この頃、振り返って、気がついたこと。
いろいろなことや人にかかわったりするとき、一瞬起きる
反応、変な感じとか、いやな感じ、嬉しいというときも、
すーっと素通りさせていないなあ、と。
それってじぶんの中のどこからくるもんだろう?・・・など、
じぶんのなかで消えないで、つづきものになっているときが
あります。
先日、理想の暮らしを語る会主催の公開シンポジュウムに
参加しました。
テーマ「地域を耕そう、超高齢社会で安心して暮らすために」
パネラーは
菊山佳昌(理学療法士)
玉井巧輔(西部地域包括支援センター)
伊東武夫(国府小学校学校運営協議会委員、元民生委員)
でした。
昼寝から覚めたら、はじまる時間でした。
慌てて、会場の鈴鹿カルチャーステーションに出かけました。
すでに、菊山さんがスライドを使って、話をしていました。
息が整うにしたがって、話が入ってきました。
菊山さんが、ふだん何処でどんな活動しているのか、聞き逃して
しまいました。
「病身者や障害者へのリハビリには限界があります。これからは、
そういう状態の人たちが、病気や障害と付き合いながら、
地域のなかで、いかにその人らしく、生きていけるようになるか。
ここを支えていくことがリハビリの目標になるように思います」
菊山さんの話が、そんなふうに聞こえました。
少し、しんと身に滲みる感じがありました。
昨年の年末から今年の2月まで、心室の不整脈の治療で入院して
いました。何とか小康状態になり、自宅に戻りました。
医師からは「心不全が良くなっていくことは望めない。これ以上
悪化させないように、薬や食事、リハビリなどしながら、無理の
ない暮らしをしてください」とアドバイスされました。
これから、菊山さんのお世話になるかもしれないなあ、と思い
ました。
じぶんがそういう境涯になったんだなあ、と何か俄かには
受けとめがたい隙間風のようなものがあるなあと感じました。
次のパネラーは、玉井さんでした。
地域包括センターで、認知症の人たちや一人暮しで身寄りが
無い人たち一人ひとりに寄り添っていこうとしています。
「認知症の人を閉じ込め排除する社会から、受け入れて援助
する社会へ」という切り口から、具体的な事例を話してくれ
ました。
その事例を思い出そうとしても出てきません。
そのとき、シンポジュウムを進行していた今井亜子さんに
聞いてみました。
「玉井さんが騙して認知症の施設に入所させてしまった老人が、
インフルエンザか何か感染する病気で一時帰宅した時に、
玉井さんに向かって”ありがとう”って感謝されて、もう二度
と施設には帰さないと、僕らが面倒みるわ、ってなった」
そんな事例を紹介してくれました。
いかにも玉井さんの活動ぶりが浮かび上がる事例だと
思いました。
そうだったなあ、と思い出しましたが、どうも、一時、
じぶんの世界でうろうろしてたようです。
今から4年ほど前、定年で退職すると言う人が、そのあと、
どんなに暮していけばいいか描けないと漏らしたことが
キッカケでした。
「老いるって、どんなこと。生きがいは?死については・・」
何人かの有志で、老年期の暮し方を語る寄り合いがはじまり
ました。
一人ひとり、テーマにそって、今思っていることを出し合い、
出し合うだけに留まらず、人生の理想の姿を見出していきたい
ね、というので、「理想の暮しを語る会」と呼ぶようになり
ました。ぼくも、発起人の一人でした。
有志での話し合いが、同じテーマで近所の人たちとも語り合い
たいとなってきました。
具体的に高齢者が地域で暮していくのに、暮らしやすくなって
いるだろうか。
人生の最期の迎え方は、どう見ていけばいいのだろう。
公開講座を開催したり、地域包括センターの玉井さんの話を
聞かせてもらったり、在宅医療、自宅での看取りが鈴鹿市では
どうなっているのだろう、いろいろな専門職の方に会い、
公開でお話を聞かせてもらって、勉強させてもらってきて
います。
ぼくじしん、それぞれのテーマでは、他人事ではなく、その
一人として、調べたり、検討してきたつもりでした。
老いとか、死は誰でも通る道で、誰もが心豊かで、幸せな
余生になったらいいな、と願っていました。
そこらへんで、どうもじぶんが「誰もが」の中に入っているか
どうか。
じぶんは、例外として、外からみていなかったろうか。
じぶんの身体の状態について、理学療法士からは「いまは
心臓に負担をかけないよう一日20分程度、鼻歌を歌いながら
歩くことをやってみて」と助言されています。
平らな道を20分歩くのに息切れがしてしんどいです。
退院後の衰え方にびっくりしました。
歩いていると、同じようにゆっくり歩いている老人に道で
出会います。信号待ちのとき、そばの花壇の縁に座って、
一息ついています。ぼくも、その老人と同じだと、実感し
ました。これまで、そのようにしている老人をどのような
まなざしで見ていたんだろう。
3人目のパネラーは、教職を退いて、10年あまり民生委員や
地域の高齢者などを支援する活動している伊東さんでした。
77歳とはいうものの、とっても楽しそうに活動や暮らしに
ついて語ってくれました。
「高齢者の方や、一人暮らしなどの人たちが、老年期に
一人ひとり居場所があり、近隣のなかで何らかの役割が
見出されるようにしていきたい」という趣旨の話と受け止め
ました。
「居場所と役割かあ」
もう、他人事ではないなあと感じました。
パネラーの発表のあと、参加者が意見や感想を出し合いました。
「地域包括センターのスタッフの方々が、お年寄りなど世話を
するといいますが、そんなに上手く幸せな暮らしがができる
ようになるのでしょうか?」お歳をめした女の人。
「今、ケアカフェを準備しています。これから、高齢者の人が
住みやすい地域をどのように描いていますか?」
これは、介護士の若い女性。
「やれることは、いっぱいあります。近所の方々に民生委員の
顔写真を刷って各家に配ったり、もっと人と人が身近になるよう
新聞を作って配っています」
民生委員をされている女の人。
「ケアする人とケアをされる人が切れていないほうがいい。
ケアのテーマは、主体、主人公はどこまでもその人自身。
その人がどう生きたいのか、どう最期を迎えたいのか、
そこは外せないなあ」
「ケアする仕組みが整っていっても、専門職の人と患者や
当事者、その家族がその仕組みを理解して、そこを担う人
たちと分け隔てなく、気持ちが通じて語り合える近隣・
地域社会かどうか。
お医者さん、介護士、地域包括センターのスタッフ、
ケアマネージャさん、市役所の職員さんなど、みんな立場を
はずしたら、近所のおじさん、おばさんだもんね」
進行の中井さん。
「ケアする仕組みのなかで、こころのケアは?」
今井亜子さん。
(あんまり、正確には表現できていない感じです。
趣旨が違っていたら、訂正してくださいね)
シンポジウムでは、参加者が出し合う時間がたっぷっり
ありました。
鈴鹿市や県下のあちこちの地区から、寄り合った人たちが
とても熱く語り合ったとおもいました。
今回は理学療法士、地域包括センターのスタッフ、民生委員
の方々でしたが、これからお医者さんやいろいろな方と、
近隣・地域社会のことについて、忌憚のない話し合いが
できそうです。
そういう場があちこちにできたらいいなあ、鈴鹿カルチャー
ステーションもその一つの拠点になり、各地の人たちと
交流したいなあ。
「地域を耕す」という意味が少し見えてきました。
なかなか、じぶんの状態を認めがたい気持ちで、みんなの
中に入りきれないものも、少し溶けていることに気がつき
ました。
「分け隔てがない」ということで、後でじぶんを見て
みました。
今月はじめ、鈴鹿カルチャーステーションで「アズワン
ミーテイング」という寄り合いがありました。
そういう会に参加するのは、退院後、久振りでした。
座っていると、何か薄ら寒さを感じました。
じぶんなりに、思い巡らしていたら、誰かがストーブを
つけました。暖かくなりました。
「寒いと言ってくれたら、みんなで考えられたんだけど」と
話になりました。
ぼくは、なんで「寒く感じるだけど」とみんなの前に
出さなかったんだろう、とじぶんの中を見てみました。
「じぶんのことは、じぶんでやる」とか「人に迷惑かけたく
ないとか」それに類する気持ちがあるなあ、と思いました。
そういうのって、じぶんと人を分け隔てしてるんじゃないの?
みんなの中に入るっていうけど、ここがちゃんとしていないと、
中途半端なものになるのかなあ、と思いました。
無理しないで、みんなといっしょに、進みたいです。
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