フッと何気に「SHOEI」ヘルメットのサイトを見てると、最上級モデルの「X-FILTEEN」に「加藤大治郎モデル」が新しく販売されてるのを見て、
気がついたのですが、もう彼が亡くなって20年以上経つんですね。いやぁ、何とも時の経つのも早いものです(笑)。確か、2003年GPシーズンの
開幕戦「日本GP」の事故だったと思います。当時の彼が26歳だったので生きてると今年で47歳。とっくに引退して若手育成に励んでるか、レース
関連の仕事についてるか、自身のチームを作ってオーナーになってるはずだったのに…、そう考えると「今でも残念な気持ち」になりますね。考え
てみれば1980年代以降から登場した日本人ライダーの中でも、多分「1番速く」て最高峰(motoGP)でもワールドチャンピオンに近い存在でした。
なんせ2度のワールドチャンピオンに輝いたあの「原田哲也選手」にも、2001年シーズンに圧勝で250ccクラスでのワールドチャンピオンを獲得して
ましたからね。日本人に速い選手が多かった1990年代後半から2000年代前半にあって、間違いなく「加藤大治郎選手が最強だった」とボクは思って
います。それを裏付ける中に当時の王者「バレンティーノ・ロッシ選手」が「今後、最大のライバルになるのは、間違いなく加藤大治郎選手だ」って
ハッキリ言ってましたからね。なのに「ここから!」ってシーズンだった、2003年の初戦(第1戦)で亡くなってしまった訳ですからね。本当に残念
です。また多分ですが現在にかけても彼以上に速い選手は日本人から登場しておらず、最高峰でチャンピオンになれそうな逸材はまだ現れていません。
これはあくまで、ボクのたらればですが、もし「加藤大治郎選手」がその後も生きてれば、多分、2005年か2006年シーズン辺りで「バレンティーノ・
ロッシ選手」と大激闘の末「加藤大治郎選手」がホンダワークスでワールドチャンピオンになってたかも知れません。あくまで「たられば」ですけど
ね(笑)。とは言え絶対にあり得ない話って事でもない気がします。で、ちょっとだけ「加藤大治郎選手」のライディングについてですが、彼が速かっ
た要因にフォームの乱れが無いことや、コーナーでの適度な突っ込みと素早い加速にあった気がします。特に「美しい」と言われたフォームはタイヤに
も優しい反面、マシンコントロールが上手かった事も要因として考えられます。同じく「彼は天才じゃないか!」って言われてた「阿部寛史(ノリック
)選手」が結果的に最高峰レース(当時のWGP)で3回の優勝こそしたものの、天才なのにワールドチャンピオンになれなかった理由には、フロントの
タイヤを酷使しし過ぎたライディングにあったと言われています。序盤は速いけど中盤から後半にかけてフロントタイヤが摩耗してしまい、ズルズズ中盤
に飲み込まれてしまってたレースが多かったのはそれが原因と言われていました。逆に「加藤大治郎選手」はそのタイヤの使い方が上手いと言われてた
ので、後半にかけても速さは持続しており、そのまま勝つってレースが多かったです。またバトルになってもあくまでフェアーに戦うタイプで、変にイン
を閉めたり、かぶせ気味に突っ込んで来たりしてませんでした。これは2001年に250ccクラスで激闘を繰り広げた「原田哲也選手」が語ってたもので
「彼と接近バトルになっても怖い思いをしたことがない」とか「彼とのバトルは楽しかった」と語っています。逆に「マックス・ビアッジ選手」は「とん
でもない反則人」とも言ってた事を思い出します(笑)。とにかく「加藤大治郎選手」が亡くなって早や20年!。信じれない時の早さを感じますね!(笑)