オートバイ業界で「ヨシムラ」と言えば「世界初の集合管マフラー」を設計したことが特に有名で、創業者の「POP吉村さん」と言う天才チューナーを思い浮かべる方が多いと思います。
そもそも、彼の人生を振り返ると、第二次世界大戦直後に九州の修理工場で働いてた若かりし時期に、趣味的に触っていたオートバイのチューニングからが最初の発端とされてて、
当時、アメリカ占領下の中、在中してたアメリカ軍人のオートバイをチューニングした事で有名になり、ホンダのレーシング部門からカムシャフトやその他のエンジンパーツを供給する様になり、
その後、アメリカに渡ったり、お店が火事になったり、人に騙されて倒産しかけたり、しながら最終的には「スズキと協定」を結び、現在までオートバイに関わる色々な商品を作ったり、
自社でレーシングマシンを開発したり、様々なパーツを販売したりするショップとして発展した下町のオートバイメーカーです。まぁ、取り立てて説明せずとも有名な話ですよね!(笑)
ちなみにこの創業者である「POP吉村さん」は1995年に73歳で既に他界されています。なので現在は長男の吉村不二雄さんが2代目として社長をされてる様です。
そんな「ヨシムラ」ですが、1980年代に入り世間で峠を攻める頭のおかしい「あたおか」な小僧たちの存在から、逆にその「オートバイブーム」に乗ったカタチで会社は急成長を遂げ、
一般車両を改造した「TT-F1」や「鈴鹿8時間耐久レース」などに自社開発のマシンで積極的にレース参戦する様になり、国内外問わず誰もが知る有名メーカーとなっていくんですよね。
そんな初期の充実した時代に、ヨシムラ初の「コンプリートマシン」として登場したのがこの「トルネード1200ボンネビル」です。
発売開始が1986年で「たった3台だけ」の完全限定販売された車両です、また同時期に登場したホンダ「RVF750(RC30)」が148万円と言う高額な価格で世間を驚かせていた時期に、
なんと500万円で販売されていました。(笑)で、噂ではこの3台とも同じオーナーさんが現在も所有してるとの事です。
また、この「トルネード1200ボンネビル」ですが、基本ベースとなるのが初期モデルの「GSX-R1100」で、仕様としては、エンジンのボアアップやマグネシューム製のキャブレター、
はたまた自社製のカムシャフトに、ショーワのサスペンションをヨシムラでカスタムしたものや、当時珍しかったマルケジーニ製のホイールにヨシムラサイクロンマフラーが装備されていました。
いわゆる「世界スーパーバイク選手権」に使うレーシングマシンとほぼ同じスペックを誇っており、最高出力が160psで、最大トルクは13kg、車重(乾燥重量)が179kgと言う、
当時としては途轍もないモンスターマシンとなっていたんですよね。また名称にある「ボンネビル」はアメリカの最高速を競う「ボンネビル・ソルトフラッツ」と言う競技場の地名から引用されたもので、
トライアンフの車両でも用いられたネーミングとなっています。
とにかく、ヨシムラ初の「コンプリートマシン」という事で当時はその余の凄さに、ただただ憧れを抱くばかりだったんですよね。まさにボクもその1人でした。(笑)
あまりにも魅力が凄すぎて「欲しい」を通り越して「憧れ」だけがボクの心を支配した事をハッキリと覚えています。
その憧れが高じて、当時ボクが乗ってたヤマハ「FZ400R」に「ヨシムラサイクロン」をあえて付けてました。ただ公認マフラーでは無かったため、かなり爆音でしたけどね!(笑)
当時、ボクが専門学校を卒業したのが1987年なので、ちょうどそこら辺の時期だったです。いやぁ1回で良いから実物を見てみたいものです。(笑)