小浪は、昨日部屋に飛び込んできたというセミを渡してやる。
 「なんというセミか知ってる?」
 「ううん」
 「クマゼミというのよ」
 小浪と男の子は、どことなくぎこちない。ぎこちないところが、初々しくておもしろい。



 昼前、公園前を通りかかると、子どもたちが樹の下にたかって、虫とり網をふりふり、ワイワイ騒いでいる。セミ取りだ。虫カゴには、生きたセミと抜け殻がいくつか入っている。
 高校生ぐらいのお兄さんもいる。
 「なにゼミだい?」と聞く。
 「クマゼミ」と口を開けずに答えた。
 子供たちが「あそこ、あそこ」と叫ぶ。お兄さんは、そこに静かに網をもっていって、「エイ」とやったが、あっという間に逃げられた。お兄さんは、子どもたちにお背を向けて、無言で虚空に目をやった。
 
 朝、我が家に来た子は、サッカーをやっていた。

 樹の下には、セミの幼虫がはい出してきた穴がいっぱい開いている。
「ここが、セミの住まいだったんだ」とぼく。
 「知ってる」と子どもたち。


 昆虫記のファーブルは、セミについての不思議をいくつも自問している。
 セミの幼虫は四年間、地中地中で暮らす。穴を掘った後、土が相当出るはずだけど、それが外に排出されていないのは、なぜか?
 地中のなかで、体内に水をたもっているのは、なぜか?
 生存期間4,5週間のあいだ、あんなにも鳴き続けるのは、なんのためか?

 自分の子供の頃の夏はどうだったんだろう?
 この歳になって、夏の日々をどんなにくらすのだろう。
 セミの鳴き声を聴きながら、考える。
 この合唱が、セミたちの生きるよろこびの声とききとれるかな?

 朝、やってきた男の子は、明日もくるかな?