かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

インタビュー

2018-06-10 15:03:26 | アズワンネットワークのある暮らし

おととい、サイエンズアカデミー生の岡田拓樹(大学休学中)くんと

ミノワ零生(20代、日系二世)くんがわが家を訪ねてきてくれた。

何事かと思いきや、宮地のこれまでの歩みを聞かせてほしい、という

ことだった。「えっ?」びっくりした。

若い人から、そんなこと聞かれたことないし、困惑・ドギマギした。

 

大学時代から話した。

授業は受けないし、授業料も途中から払わなくなって、好きなこと

していたら、4年生のとき除籍になった。

そのころ、鶴見俊輔さんや思想の科学とすこし関わりがあったと

話したら、岡田拓樹(タッキー)がぼくの大学の教官は鶴見さんの

お弟子だったという。

誰かと聞いたら、「辻信一さん」だった。

 

生きるアテもないので、新聞販売店に寄宿して、配達をして、余った

時間は横浜港の荷揚げ作業のアルバイトした。

つかれきって、サラリーマンになろうとしたら、発展途上国へ技術研修を

している財団の職員になれた。

研修生用の寄宿舎に泊まりこんで、5年。

最後はお酒に溺れて、人間関係に疲れて、しばらく逃避の旅に

でようとして、一週間のヤマギシ会のセミナーに参加した。

27歳のとき。何か高い志があったわけではない。

 

その半年後、ヤマギシズム生活調正機関なるものに参画した。

「なぜ参画したんですか?」

二人の青年が身を乗り出した。

いまから言えば、最もらしい理屈を言えないこともないし、言って

きたけど、それを言葉にすると空虚な気持ちになる。

そのときは、大分、迷ったけど、何か、「誰もが幸せに暮らせる社会」の

実現はどう考えても、生涯をかけてもいいと言う気持ちだったのは覚えて

いる。

 

二人は「はあ」といった反応に見えた。

 

以後、35年ヤマギシに打ち込んできた。

こんな話しが若い二人の参考になるのかなあ。

 

ごく、大雑把にヤマギシの社会の仕組みが「提案と調正」で

運営されていたと話した。

二人は「それってどんなことですか?」みたいな反応だった。

何か買いたいとか、行きたいというときは調正機関に提案して、

調正してもらう。(普通の感覚で言えば、許認可をもらうという

ことになるかな。その深い理はあったけもしれないが、自分を

知らないぼくは、現象面ではやる、やらないで、対応していた

と思う)

「そのとき、調正の係りを10年ばかりしていた」

この時期のこと話せば、いろいろな体験をして、いろいろな気持ち

になった。理想社会は、「決してその人の意思を妨げない」という

のを元にしていると、思ってきた。そこからみると、少しどこかで、

疑問を持ちながらやっていた。

このことは、細かく聞かれたら、当時のことを思い出せないことも

ないが、何を伝えていいか分からない。

 

2000年前後に、そういう仕組みは理想社会実現にならないという

意見が出てきて、ヤマギシ会から離れて、「本当の生き方、それが

出来る社会」の研究をしようという有志の動きがあった。

ぼくは、その人たちの考え方に共感していたが、ヤマギシを離れる

という決断はしなかった。

 

その7年後、35年いたヤマギシ会を離れるときのことも話した。

2008年、ヤマギシで小野雅司さんが青年たちを対象に集中セミナー

なるものしてくれた。

ぼくの記憶では、青年たちのなかには、ヤマギシの特別講習会に

一週間参加している人もいた。その直後のセミナーだった。

集中セミナーの感想文で、「広島に原爆が落ちたのは事実か?」

という問いで考えようとしている人がいた。

はっきり覚えているけど、福田博也くんだ。

この感想文を読んで、心に残った。ぼくも、どうなんだろう、

と考えた。これまで、そんな問いを考えたことがなかった。

博也くんは、今、サイエンズスクールのスタッフとして活躍している。

 

 

博也くんの感想文だけがキッカケということもなかったが、ぼくも

興味を持ち、その集中セミナーに参加した。

これまで、ヤマギシで観念的な感じで知った気になっていた、

ゼロからの見直しを、根本から徹底的に解明しようとしている、と

実感した。

ヤマギシではこのあたりが、どこかで、それがストップしている。

 

この辺は、いま、アカデミーで学んでいる二人には理解して

もらえるかと思った。

二人はじっと、聴いていた。

 

その後、サイエンズスクールに、いつでも参加できるように、

 2010年に鈴鹿に引っ越した。サイエンズスクールに繰りかえし、

参加した。

やっているうち、ただコースに参加するだけでは、ふだんの暮らしの

なかで、じぶんの内面の心の状態まで観察できないと思うようになった。

ふだんの言動の現れてくる元を知りたいと思った。

そこが、一番大事だと思うようになった。

 

これは、いまの若きアカデミー生が辿っている道に似ている。

セミナーとかコースに参加していたら、何かを知ったといえるかどうか。

 

 

こんなこと話したが、全部書いたらとりとめもなくなる。

二人は、ただ聴いていてくれている。

 

鈴鹿の人たちの暮らしをアズワンコミュニテイとよぶように

なり、そこで7年暮らしてきた。

つくづく、良かったなあと思っている。

とくに、何年か前から、サイエンズスクールのコース参加だけでは

もの足りない人たちが出てきて、コミュニテイで留学を希望する人が

出てきた。

それが、何年かして、今年、4月からサイエンズアカデミーという仕組みが

できた。

これは、鈴鹿コミュニテイというより、「世界中の人たちと幸せに

なろう」というアズワンネットワークの活動や暮らしができる人になる

ための仕組み。

「争いのない幸せな社会」の実現。

そこが、やれる人になる。

「サイエンズアカデミー生」として、サイエンズを学べる機会

の門戸が世界に向けて開かれた。

これは、いままでずっと願っていたことだった。

いまは、日本・韓国・ブラジルの若者たちが、アズワンアカデミーを

拠点に、暮らし、学び、話し合いをしている。

これから、成長していく人、まだこれからの若い人たち。

この生き方や、それが出来る社会を実現する気持ちのある

若者が待たれている。

 

 

今回、なんで、ぼくのインタビュー なったか、よくわからない。

ただ、今は「他を侵すことの浅ましさ、愚かさに気づくこと」

35年以上かけて、その深い中身に気づきはじめている。

若いアカデミー生二人がもう気づきはじめている。

 実質、その生き方で生きられる人たちによって、現状そのままで

理想社会が現れてくる。

 それが、次の社会の基盤になるのだろう。

 

しどろもどろの1時間余だった。

疲れたけど、なにか余韻が残っている。

恥ずかしさとともに・・・冷や汗

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿