かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

韓のくにから親しき人たち、来訪

2012-01-25 16:31:54 | アズワンコミュニテイ暮らし
 雨が降っていた。
 昨年の秋、韓のくにを訪ねた杉本信之さんといっしょに
セントレア空港に、韓の人を出迎えに行った。

 まず、空港ターミナル国際線の出入り口で、3人の女性
一行に出会った。
 ユン・スンミンさん 韓国の大学で社会学の勉強中。
           2年前、アズワン・コミュニテイに滞在
           したことがある。
 パク・サンスさん  江華島でキムチ工場の経営をしている。
           昨年2月、鈴鹿を訪れたユン・ヨンクンさんの
           奥さん。スンミンさんの母。
 パク・ソンジュさん キムチ工場の会計担当。41歳。娘が二人。
 
 

 そのあと、空港ターミナルの出入り口で、日本在住の男の人2人と
合流。
 イ・サンキョンさん 牧師。同志社大に留学し、その後20年日本で
           暮らしている。大阪の堺。日本語は流暢。サンスさんと
           従弟同士。
 イム・ヨンインさん 大阪の岸和田で聖公会の牧師。2年前に来日。
           「イム」とカタカナで書くと、日本の人は「仏」と読む。
           「わたしは、仏さまです」日本語はかなり話せた。

 
 一行は、杉本さんの案内で、空港近くの常滑のエビ煎餅工場を見学に行く。
 江華島は小エビの水揚げが韓国一だとか。サンスさんは、そのエビの
活用を研究している。
 曽祖父の代から工場を引き継いで、年代ものの煎餅焼き機をつかっている
という。
 ご夫婦で丁寧に案内していただいた。 


  その夜は、鈴鹿ハイツのゲストハウスで歓迎の食事会。


  
 翌日、アズワン・コミュニテイーを周った。
 その日も、雨がけっこう降っていた。
 どこの場面でも、「仏さま」ことイムさんが熱心に質問をしていた。


  「それぞれ、思い思いにやるというけど、一人ひとりが好きに
 やっていたら、共同体は成り立たないのではないですか?」
 イムさんは、青年時代から、民主化運動にかかわり、社会の制度変革に
 挫折している。共同体づくりにもかかわった。
  人の精神面が大事だと、神学の道に入っていまに至る。
  イムさんの質問には、彼の人生が凝縮しているように感じた。













 一日、見学したあと、感想をだしあう懇談会をした。


 
 パク・サンスさん
「コミュニテイーの人に出会ってみて、開かれている
と感じた。心のコース、学習する機会があるから、そんなに仲よく
できるのか?」
 
 ユン・スンミンさん
「2年前、友だち4人できたとき、コミュニティーの
説明を聞いた。じぶんがおもっていたのと違うのでびっくりした。
大きな目的のため、みんな一緒に考えようというのではなく、まずじぶんの
こころを見るということだった。いいなあとおもった」

 パク・ソンジェさん
「あたたかい感じ。会う人、それぞれじぶんのコトバで
じぶんがやりたいことを表現していた。率直な感じ」

 イム・ヨンインさん
「質問ばかりですが・・。鈴鹿共同体の人たちは
いままで会った日本の人と違う感じ。じぶんが共同体に属している
という意識がないようだけど、それならなぜコミュニテイーというのか?」

 イ・サンキョンさん「人のための社会。それがあるなあとおもった。
イエスも、”安息日は人のためにある”と言った。なにが人の本質か?
ここでは、強制や束縛がないような印象がある。広報はするけど、
”ここじゃないといけない”というのがない。このとこ、本質か。
いいなとおもった」

 お一人おひとりの気持ちからのコトバから何を受け取るかは、
人によってさまざまだろう。
 これに、懇談会に参加した日本の人たちも感じたたことを出していた。
スンミンさんやあ男の人たちの通訳をまじえながら、和やかな時間が
流れた。

 疑問とか、あるいはよかったことだって、なにがよかったのか、
見ていこうとおもったら、探る材料がいっぱいありそう。

 男の人たちは、その夜と次の日、大阪へ帰られた。
 サンスさん、ソンジェさん、スンミンさんは、キムチの作り方を
コミュニテイに人に伝授したり、鈴鹿を見学し、23日朝まだ暗いうち
名古屋の卸売市場を訪ね、その足でセントレア空港から帰路についた。
 最後は、石黒恒太くんが空港まで送っていった。

 
 「韓のくにの家族のような方々、また会いましょう」

 
















   
            
 

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