Good Frlend!(motovlog)

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3年間で5万キロ以上乗った、ヤマハ・RZ250R(29L型)。(番外編vol.3974)

2024-06-01 13:56:51 | 日記

ボクがオートバイの中型(普通)免許を取得したのが高校を卒業した1984年の春で、まず最初に購入したバイクが、1983年式のヤマハ「RZ250R(29型)」

でした。当時で新車時から1年落ちって状態で、ボクが購入した車両で中古価格がジャスト20万円!。また、その購入の決め手となったのは、他社のモデルと

比べ比較的、安かった事や、2ストエンジンを搭載してる事から「軽くて速い」と言われてたので、ガソリン給油意外にエンジンオイルを定期的(大体800km)

で買い足して行かないといけないデメリットも考えましたが、やはり1番の問題となる「予算」の都合で、最終的にこのバイクを選んだんですよね。まぁ、地元

を離れ1人暮らしをしながら専門学校に通う貧乏人でしたからね…、仕方なかったです(笑)。なので、正直言っちゃうと「コイツに惚れた!」ってほど気に

入ってた訳ではなく、本心は、当時新型で登場したばかりの、ヤマハ「FZ400R(46X型)」もしくは、ネイキッドスポーツでREV(可変バルブタイミング機構)

搭載車の、ホンダ「CBR400F」のどちらかが、大好きなオートバイだったのですが、当時はどちらも新車でしか無かった事や、総額で60万円以上に近い価格は

長期ローンにするにしろ、返済が怖すぎて到底買える額では無かった為に断念して、逆に現実的だった「RZ250R(29型)」にしただけって購入理由でした(笑)。

また、これはボクの好みの問題ですが、水冷式からなる2スト2気筒エンジンと、4スト4気筒エンジンでは、個人的に後者(4スト4気筒エンジン)の方が圧倒的

に良かったのですが、繰り返しますが当時は「予算的に無理」だったんですよねぇ(笑)。まぁ、それでも「初めての中型バイク」だったので、購入した直後は

とにかく「嬉しくてたまらなかった」です。また当時は同時に地元で購入したヤマハ「パッソル50」も持ってて、一瞬だけ2台持ちとなっていたのですが、早々

に「パッソル50」は盗難にあってしまい、結局は奇跡的に見つかったのですが、京都の鴨川の土手に突き刺さってる状態で発見されてたので、もう乗れる状態で

はなく残念ながら廃車に…。以降は京都の専門学校を卒業するまでの3年間、ずっと「RZ250R(29型)」だけが自分の足となってしまったんですよね。なんせ

悲しいかな自転車も持っていませんでしたから(笑)。なので学校に行くのもバイク、遊ぶ(峠含む)のもバイク、買い物に行くのもバイク、故郷への帰省する

のもバイク、雨が降ろうが、雪が降ろうが、暑い寒いも関係なくずっと毎日「RZ250R(29型)」に乗ってたんですよね。確か購入した時の走行距離が5.000km

ほどだったのですが、ボクが3年間乗って結果として60.000kmほどになっていました(笑)。大体ですが1年間で2万キロ走ったってペースですよね。その間に

タイヤは3回変えた記憶ですし、最後の1年間は1986年式の市販レーサー「TZ250」から「足回り&冷却部分」を中心にごっそりパーツを移植して乗ってたので、

見た感じはすっかり変わってしまってましたけどね!この行為に至ったのは完全に「峠」のせいで1年毎に大きく進化してた時代だったので、ボクのバイクなんて

あっという間に旧車となってしまい、戦闘力で新しいモデルに全く太刀打ち出来なかった事が要因でした。それに、たまたま新型の「TZ250」を購入した人から

激安で1986年式の市販レーサー「TZ250」を譲ってもらった事があったからだったです。これ、後から考えてみれば「時代の先取り」の様な事をボクってしてて、

前後17インチのホイールに太いタイヤ、強固なスイングアームに強力なブレーキが搭載された「RZ250R(29型)」に変身してたって感じになっていました(笑)。

ただ、リアのスプロケットと、エンジン側のスプロケットが並行で無かったので、チェーンが多少歪んでしまってて、かなり危険な状態にあったんですけどね!

また目玉となる「YPVS(ヤマハパワーバルブシステム)」はとっくに壊れてしまってて、機能してませんでした(笑)。そうそうクラッチワイヤーが突然切れて、

クラッチ無しでしばらく無理やり走ってた事もありましたね(笑)。




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