3年前、チェルノブイリ子ども基金から募集があったので、里親に応募した。
なんで、そんな気持ちになったのか、はっきり説明できない。
でも、二年間、毎月、なにがしかのお金を基金を通して、仕送りした。
その子の母親が結婚するなど、事情が好転したので、今年一月からは、別の女の子の
里親になった。
子ども基金の佐々木真理さんは、先月ベラルーシのサナトリウムで行われた
「腫瘍病の子どものための特別保養」を視察してきた。その時、撮った里子の女の子の
写真を送ってくれた。(写真、左の子)
女の子は、1995年12月生まれ。ベラルーシ・ゴメリ市で母子家庭。
母上の歳はわからないけど、1986年のチェルノブイリ事故のときは、おそらく小学生ぐらいだろう。
そのときに放射能を浴びている。生まれた子どもに、その影響と思われる症状が出ているのだ。
その女の子は2010年にガン手術をしている。
子ども基金の佐々木さんに、お礼のメールを送った。
「写真ありがとうございます。
ナースチャさんは、もう高校生になったのですかね?
画像が鮮明なので、友達とかと表情を見比べながら、その一人ひとりが、
口を開いて、しゃべりはじめたら、どんなことを話すのか、
一人ひとり、いろんなことを話すだろうし、コトバにならない気持ちも
いっぱいいっぱいあるだろうなとか、いろいろ想いを馳せました。
書道では、「愛」とか「幸福」とか「平和」と書いていましたが、そういうことについても、
こころの奥では、どんなふうに思っていて、口ではなにかと言えなくても、実際に見えてる世界は、
彼女ら一人ひとりのなかは、どうなっているのだろう?
そんな思いにかられながら、いまのこの日本に暮らす自分や自分たちのことを思わずにはいられません。
3・11の大地震・津波・福島原発事故のあと、以前読んだことのある、武谷三男編「原子力発電」を読み返しました。高木仁三郎さんの「プルトニュウムの恐怖」広河さんの「チェルノブイリ報告」も読み返しました。
正直、これだけ刻銘に冷静に原子力発電の危険が分析されているのに、それに耳をかたむけることができなかった、ぼくら人間の愚かさ・・そして、原子力を進めてきた当事者の、事故対応。
いまも、原子炉内の状況をハッキリ言わないで、途方もない被害を世界、人類に拡散しつつあるらしいこと。
ジャーナリズムも、そのありのままを言わない。
福島で、高校生の総合文化交流の催しを8月にやるとか。全国から、一万人以上の高校生が汚染地域にあつまってくるとか。そこに暮らしている人たちや子どものことを考えても、そこでこれから暮らしていけるかの苦渋の選択のなかに、心底では、いるようなのに、この動き、そのところどんなふうにとらえているのだろう?
ちょっと、興奮していますね。すいません。
ナースチャさんの写真を見て、彼女のこころのなかのこと、思っています。
最近、乙骨淑子さんの「十三歳の夏」を読みました。主人公の女の子の内面世界が、瑞々しい文体で書かれて
いました。彼女は、あえてじぶんが心休まる人々がいる世界から、いまは冷たい人が待つ世界にとび込んでいきます。冷たい人のなかに、人間の息遣いがあることを予感しながら・・
ナースチャさんが、友達とともに、豊かなこころで暮らしていけるよう、ねがっています。」