Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

50〜60年代、英国を席巻した悪の象徴カフェレーサー。(番外編vol.3617)

2023-05-31 00:44:50 | 日記

今日のお話は、英国(イギリス)で起こったムーブメント「カフェレーサー」の存在です。随分と前になりますが、確か1度このテーマに関してボクなりの

視点でご紹介したことがあるのですが、昨日からの流れで、なぜ世間から「オートバイ=悪」と言う印象が付いたのか?その要因を「世界規模」で探ってみたい

と考えていますので、よろしくお願いいたします(笑) で、話を戻しこの英国発祥の「カフェレーサー」について語っていきたいと思います。まずこの行為

を行った人たちの事を「ロッカーズ」と言います。彼らはいわゆる「労働者階級」に属する「貧乏人の若者達」で構成されたものだったりするのですが、英国の

産業革命が起こる以前から、人間にあからさまな「階級」を設けており、王族や貴族を頂点に、平均的な暮らしが出来る中流階級、そして、それ以下の暮らし

しか出来ない「労働者階級」と暗黙(あんもく)の区分がなされており、今でも少なからずその風習は残っていたりします。これって今の我々日本人には馴染みの

無い話で、かつての江戸時代まで遡(さかのぼ)らないと分らない文化意識でもあったりします(笑) まぁ、同じ民主主義国でも「違いがある」ことをまず

理解する必要があるんですよね。で、この事により、もちろん「労働者階級」に属する人たちから「不満」が生まれ、若者を中心として社会に対して「反抗」したく

なる衝動を持つ訳です。気持ちはよく分かりますよね。で、更にそこにあったのがレーサー風に改造した「オートバイ」と、当時流行ってた「ロックンロール」と

言うムーブメントに繋がっていく感じになる訳です。まず初期のスタートは、そこからある「カフェ店」に若者達が集まる事から始まります。そのあるカフェとは

「エースカフェ」と言うロンドンにあるファーストフードっぽいショップの事で、ここにあったジュークボックスから流れる1曲が終わるまでに、街中を2台の

バイクが「レースをする」と言った遊びが流行っていく事になり、これが時と共に大きな「社会現象」となって行くんですよね。大体、時代的には50年代から

60年代に流行ったもので、70年代前半あたりから衰退していく事になります。で、もちろん街中で無謀なレースをする訳ですから、事故が多発し多くの若者が

この行為により死亡してしまいます。また、同時期に流行ってた「モッズ(ファッションモードを好む、中流階級の若者たち)」が改造したベスパに乗ってた事で、

ロッカーズとの小競り合いもどんどん表面化し、これら全てを踏まえて国を揺るがす「大きな社会問題」となっていく訳です。またこの時、ロッカーズに乗れてた

オートバイを「カフェレーサー」と呼ぶようになります。人気があったメーカーとしては英国のノートン、BSA、ロイヤルエンフィールド、トライアンフなどが

挙げられます。当然ながら日本車は、まだ今と違い「全然」の時代だったので、それらには含まれません(笑) また昨日あげたハーレーダビットソンからなる

極悪バイカーと比較して、時代的に10年近く早かったので、こっちの影響も微妙に関係してると言えそうです。とにかく当時あったバチカルツインのエンジンを搭載

したバイクを当時のレーサー風にカスタムした車両が「カフェレーサー」と言うジャンルで括られる様になり、現在に至(いたる)とされています。ただし、今の

「カフェレーサー」カスタムは単にフォルムを指してるに過ぎないので、当時の社会現象と同じに語る事はできません。もともとを遡(さかのぼ)るとこう言った

時代背景があって起こったものであると理解すれば、今って単にスタイルだけに魅了されてる事が逆によくわかる気がします。さて、今日はそんな「カフェレーサー」

の誕生と、当時の世間を騒がせた要因「オートバイ=悪」について語りましたが、いかがだったでしょう!(笑)




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60〜70年代、世界を席巻した悪の象徴ハーレーダビットソン。(番外編vol.3616)

2023-05-30 00:18:33 | 日記

今日のお話は、現在でも本国アメリカやオーストラリア、はたまた南アメリカ圏などで、我々が考える所の「ライダー」と言う言葉より「バイカー」とされる

極悪を纏(まと)った、ハーレーダビットソンに乗る「アウトローなギャング集団」のお話です(笑) 実は今でもアメリカなどで一見、ヤバい感じの人たち

っていますが、本当の意味でヤバかったのは、50〜70年代にかけてあった暴力集団の「ヘルズエンジェルス」を筆頭としたいわゆる極悪バイカー集団チーム

の存在です。彼らの動向は日本の暴走族とは「桁違いの悪事」にあり、人を殺す事も厭わない、かなり過激なものだったりします。特にバイカー同士からなる

ライバルチームとの抗争や、いわゆるマフィアと言われる暴力団グループなどとのトラブルにあり、逆に「仲間を大切に考えるチームワーク」の絆も特徴として

あった様なんですよね。また全盛期には、アメリカだけでも数多くの「オートバイクラブ(バイカー集団)」が存在しており、それぞれのチームは決まった

スカルぽいエンブレムや、それぞれのチームデザインされた革ジャケットを着てて、定住地を決めず自分たちの縄張りの範囲をオートバイで移動しながら過ごす

移動民族のような暮らしをしてたと言われています。更に時代背景上、アメリカを中心として「ヒッピー(自由人)」などが流行ってた時代と丁度マッチしてて、

それが「本物の自由」と思って行動してた時代だったとも考えられます。そもそもこの手のバイカー集団が結成された最初の経緯を調べると、第二次世界大戦の

帰還兵まで遡(さかのぼ)ることになります。彼らの中には戦争で受けたメンタル崩壊や、人を殺める行為などに対しての衝動を発散する為に「自由の道」を

模索する事で、何か「自分の存在意義」を見出していたと考えられていた所から発生したとされています。で、そこにオートバイと酒、女にクスリ、そして暴力や

殺人があったという訳です。また新規参入もあり、今でもこの手のバイカー集団は引き続き存在しているのですが、かつての様な社会問題となってた時代は、

もう過去のお話です。結局、加熱した時代に生きた彼らも現在では歳をとってしまい、日本の暴走族と同様に、いわゆる「旧車會的な集まり」はあるものの、

殺人事件を起こしたりする事はほとんど無くなっている状況です。逆に今では、相変わらずスパニッシュ系や、黒人系からなる日本のオートバイを使った高速道路

での大集団からなる「曲芸乗り」の方が問題視されており、警察もそちらの取り締まりに紛争してる感じになってる様です。ただ以前にもこの内容は書いたことが

ありますが、日本でのハーレーダビットソン乗りの中には、この過去の時代を「勘違いしてる」傾向の見た目だけの「にわかアウトロー」を気取った人たちがの

存在がありますよね。多分、同じハーレー乗りの中でも「煙たがれてる人たち」です(笑) まぁ、これも「ただの流行り」だったので随分と数は減りましたが、

未だに少数ながら存在している感じです。本来の「アウトロー」な「バイカー」って、上記で書いた世情との関係性から生まれたものなのですが、それをただの

ファッションとして考え、何の根拠もなく威張り散らしながら闊歩する姿は、逆に滑稽(こっけい)にも見えてしまいますよね。果たして彼らは本当のバイカー

たちをちゃんと理解しているのでしょうか?(笑) 多分ですが現在の「平和な日本」にあって思想からなる部分は関係なく、ボク的は、ただ表面的な所だけを

模倣してるだに過ぎないって気がしてなりません。別にカッコいいと思って真似るだけなら全然構いませんが、その意味を履き違えて他人を威嚇(いかく)して

みたり、横柄な態度をとって周りに迷惑をかけてるだけなら、早々にやめて欲しいものですよね(笑) なんの意味も持たない迷惑行為って、ただカッコ悪いだけ

ですからね!(笑)



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もうこんな50ccバイク出ないシリーズ 第5弾、ホンダ・NS-1。(番外編vol.3615)

2023-05-29 10:45:05 | 日記

今日でこの「もうこんな50ccバイク出ないシリーズ」の最終章(第5弾)としたいと思います(笑) で、最後にご紹介するのは、1991年に登場したホンダ

「NS-1」です。前年まで売られてた先代モデル「NS50F-エアロ」からの後継モデルとなるのですが、ホンダ初の50ccフルサイズでの「フルカウル仕様」に

なります。また最終モデルが1998年までで、それ以降については2ストエンジンからなる50ccクラスでのフルカウル式スポーツモデルは存在しなくなります。

で、まず初期型の「NS-1」は兄貴分となる「NSR250R-MC21型」と非常に近いデザインがなされており、当時の流行り(レーサーレプリカ)をしっかり

見据えたもので、個人的にも結構カッコいいデザインで登場します。また「NS-1」での一番の特徴としては、ガソリンタンク部分が大容量の収納庫になって

おり、ヘルメットがスッポリ収納できる様になっていました。速さだけでなく利便性も考慮されていたんですよね。さらに1995年には大幅なデザイン変更が

なされるのですが、今度は「RVF(NC45型)」に近いデュアルヘッドライトを持つものへと進化します。やはり当時のホンダは他社と比べ一歩先を行くと

言うか、どんなオートバイを出せば売れるかを見通すチカラが強い印象で、この「NS-1」に関してもまとまったデザインから50ccフルサイズスポーツの中で

一番人気が高いモデルとなります。また同時期にあった12インチホイールを持つミニバイクの「NSR50」も同じく人気モデルとして君臨しており、高校生や

10代の若者たちにとっては、この2台だけでも他を圧倒したと言えた気がします。で、ここから、ちょっとボクの個人的なお話になりますが、自身も1990年代

の初頭あたりまで、峠を走る「頭の悪い峠小僧」だったのですが、当時、2ストからなる250ccモデル、もしくは4ストからなる400ccモデルが一般的に多く

乗られてた中、さらに次の若い世代が、独自のチームを結成してこの手のオートバイに乗って峠に集まってたイメージがあります。なので僕らからしたら新参者

たちがやって来出したって感じがしてました(笑) だってヘルメットを脱ぐと16歳から18歳ぐらいの少年達ばかりで、当時、20歳代も中盤に差し掛かってた

ボクからしたら「子供が小さなオートバイに乗ってる」と言った印象が強く残っちゃっているんですよね。ただし、彼らの走りは、我々世代より更にネジが吹っ飛

んでる感じの走りで、安全マージンを全く考えず強烈な突っ込みに、転ける寸前の様なバンク角で走ってた事も印象的でした。ボクはその時、ヤマハ「FZR400RR」

に乗っていたのですが、下りではガッツリついて走られて「もしかして世代交代が起こってる?」って事を実感したものです。逆に言うと、自分も10代の頃は

死ぬ気で走ってたのですが、多分この頃は、どこか安全を意識しながら走ってた状況だったのかも知れません。とにかく彼らの出現は、ボクにとっては大きな存在

として、のしかかる部分があり「そろそろこんな乗り方は辞めよう」って考える切っ掛けになった気がするんですよね。(笑) で、話を戻しこの「NS-1」の詳細な

スペックですが、エンジンは水冷式2スト単気筒ピストンバルブで、正式な排気量が49cc、最高出力は50cc MAXの7.2ps、最大トルクが0.65kgで、車重は

乾燥重量で92kg、ガソリンタンク容量は満タンで8リットルで、市街地での平均燃費が大体25kmから30kmと言った感じになっていました。またフレームは

スチール製の角形パイプのダイヤモンド式で、トランスミッションは6速MT、エンジンスタートはキック式で、機械式のキャブが搭載されていました。更に

ホイールは前後ともに17インチで、非常に効率の良い排気チャンバーが標準で装備されてもいました。もちろん当時はそんな走り屋の為に多くの社外パーツが

売られており、改造次第では最高速で50ccのまま100km近く出るともされていました。で、最後に現在の中古市場を見てみますと、大体安いもので20万円あたり

から、高いもので75万円前後で取引されてる感じです。またこの価格差は年式より程度による部分が高い感じになってる様です。さて、今日は「もうこんな50cc

バイク出ないシリーズ 」の最終章としてホンダ「NS-1」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)




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もうこんな50ccバイク出ないシリーズ 第4弾、スズキ・RG50ガンマ。(番外編vol.3614)

2023-05-28 00:07:17 | 日記

今日は非常に長きにわたって細かな変更を繰り返しながらも、大きくデザイン変更される事なく、売られ続けて来た50ccフルサイズスポーツのパイオニアとなる

スズキ「RG50ガンマ」のご紹介です。その登場は他社より早く1982年からで、最終モデルが1995年まで10年以上販売された車両でした。また途中にホイールの

形状やサイズ変更、冷却システムや排気系の充実、はたまたフルカウル仕様などとが登場しますが、基本構造は大きく変わりませんでした。そもそもレーサーレプリカ

系では一番早い時点で、初期型の「RG250ガンマ」や「GSX-R400」などを登場させたスズキでしたが、この50ccモフルサイズスポーツに関しては結果として大きく

構造を変更する事なく売られていたんですよね。また、1989年にはネイキッドバーションとして「ウルフ50」も追加販売されます。こちらはフレームがスチール性

ながらツインチューブ式になっており、50ccスポーツとしては強固なものが搭載されていました。さらに言えば1990年が一番大きなマイナーチェンジを受けている

のですが、一部のフォルム変更と3本スポーク、本格的なチャンバーが搭載される様になります。で、最終モデルの詳細なスペックを見ていきますと、エンジンは

水冷式2スト単気筒ピストンリードバルブで、正式な排気量が49cc、最高出力は50cc MAXの7.2ps、最大トルクが0.72kg、車重は85kgで、フレームはスチール製の

角形パイプでのダブルクレードル式、トランスミッションは6速MTで、エンジンスタートはキック式、機械式キャブレターに、前後17インチのアルミ製ホイールを搭載、

ガソリンタンク容量は満タンで11リットルとなっており、市街地での平均燃費が大体250kmから30kmと言う事になっていました。また最終モデルではバックミラーが

左右に付けられて、当時の新車価格が23万円(税別)となっていました。長期間販売されていたので多くのカラーを保有していたのですが、詳しい人ならそのカラー

リングで年式が分かる様です。初期当時は斬新だったデザインも最終あたりになると、他社のモデルがより本格的なデザインへと移行してた為、人気はどんどん落ちでいく

傾向にあったのですが、素性が良いバイクだったので、スズキを好む若者には受け入れられていた感じです。もちろん当時の峠にもよく出没してて、個人的にも見かけて

いましたが、ミニ系のスポーツバイクが増えると共に見かけなくなった感があった様に記憶しています。また他でも書きましたが、排気チャンバーの交換とキャブレター

のセッティングで、大幅にパワーを上げる事が可能で、改造範囲にもよりますが最高速で100km近く出るとされていました。さすが2ストエンジンといったところです

よね。現在の50ccバイクはほぼ4ストから成り立っている関係上、スポーツバイクに属するものは存在しない感じになっており、その為125ccに強力なスポーツバイクが

登場する状況となっていますが、この時代は50ccモデルで十分な速さを誇るオートバイがあったと言う訳です。で、最後に現在の中古市場を見ていきますと、大体安い

もので25万円あたりから、高いもので50万円前後で取引されています。また不思議なことに新車の状態で残ってるものもあり、これに課しては100万円と言う特別な

価格が付いてたりします。また球数は少なめで購入するとなると少し時間をかける必要がる気がしますね。さて、今日はそんな「もうこんな50ccバイク出ないシリーズ」

の第4弾として、スズキ「RG50ガンマ」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)



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もうこんな50ccバイク出ないシリーズ 第3弾、カワサキ・KSR-1。(番外編vol.3613)

2023-05-27 00:03:41 | 日記

1986年に登場したスズキ「GAG」を皮切りに、翌年にはホンダ「NSR50」や、ヤマハ「YSR50」などの本格スポーツ走行が可能となった「ミニバイク」系が

登場するのですが、カワサキも少し遅れた1988年に、まず「KS-1」と言うオフロード車を意識したデザインの車両を登場させます。ただしこの「KS-1」は、

高出力なエンジンを備えてはいたものの、10インチサイズのホイールを採用してた事でコーナリング性能に若干の問題を抱えていたんですよね。そこで新たに

12インチサイズのホイールを採用した「KSR-1」を1990年より2世代目のモデルとして登場させる事となります。まさに今日ご紹介する車両となります。また

先代の「KS-1」との違いは、もちろんホイールサイズだけでなく、フロントの倒立式フォークであったり、空冷式だったエンジンを水冷化したりと、大きく変化

をもたらす車両となっていたんですよね。また他の車両が「レーサーレプリカ」を縮小したモデルだったのに対し、カワサキはオフロート車としてのイメージを

強く持たせたあたりは当時、一切の原付スクーターを作らなかった「カワサキらしい決断」だったと考えられます。ボク個人としては、まずそれ以前にこの様な

ミニバイクを登場させた事自体が凄いと思っちゃってましたからね(笑) で、重複する部分もありますが「KSR-1」の詳細なスペックを見ていきますと、まず

エンジンは水冷式2スト単気筒ピストンリードバルブ式で、正式な排気量が49ps、最高出力は当時50ccでMAXだった7.2ps、最大トルクが0.65kgで、車重は

乾燥重量で77kg、トランスミッションは6速MTで、エンジンスタートはキック式、ガソリンタンク容量が満タンで8リットルで、市街地での平均燃費が大体

25〜30kmと言う感じになっていました。またフレームはスチール製のセミダブルクレードル式で、フロントフォークは倒立式、前後ともにディスクブレーキが

採用されており、ホイールサイズは前後とも12インチ、標準でライアルタイヤを装備しており、フォルムこそオフロードデザインでしかが、いわゆるミニサーキット

に持ち込んでロードレースを行う事も十分に可能だった車両です。さらに登場した1990年から6年経った1996年にマイナーチェンジが行われ、細部パーツなどに

変更が行われています。で、最終的には1998年をもって生産中止となるのですが、これは翌年に新しい排気ガス規制(平成11年)が行われる事を見越して、1年

先に廃盤としたとされています。いわゆる2サイクルエンジンからなる50ccバイクであった訳ですが、今の4サイクル50ccと比較すると走りの速さや最高速が

全然違います。大袈裟に言う訳ではありませんが、どちらかと言うと今の「4スト125ccモデルに近い性能を誇っていた」とも言える気がするんですよね。もちろん

当時、速い50ccバイクであると言うことで、社外メーカーからも当時多くのスペシャルパーツが販売されていました。このカワサキ「KSR-1」に関してもそれは

言えて、地方などのミニサーキットで、サンデーレースをする一般の方々の為に様々なものを用意してた事を思い出します。小排気量なだけに自分たちで、手軽に

色々工夫しながらカスタムを楽しむ事も出来るバイクだったからと言えそうです。で、最後に現在の中古市場を見てみますと、大体安いもので20万円あたりから、

高いもので40万円前後で取引されてる様です。この価格差に関しては程度によるところが大きな要因となってる感じです。さて、今日はそんな「もうこんな50cc

バイク出ないシリーズ 」の第3弾としてカワサキ「KSR-1」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)




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もうこんな50ccバイク出ないシリーズ 第2弾、ヤマハ・TZR50。(番外編vol.3612)

2023-05-26 00:10:00 | 日記

1980年代に入り登場し始めた「50ccのフルサイズ」なスポーツバイクたちですが、そこから年々進化を遂げながら1980年代後半には、ホンダ「NSR50」の

様な、いわゆる「ミニバイク系」も登場する中、1990年にヤマハとしては初となる「フルカウル仕様」の50ccスポーツバイクが登場します。それが今日ご紹介

するこの「TZR50」です。また、その見た目通りほぼ同時期に発売開始された、ヤマハ初の2ストV型2気筒エンジンを搭載した「TZR250R(3VX型)」の50cc

版というカタチでの登場だった記憶です。とにかく50ccながら「見るからに速そうなフォルム」をしており、初見で見た時は過去の「RZ50」から大幅に進化

したモデルだと言う印象を強く感じました(笑) ちょうどこの頃のボクって、ヤマハ党であった事もあり「FZR400RR」に乗ってた頃だったと思います。確か

1990年だと、まだバカな峠小僧を卒業する寸前の頃で、時々、地元の峠に通っていたのですが、ちょいちょいこの「TZR50」を見かけていました。多分、当時

の高校生かそれに近い10代の少年達に乗られてた感があったのですが、記憶の1つに、一人とても速い子がいた事を思い出します。バンク角が凄くてコーナーの

進入速度が速く、常にスロット全開で走る様な少年だったです(笑) また当時の峠は狭いタイトなコースを攻める傾向だったので、小型で軽量なバイクにある

程度のアドバンテージがあったのですが、エンジンパワーは中排気量ほどないので、彼の場合、とにかく「下(くだり)で速かった」て印象です。まぁ、登りより

下で速いのは峠小僧たちにとってとても「カッコいい(笑)」と考えられてたので、こう言った小排気量のオートバイに、下(くだり)で追いつかれそうになると、

悔しい気持ちが働き、根拠なく、ただ無謀に飛ばしてた事を思い出します。ほんとバカだったと反省します(笑) で、お話を戻しこのヤマハ「TZR50」ですが、

初のフルカウル仕様以外にも前後ともにディスクブレーキが搭載されてたことや、当時、兄貴分にあたる車両に搭載されてたデルタボックスフレームなどが装備されて

いました。これで車重は乾燥重量で83kg、エンジンパワーは規制があったので最大出力は7.2ps、最大トルクが0.65kgとなっており、肝心のエンジンについては

水冷式2スト単気筒ピストンリードバルブで、正式な排気量が49ccとなっていました。またトランスミッションは6速MTで、エンジンスタートはキック式、ホイール

サイズはフロント16インチ、リア17インチで、排気効率の高いキャンバー式のマフラーが標準で装備されていました。見た目的にフルカウル仕様だった事もあり、

それまでの「50ccのフルサイズ」より大きく見えた印象です。また最高出力に関しては外品のマフラーに交換しキャブレターのセッティングを変えただけで100km

近い最高速も望めたと言われています。あ!そうそう、この頃から峠小僧たちの間で流行り出した、ヘルメットに猫の耳の様なデザインのものを被った人が現れ始め、

ツナギの上にチームトレーナーを縛って走った人をたくさん見かける様にもなりましたね。自分が走り始めた時からすると、より攻撃的な走りをするタイプも増えてて、

速さに関係なくウイリーをしてみたりジャックナイフをしてみたり、バイク芸を披露する新しい世代も増えて、時代の変化を感じた事も記憶として残っています。で、

最後に現在の中古市場を見てみますと、大体安いもので40万円あたりから、高いもので55万円前後で取引されている感じです。この「TZR50」自体は1992年まで

生産されており、その後、次の後継モデルとなる「TZR250R」へと進化するので球数は少なめです。それだけに価格はお高く微妙な感じになってる気がします。さて、

今日は「もうこんな50ccバイク出ないシリーズ 第2弾」として、ヤマハ初のフルカウル仕様となる「TZR50」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)




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もうこんな50ccバイク出ないシリーズ 第1弾、ホンダ・NS50F。(番外編vol.3611)

2023-05-25 00:02:14 | 日記

かなり以前に、ボクにとっては思い出のあるホンダ「MBX50」をご紹介した事がありましたが、今日はその後継モデルとなるホンダ「NS50F」のご紹介です。

タイトルでも、まさにそうであろうと言える「もうこんな50ccバイク出ないシリーズ」の第1弾です(笑) で、まずこの「NS50F」ですが、その登場時期は

1987年からで最終モデルで1990年まで。また同時期にミニバイクとなる初期型の「NSR50」も登場しており、ホンダとしても50ccのスポーツモデルに力を

入れてた時代だった事がよく伺えます。この1980年代は「若者中心に絶大なオートバイブーム」が巻き起こっていた時代で、とにかく、たくさんのオートバイが

売れた時期でもありました。もちろん、原付となる50ccも例外ではなく、今と違い原付スクーターを中心に多くの車両が、生まれては消えてた時代でもあったん

ですよね(笑) まぁ、そんな時代だった事を踏まえ、高校生や10代の世代に好まれてたのが、マニュアル車(MT)からなる「フルサイズ」の50ccスポーツ

バイクの1台でもあるこの「NS50F」だったとなります。また当時はまだ排気ガス規制も緩かったので、パワーのある2ストエンジンを搭載したモデルが小排気量

に用いられていたため、50ccでありながら現在の4スト125ccに劣らない走りが堪能出来ていました。この「NS50F」もそんな車両の1台で、加速も含め最高速

は、条件さえ良ければ80km近く出るとされてもいました。もちろんカスタムすればもっと走ってくれるので、ある意味十分な乗り物となっていたんですよね。で、

特徴は空力を考慮してのハーフカウルが搭載されてた事や、アルミ製のキャストホイールだったり、排気効率の良い純正でのチャンバーなどが標準で装備されて

いました。また詳細なスペックを見てみますと、エンジンは水冷式2スト単気筒、正式な排気量が49ccで、最高出力は7.2ps、最大トルクが0.65kgで、車重は

乾燥重量で79kg、ガソリンタンク容量が満タンで10リットル入り、市街地での平均燃費が大体20〜25kmと言った感じになっていました。またフレームはス

チール製のセミダブルクレードル式で、エンジンのスタートはキック式、フロントにはディスクブレーキが装備され、1988年と1989年に小規模なマイナーチェンジ

が行われています。さらに正式に名称(ネーミング)を語ると、1987年から1988年までが「NS50F-エアロ」で、1989年と1990年が「NS50F」と言われており、

当時の400ccモデルにあたる「CBR400R-エアロ」のデザインから初期モデルは引用されてたと考えられます。で、ちょっとしたパワーアップのお話になりますが、

本来50cc4ストエンジンを搭載したモデルだと、とにかく排気量をボアアップする事でパワーを上げる方法が一般的だったのに対し、2ストエンジンは吸排気

(キャブ&マフラー)の交換とセッティングだけで十分にパワーが上がってくれていました。一説にはこの「NS50F」であってもこれらのカスタムを施せば最高速で

100kmは出ると言われており、今の4スト系原付スクーターと比較したら「考えられないシロモノ」だったとなるんですよね。それだけに50ccモデルで十分な

パフォーマンスを得ることが出来てたので、余計に若い世代にとっては原付で十分と考えられていた感があった気がします。上記で述べた「もうこんな50ccバイク

出ないシリーズ」ってのは、1番にこの事が時に言いたかった訳です(笑) で、最後に現在の中古市場を見てみますと、大体安いもので20万円あたりから、高い

ものでも40万円前後で取引されている感じです。古い原付と考えれば結構お高い気がしますが、性能面や所有後の維持費などを考えると、個人的には「かなり遊べる」

ので、ある程度は仕方ないかなぁって感じもします。さて、今日はそんなホンダ「NS50F」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)




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想い出があるので触れておきたい、スズキ・GAG。(番外編vol.3610)

2023-05-24 00:08:02 | 日記

このスズキ「GAG」が登場したのって1986年だったのですが、その頃のボクは京都で専門学生をしてた時で、悲しいかな地方からやって来た貧乏人学生だった為、

向こうでは常にバイトをしながらの生活を余儀なくされてた状況だったんですよね(笑) で、その京都の専門学校を3年間通ったうちの後半にあたる1年半の期間、

ある外車(メインはドイツ車)の並行輸入の会社でアルバイトしていました。その時にその会社にあったのがこのスズキ「GAG」だったんですよね。なぜあったか?

は定かではないのですが、多分、そこの社長が面白がって買ったんじゃないかって思います。まぁ、その社長って当時、プロの「国内ラリードライバー」をやってた

「松本誠選手」だったですからね。また、アルバイトだったボクの為に「仕事中の足」として買ってもらった感も、あったんじゃ無いかって気がします。不思議とそこ

では皆さんに可愛がってもらってましたから(笑) で、例えば社員さんのお弁当を取りに行ったり、近場のお客さんのところに書類やらを届けに行ったり、色々な

雑用を頼まれていたので、時と場合によりけりで、ボクとしては、仕事するにあたり代車に乗るかこのスズキ「GAG」に乗るかでした。なので随分とこの「GAG」

には乗ったのですが、まぁ、その感想はとにかく「全然走らない」です(笑) 普通におばちゃんの原付スクーターにも負ける状況で、特に出だしが悪かったですね。

まず1速は無いに等しい状況で、直ぐに「頭打ちする」ため、いつも2速から発進していました。それでも加速してくれなくで交通量の多い国道などを走る時は周りの

速さについて行けず怖かったです。まぁ、スズキとしては初めて「レーサーレプリカ」を50ccで再現した新しい試みのオートバイという事や、半分「冗談で作った」感

があるので、見た目重視でそこまで走りには関心がなかったとも考えられます。なんせネーミングが「GAG」ですからね(笑) で、一応詳細なスペックを見てみますと、

エンジンは空冷式4スト単気筒SOHC2バルブで、正式な排気量が49cc、最高出力は5.2psで、最大トルクが0.57kg、車重は70kgで、ガソリンタンク容量が満タンで

7リットル、市街地での平均燃費が大体40kmから45kmと言う感じになっています。またフレームはスチール製の角パイプバッボーン式で、トランスミッションは

リターン式の4速MT、ホイールサイズは前後ともに10インチで、キャブは機械式キャブレターでした。とにかく特徴は見た目で当時あった「GSX-R750」を50ccに

縮小したら「こうなりました」ってバイクです。後にこの「GAG」をヒントにホンダやヤマハからも「ミニバイク」と言うモデルを排出することになるのですが、こっち

に関しては以前にも書きましたが、走りを含め本格的なものとなっていました。で、結局このスズキ「GAG」ですが、登場した1986年の1年間だけしか販売されません

でした。もちろん2世代目となる後継モデルもありません。まぁ冗談も程々にって事だったのかもしれません(笑) ただ当時、販売には繋がらなかった様ですが話題は

さらっていました。雑誌でも多く特集が組まれていましたし、若い世代よりより少しお金おを持ってる大人に買われてた気がします。時代はどんどん好景気に湧き始め

ててモノが売れる時代に差し掛かってもいましたから、タイミングは悪くなかった気がします。で、最後に現在の中古市場を見てみますと、大体安いもので30万円あたり

から、高いもので75万円前後で取引されてる様です。50ccの原付と考えると、まぁまぁしますね(笑) ちょっと調べてみますと何故か未使用車などもある感じです。

40年近く経った車両ですが、誰かが趣味で買って乗らずに持ってたって感じかもしれません。さて、今日はボクにとってとても懐かしいスズキ「GAG」をご紹介しました

が、いかがだったでしょう!(笑)






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2ストスポーツ系ミニバイクを継承、カワサキ・Z125 PRO。(番外編vol.3609)

2023-05-23 09:57:40 | 日記

かつての新しい排気ガス規制(平成11年度)の為に、2000年を迎える前に消滅した、2スト50ccからなる「スポーツ系ミニバイク」に代わり、同一のコンセプトを

持ちつつ新たに登場したのが、4スト125ccエンジンを搭載した、このカワサキ「Z125 PRO」だったりします。また、他で言えば、ホンダの「グロム」なども同一

モデルとして考えられます。で、この「Z125 PRO」の登場自体は2016年からで、今のところ特に大きなモデルチェンジがなされないまま、現在でも新車で売られて

いる車両だったりします。ただしデザインに関しては、かつてのホンダ「NSR50」や、ヤマハ「YSR50」などの様な「レーサーレプリカ」とは違い、どちらかと言うと

ミニ系「スポーツネイキッド」として登場した感じになっています。とにかく、この手の「ミニバイク」は非常に「走りに特化」した仕上がりが魅力で、各地方にある

ミニサーキットなどを利用し、独自のレースやイベントなどが行われてて、一般ユーザーにとっても比較的安い費用でで「サーキット&レースを楽しむ」事が出来るもの

になっていたりします。まぁ、以前はこれを2スト50ccのスポーツモデルで行っていた訳ですが、さすがに4スト50ccとなると走りに難点が生じてしまう為、同じぐらい

のフィーリングを楽しむ為には、排気量をどうしても125ccまで引き上げる必要があったと考えられます。ただ、一旦は衰退したジャンルでもあった「ミニバイク」だった

のですが、こう言った車両が新たに登場したことで、現在でも昔と同様に色々な要素でミニバイクは乗られてるとも言えそうです。で、一応このカワサキ「Z125 PRO」の

詳細なスペックを見て行きますと、まずエンジンは空冷式4スト単気筒SOHC2バルブで、正式な排気量が124cc、最高出力は9.7psで、最大トルクが0.98kg、車重は

102kgで、ガソリンタンク容量が満タンで7.4リットル、市街地での平均燃費が大体30~35kmと言う感じになっています。またフレームはスチール製のバックボーン式で、

トランスミッションは4速MT、ホイールサイズはコーナリングに適正な12インチで、フロントフォークは倒立式、前後ともにディスクブレーキが装備されてて、メーターは

アナログとデジタルの混合タイプとなっています。で、先ほども言いましたが現在も新車で売られてて、その価格は352.000円(税込)となっています。また4スト125ccに

関して言えば、近年では「フルサイズ」のスポーツバイクが多く販売されており、そちらに関しては年式相応に進化してる関係上、電子制御システムなども取り入れられて

いる為、一般道を走る事を前提と考えた場合、どちらかと言うと人気はそっちに方がある感じになっていますが、ツーリングよりサーキットと言う、少し特殊なユーザーに

は、未だに好まれる傾向にあるとなっています。もちろん一部ツーリングを好むユーザーにも好きな方には乗られてる様ですけどね(笑) また遊び感覚に関しても高い

傾向があり、比較的カスタムされてる車両が大きのですが、2分化されてる感じで、サーキットをより楽しむために速さを求めたものから、フォルムを変更して違う車両に

見せるものまで多種多様な楽しみ方がなされている感じです。ここは「手軽でコンパクト」なだけに思い切った事が出来るメリットがあるとも言えそうです。で、最後に

現在の中古市場を見てみますと、大体安いもので25万円あたりから、高いもので50万円前後で取引されてる感じになっています。高額化してる車両のほとんどは多くの

カスタムパーツを搭載したもので、大金をつぎ込んでるものになってるものの様です。さて、今日はそんな「新しいミニバイク」である、カワサキ「Z125 PRO」をご紹介

しましたが、いかがだったでしょう!(笑)




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最後まで残った2スト50ccスポーツ、ヤマハ・RZ50。(番外編vol.3608)

2023-05-22 11:31:56 | 日記

なぜかここの所、昔あった原付50ccモデルのお話になっちゃっていますが、今日も個人的に気になる1台としてヤマハ「RZ50(2世代目)」のご紹介です。

まず、基本的に国内での「2ストエンジン」を搭載したモデルのほとんどが、2000年以前に消滅しており、特に「フルサイズ」の「2ストスポーツバイク」と

しては、唯一、このヤマハ「RZ50(2世代目)」が生き残ったカタチになります。もちろんモトクロス系に関しては、まだまだ生き残り車がありヤマハだと

「WR」シリーズを含め2ストエンジンを搭載したものが同様に生き残っています。で、この2世代目の発売時期ですが、まず初期型の登場が1998年からで、

遡(さかのぼ)ること初代モデルの最後が1985年式までだったので、途中、10年以上の間があいての登場となります。またコンセプトも初期モデルと違い

「クラシカルスポーツ」となっており、見た目のデザインも含め、非常に「オーソドックスなスタイル」をしていました。また平成11年に厳しい排気ガス規制

が行われた事で、先にも述べましたが、国内の2ストスポーツモデルは排気量問わず、ほぼ全てが消滅する中、なぜかこの「RZ50(2世代目)」だけ生き残れ

たんですよね。ここが今日ご紹介する上で「大きなポイント」と考えてください(笑) で、早々に仕様を見て行きますと、キャブは規制前と同じ機械式となって

います、まだ今の様な電子制御(フューエルインジェクション)では無いんですよね。さて、そうなると、どこをどうしたら規制をクリア出来たか、より深く

調べてみると、どうやら排気中の未燃焼ガス(白煙)を「再燃焼させるシステム」としてヤマハ独自の「エアインダクションシステム」と言う機構を新たに

備えた事や、その排気ガスを浄化させる「キャタリストチューブ」と言う機能も加えてた事がわかりました。説明しますと、まず「エアインダクションシステム」

とは、排気管(チャンバー)内でエンジンから排出される、残りカス(白煙)を再度燃焼させるシステムで、走行中、スロットルを戻した時に作動する仕組み

だった様です。ただ、デメリットとして、もし排気管を外品の高性能なものに交換するとそのチャンバーから「アフターファイヤー」が発生してしまうと言う

症状が起こる為、購入後にこのシステムを取り外してしまうユーザーが多かった様です(笑) またもう1つの「キャタリストチューブ」とは、ある種のフィルター

の様な役割を果たすもので、単純に言えば「排気ガスを濾過(ろか)する」と言うものだった様です。いやぁ、原付バイクですが、ここまで素晴らしいシステム

を搭載していたんですね。まさに、小さいからと言って侮(あなど)るなかれ!ですね(笑)もちろん原付としては当時、最高に速いオートバイとされておりり、

エンジンは水冷式2スト単気筒クランクケースリードバルブ式で、正式な排気量が49cc、最高出力は7.2kgで、最大トルクが0.6kg、車重は乾燥重量で80kg、

フレームはスチール製のセミダブルクレードル式で、トランスミッションは6速MT、ホイールサイズは前後ともに17インチで、標準でラジアルタイヤを装備、また

何と言っても特化してたのが、社外排気マフラーの交換とセッティングだけで、最高速が100kmまで可能だった事です。今の4ストを持った原付スクーターなどと

比べると、とんでもないですよね(笑) また50ccモデルでのフルカスタムと言えばホンダ「モンキー」や「ダックス」はたまた「エイプ」や「シャリー」などが

有名ですが、速い仕様になってるものは全て排気量をボアアップさせています。しかしこの「RZ50(2世代目)」は吸排気効率だけで50ccのまま上位機に劣らない

パフォーマンスを誇るという訳です。さて、今日はそんな、最後まで生き残ったヤマハ「RZ50(2世代目」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)




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