かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

南の隣人の訃報をうけとる

2011-10-13 08:10:40 | わがうちなるつれづれの記
 10月10日、中井佳子さんから、南の隣人、タイ在住の川田勇さんが亡くなったと知らされた。
 原因のわからない症状が7月から続き、意識がなくなったり、戻ったりしながら、
帰らぬ人になった。
 
 10月14日、長年、川田さんの奥さんの両方と親しくしていた稲垣喜美さんと中井佳子さんが
弔問に行くと聞いた。
 川田さんがどんな気持ちで病の床にいたか、ほとんど伝わってこなかった。
 奥さんが、あらゆる手立てのかぎりを尽くして、病院を選び、看病してきたか、これも
人伝てに耳にはいってきたけれど、いまの彼女がどんな気持ちでいるか、わからない。
 喜美さんと佳子さんが、その辺を受け止めてきてくれることを祈りたい。

 川田勇さん。昭和6年生まれ、80歳。
 ヤマギシの村にやってきたのは、たしか1993年前後かと思う。
 それまでは、農協の経営再建の仕事をしてきたと聞いている。
 彼には、"循環農業"を広めていきたいという夢があった。
 よく語る人であったけど、じっさいに自分もやっていく人だった。
 ヤマギシの村に来た頃は、農業の講演会が各地で企画され、東奔西走であった。

 そのうち、その動きも減ってきて、自ら鍬っをもつ暮らしになった。
 タイにあるヤマギシの実顕地に交流するようになり、タイの人々や自然環境に
触れながら、彼の夢である循環農業をタイの地でやってきたいという構想を温めて
いった。
 2003年ごろ、”パラダイス・ファーム”となずけて、タイでも、日本でも、検討機会に
公開して、彼は熱心に、その実施を説いた。

 「周囲の状況を鑑て」とか、「タイに実顕地をつくった目的」とか、ぼくはそこから
考えていた。川田さんが、人生をそこにつぎ込もうとしている実際に、そちらのほうに
関心があっただろうか。
 「それをやるか、やらないか」で考えていた思う。
 「いまは、やらない」というのがぼくの考えだったし、気持ちだった。
 隣人として、「いまはやめといたら・・」ということは、いくらでも言えると今は思える。
でも、そのとき、ぼくは川田さんの願いを「やめさせられる」というのが、こころの内に
あったように思う。

 彼は、結局ヤマギシの生活機関を離れて、一人の人として、"パラダイス・ファーム"を
やり始めた。
 その形が、長年タイの実顕地でやっているタイ人の一家といっしょということだったので、
タイ実顕地の人や、そしてぼくも、「川田さん、よかったね」というには、正直なにか残る
ものがあった。

 いま、川田さんの訃報に接して、このへん、もっとじぶんのなかを見てみてみたい感じが
している。
 今は、「最後まで、夢の実現にかけられてよかったなあ」というのがあるけど、それはどこまでも
ぼくの感じていることで、実際の川田さんはどんなだったんだろう?
 川田さんは、そんな意味で、ぼくのなかに生きつづけるのではないか。

 川田さん、ご冥福を祈ります。                        合掌

                                  





 

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