Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

何と言ってもクルザーフォルムの元祖!ハーレーダビットソン。(番外編vol.4022)

2024-07-23 11:01:14 | 日記

ハーレーダビットソンにとって、現在では本国アメリカより販売台数的に「売れるマーケット」と呼ばれてる「日本」ですが、その理由として現在日本自体がオートバイ

ブームの真っ只中にである事もその理由ではあるものの、ボクの個人的な意見はもっと他にあり、日本人の根底にある「アメリカ憧れ」と、オートバイの枠を外れた規格

外の迫力を持つ「超大型クルーザー」と言う魅力に大きな要因があると感じています。そもそもヨーロッパ圏で生まれたオートバイですが、1903年に創業したハーレーは

独自の思想からそのオートバイを自国で乗られる事を想定して「クルーザー(日本ではアメリカンと呼ばれてる)」と言うフォルムを確立した所に「本当の偉業」を感じる

んですよね。これはアメリカ独自の思想が大きく反映されており「大陸(長距離)を走る為のに作られた」とも言えるところがポイントとなります。日本のメーカーにして

もヨーロッパ圏のメーカーにしても、ラインアップに必ずクルーザーを配置していますが、このクルーザーはあくまで「ハーレーダビットソンを模倣したフォルム」であり、

それだけに日本ではクルーザーとは言わず、アメリカンと言ういわれ方になってるとも考えられます。また大排気量である事や、それが故のエンジンサウンドや鼓動、また

伝統の「V型2気筒エンジン」なども、深くハマればハマるほど、その魅力は増していく傾向になり、昔のエンジン(ナックル・パン・ショベルなど)を好むビンテージ系

のライダー(バイカー)も「日本で多く存在してる」と思われる訳です(笑)。ハーレー自体が他のオートバイより決して速いとは言い切れませんし、コーナリングワーク

が得意とも言えない、あくまでクルーザーモデルではありますが「どこまでも続く一直線の道をひらすら走り続ける」乗り物としては最高のオートバイだったりしますし、

多分ですが、日本でのハーレー乗りの大半が「そのイメージを持って乗ってる」と考えられます。但し、悲しいかな日本はアメリカ大陸と違い小さな島国なので、実際は

中々そのイメージ通りに走れないのが現実ですが、そうは言っても本国より売れてる現状を考えると、高速道路であったり田舎道などを走りながら、それに近い雰囲気を

味わってる印象は何となく感じたりしますよね。また国内に関してだけを言えば、いわゆる「ビッグツイン系(1.200cc以上)」よりスポーツスターに見られる「スモール

ツイン系(1.200cc以下)」の方が多く売れてる傾向なので、持て余し気味になる超大型クルーザーは、思ってる印象よりもしかすると「少数に止まってる」のかもしれ

ません。また余談ですが、昔の国産自動車って時速105kmを超えると「キンコ〜ン・キンコ〜ン」って音が鳴る仕組みがありましたが、あれが「廃止になった」のって実は

ハーレー社が「日本人は機械にコントロールされないと自分で速度も制御できないのか!」って言葉で無くなっっと言われていますし、1996年より改定されて大型バイク

の免許が「教習所で取得出来るようになった(限定解除の廃止)」のも、ハーレー社が自社のオートバイ販売の増大を目指して「日本に圧力をかけた結果」と言われています。

多分この2つの出来事は都市伝説ではなく「本当の事」だと考えられます。それだけ日本に対してハーレー社は「大きな力を持ってる」と言えるんですよね。まぁ考えてみて

下さい。現在のオートバイって広告の制限が非常に厳しい状況で、個々の車両を広告したりする事はNGとされていますが、何故かハーレーに関してはメーカー広告ではある

ものの多くの場面で宣伝物を見かける状況ですよね。CMなどは無いにしてもPOPやWEBなどで宣伝しまくっています。そこを見てもいかに強い力を持ってるかが窺(うかが)

えると言えそうですよね。最後に個人的にハーレー自体は好きですし、最初に言った「クルーザー」と言うフォルムを開発した元祖であるハーレーは、そこだけをとっても、

素晴らしいオートバイメーカーであると言える気がします!(笑)





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大型バイクで凌(しの)げた事は優秀?、カワサキと言うメーカー…。(番外編vol.4021)

2024-07-22 10:16:07 | 日記
現在、非常に勢いがある「カワサキ」と言うオートバイメーカーですが、過去を振り返れば常に順風満帆だったとは言い難たかった事に気がつくんですよね(笑)。特に

限定解除時代、とにかく中型バイクが全盛期だった1980年代から1990年代にかけては、他者と違う道を歩む「カワサキ」として、理解不能な苦労が結構あった気がする

訳です。例えば、当時信じられないほど売れまくってた、原付スクーターに関してカワサキはあえて手を出していませんでしたし、中型からなる2スト系レーサーレプリカ

を中心とした売れ線の車両にとっても、結果としては4スト系のスポーツツアラーに特化した姿勢を貫いた感もあったりしてて、ボク的には意味が分かりませんでした(笑)。

結局は1970年代から他社より1歩リードしてた「大型バイクに心血を注いでいた感」いわゆる「男のカワサキ」を続けていた気がするんですよね。そんな中でも特に印象的

だったのは、カワサキ初の水冷エンジンを搭載した「GPZ900R」だっ気がします。当時、908ccでリッターオーバーの115psを叩き出すエンジンで「世界最速」を誇って

いましたし、映画(トップガン)の影響もあり、当時の大型バイクの売上とは思えないほど販売台数も好調でした。要は他社が大型バイクの売上げを劇的に落としてた時期

でも、カワサキだけはコンスタントに大型バイクが売れてたって感じですね(笑)。まぁ、この事が、いわゆる後の「ニンジャ」や「Z」シリーズに繋がって行く事になって

いく感じだったと思われます。日本国内でとにかく「不思議なオートバイメーカー」と言えば「スズキ(スズ菌)」と考える節がありますが、当時のカワサキはそれ以上に

不思議だったとボク個人は感じていました(笑)。分かりやすく言えば「何で売れそうな車両を作らないんだろう?」ってね(笑)。しかし、ボクの予想に反して違う流れ

のアプローチで、結果的には、大きな失敗には繋がる事なく、次の「ゼファー」シリーズなどの「ネオクラッシクブーム」を起こしてたり、2000年代以降の厳しい排気ガス

規制に対する対応や新開発の車両(例えば、ニンジャ250Rなど)も非常に「登場が早かった」事で今のポジションを獲得してる印象もがあります。おっと!話を昔に戻しま

すが、1980年代にあった空前のオートバイブームは若者中心だった事もあり「大型バイクの需要は今と違い非常に低かった」事は間違いなかったでです。結局、免許の法律

が改定される前(1976年以前)に大型バイクの免許を取得してた世代か、頑張って何度も免許センターで「一発どりチェレンジ」をした人かのどちらかしかしか、大型バイク

の免許を持っていなかったので、新車はおろか、中古車でも大型バイクって売れないものだから、今じゃ信じられないと思いますが、当時だと名車「Z1/2」や「GSX1100S

-刀」なんかも15〜25万円あたりで取引されていましたし、それでも売れ残って埃(ほこり)をかぶってた状態だった事を思い出してしまいます(笑)。ただ「GPZ900R」

だけは、それらとは違ってて「イエローコーン仕様」や「BEET仕様」などがもてはやされていました。まさに当時は「憧れ!」とか「尊敬!」って言葉が大型バイクに乗って

るライダーに当てはまる感じでしたからね(笑)。で、それが「カワサキ車だった」と言う印象です。現在は「Z900RS」であったり「ニンジャ1000SX」や「Z H2」など

しっかり販売に貢献してる車両が取り揃ってるカワサキですが、この結果って、結局「進むべき道を誤っていなかった」と言う事なんでしょうかね!(笑)




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実はこれが出てなかったらヤバかった!ホンダ・CBX400F。(番外編vol.4020)

2024-07-21 17:52:42 | 日記

本来、国産で4スト4気筒エンジンを早くから登場させてたのはホンダで、1969年の「CB750ドリーム」に始まり、中型ミドルにも1972年に「CBB350FOUR」、

1974年には名車「CB400FOUR」を登場させていたのですが、1977年に登場させた「CB400ホークII」は4スト2気筒エンジンでした。これには一応の理由があって

名車「CB400FOUR」を新車で販売してた時、スズキから販売されてた「GSX400E」が2気筒エンジンでありながら「優れた速さを誇ってた」事に対して、ホンダ

として4気筒エンジンを搭載した「CB400FOUR」より、2気筒エンジンを搭載したの「GSX400Eの方が速い!」って事で2気筒エンジンの優位性に舵を取り直した

感じだったからじゃ無いかって思われるんですよね(笑)。そう言った流れの中、次に登場したのが4スト2気筒エンジンを搭載した「CB400ホークII」だった訳です。

しかし、それは直ぐに誤算となります(笑)。1979年にカワサキから4ストDOHC4気筒エンジンと言う高出力を持つ「Z400FX」が登場したからなですよね。しかも

翌年の1980年にはヤマハからも「XJ400」が登場したり、スズキからも、2気筒をやめて4気筒モデルとなる「GSX400F」が登場してしまいます。この時点でホンダ

は完全に「他社に出し抜かれた」感じになってしまい、とりあえず、それに対処する為、当時人気モデルとなってた「CB750F」にフォルムを寄せた「CB400N」や

「CB400ホークIII」などに見た目を変更するのですが、まぁ、それにより適度な人気は得たものの、やはり「4気筒エンジンと言う魅力」には勝てず、遅れをとった

感じになってしまうんですよね。そこで後発ながら最新の技術とポテンシャルを持った「CBX400F」が1981年よりついに登場する事になる訳です(笑)。当時その

性能は非常に優れたものとなっててて、DOHC4バルブのエンジンヘッドに、クロスされたマフラーで最高出力は48psとなり、他のモデルより飛び抜けて良かったスペック

となっていたんですよね。またインボードブレーキシステム(カバー付きディスクブレーキ)や、リアのプロリンク式サスペンションなどが採用されていました。また一旦、

次のモデルとなる「CBR400F」の登場により、生産中止となるのですが、同年の1984年に再販が決定します。この構想はレーサーレプリカへと流れていく「CBR」系

モデルに対して、後の「CB-1」や「CB400スーパーフォア」などに引き継がれていく事になります。当時の生産台数もかなりの台数を販売しており、現在でも適度に

車両は残っているのですが、大半が暴走族車両となってる為、完全ノーマルで残ってる車両は貴重で中古価格もとんでもない事になっています。多分ですが、ボクの記憶

では、とても早い時点から高額な価格が付いてて最初にその金額に驚いた車両だった記憶です(笑)。ボク自身で言うとボクが中型免許を18歳で取得した年が1984年

だったので、既に「CBR400F」が新車で登場してましたし、新車でこの「CBX400F」があった事もよく覚えています。オートバイ全体の流れから見るとひと昔前の車両

と言う印象でしたが、この「CBX400F」登場までの流れを考察すると、ホンダの中型ミドルに対する考え方が、よく分かる時代だったと言えそうですね!(笑)





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何とかならないのかなぁ!ヤマハ・セロー&SR400。(番外編vol.4019)

2024-07-20 14:18:35 | 日記

生産開始1985年から長期間に渡って、それなりに順調な売り上げを出してた、ヤマハ「セロー225/250」に関しては2019年をもって生産終了、かたや単気筒スポーツと

して国産バイクでも名車とされてる「SR400」に関しては2021年をもって生産終了となっていますが、そもそもこの2台に関して言えば、いわゆるヤマハの「売れ線のモデル」

でもありました。で、今のヤマハを見ると悲しいほどラインナップに売れてる車両が無くて、新車の登場に関しても若干「停滞してる」感が歪めませんよね。どことなく必然

的に停滞してる様にも考えられる状況にあるヤマハのオートバイたちですが、新しく売れるオートバイを登場させない限りこのままでは「衰退の一途」を辿ることになって

しまいそうです。で、ボク個人が思うに上記であげた2台ですが、改良を加えて「再販」することは難しいんでしょうかね(笑)!全く新しいモデルとなると「一か八かの

大勝負」となるのですが、以前からコンスタントに売れてたこれらの「実績がある車両」を再販すれば、また少しは息を吹き返せれる気がするんですけどね。ただし、再販

出来ない大きな問題として新しく施行される「排気ガス規制(ユーロ6)」があるからなのですが「セロー250」に関しては「空冷式から水冷式へ」の移行で何とか対応し、

単気筒スポーツ「SR400」に関してはホンダの「GB350」をよく観察して対応策を講じる事も出来る気がするのですが、どうなんでしょうね(笑)。またこれは、かなり

個人的な意見になってしまいますが、どうもフラッグシップモデルとなる「YZF-R1」も現行型になってかなり経ちますし、正直、本来なら飛ぶ様に売れなくてはならない

中型モデルの「MT(ネイキッド)」シリーズにしても「YZF(フルカウル)」シリーズにしてもモデルチェンジを繰り返すうちに、何故かどんどん「カッコ悪くなってる(笑)」

気がてて「何やってんだ!ヤマハ」って思いが溢れ出してしまいます。細かいですが、特に「MT」シリーズなんて、フロントの顔となる部分がイマイチな気がしてならないん

ですよね(笑)。LEDであったりプロジェクター化する事で、かえってフロントフォルムが小さくなってしまい、全体的なバランスが悪くなってるイメージなんですよね。他の

メーカーはデザイン的にも魅力を失う事なく上手くモデルチェンジしてる気がするのですが、ヤマハに関してはどうも「それとは真反対な感じ」になってる気がします。また

もう1つボク的に気になるのが、カラーリングなんですが、どうしてホイールに何であんなライムグリーぽい色を使うんでしょう(笑)。フルカウル仕様に関してもそうですが、

単色にシンプルなラインステッカーが多いですよね。例えば「YZF-R7」を取り上げてみても、どうもカラーリングに魅力を感じません(笑)。フォルムは良いと思うのですが、

カラーリングで損をしてる気がするんですよね(笑)。昔は良かったおじさんでは無いですが、ほんと昔のヤマハは素晴らしかったですし、魅力的な車両もたくさん輩出してい

ます。モデルチェンジも早かったし、新しい車両の登場も多かった…、いつから今の状態になってしまったのか?と思うのですが、とにかく国産No.2に返り咲くには、売れる

車両の登場は必須ですよね。ボクなら上記の2台の復活を考えますが、どうなんでしょうね!(笑)





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ドゥカティ・パニガーレV4Rのご先祖、ドゥカティ851。(番外編vol.4018)

2024-07-19 09:59:45 | 日記

もう、オートバイの性能や速さが「異次元の領域」まで到達しつつある「ドゥカティ」社の「パニガーレV4R」ですが、そもそもドゥカティ社として本格的なレーシング

マシンからフィードバックされ「スーパースポーツ(SS)」として世に送り出した市販車って「どの車両から?」って考えてみると、以前は1994年に登場した「916」じゃ

無いかって勝手にボク思っていましたが、実はもっと前の1988年に登場したモデル「851」が、本当に意味で「最初だった!」んじゃ無いかって今は思うんですよね(笑)。

これに関しては、1988年からスタートした「SBK(世界スーパーバイク選手権)」を見越して開発された「水冷式」の「L型エンジン」を最初に搭載したモデルだったから

と言う理由が大きです。また、逆にオートバイブームの真っ只中にあった当時の国産スポーツ系モデルを見て行きますと、ほぼ水冷式の4スト4気筒エンジンが主流となってて、

ホンダだとV型であるけど4気筒の「RVF750(RC30型)」だったり、テック21カラーでもお馴染みのヤマハの「YZF750(OW-A0型)」だったり、既にこの時点で、数回

のモデルチェンジが行われてた先行型モデルで熟成著しいスズキの「GSX-R750(GR75C型)」だったり、ついにカワサキからも本格的なレーサーモデル誕生ですって感じ

の「ZXR750(ZX750H)」などが登場してた時代で、これらと比較し特徴を見て行きますと、ドゥカティの「851」に関しては、伝統の「L型2気筒エンジン」である事や、

2気筒エンジンなので排気量750ccオーバーが許され、851ccになっていた点です。また、当時で最高出力がついに100psを超えており、実際「SBK(世界スーパーバイク選手

権)」に参戦したホモロゲーションモデル(PS-2)は、新型エンジンで121psを叩き出していたと言われています。今見ると大した事ないって思われますが、当時は排気量、

10ccに対して出力1psと言う計算が普通だったので、出力を100ps以上にするには、シンプルに、排気量が1000cc必要とされていたんですよね(笑)。ただ、国産メーカー

の様に、気筒数を増やせば、その辺の「問題改善が図られる時代」になってたので、国産メーカーは全てショートストロークで高回転型の4気筒エンジンが基本だった感じで

した。この違いは大きい部分ですよね。まぁ、ドゥカティはイタリアのメーカーで、昔から「歴史と伝統を重んじる傾向」にありますから、長らく作られてきた「L型2気筒

エンジン」に、こだわっていた為「排気量の増大と水冷化」に焦点を置く必要があったと考えられる訳です。またそうなると、やはり初代水冷式エンジンを搭載した「851」

が最初の「スーパースポーツ(SS)」だったと考えられるんですよね。またフォルムを見ると若干ボッたりしたイメージを感じますが、そこまで重い設計にはなっておらず、

標準で大型のディスクにブレンボーのキャリパー、オーリンズのサスペンションなどが搭載されていました。またこれまた伝統のスチール性トラスフレームを採用しており、

エンジンは吊り下げ式となっていました。また最初からシングルシート仕様で国産モデルのデュアル(2灯)と違い、シングルの角形ヘッドライトが搭載されていました。

これはある意味、現在にも通づるものがある気がするのですが、伝統を重んじて古い機構を使い続けてる一面と、新しく開発した新技術が三位一体化してる印象を強く受け

ます。多分そこが国産メーカーと大きく違う部分で、現在の「パニガーレV4R」に関しても同じ事が言える気がするんですよね。とにかくここからレーシングマシンと市販

との間に位置するドゥカティのオートバイとしてスタートする訳ですが、やはり圧倒的な速さで他を寄せ付けなかった1990年代に入ってからのモデル(例えば916)など

が、どうしても印象的なのですが、もしドゥカティのファンであるなら、どこか中途半端感もあるけど「851」も注目すべきモデルじゃないかって思うんですよね!(笑)




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終戦直後の国産スクーター、富士産業・ラビット。(番外編vol.4017)

2024-07-18 10:55:09 | 日記

オートバイ好き、もしくはジャンルを問わずビンテージそのものが好きな人なら知ってる人も多いと思われる、大昔に作られてたスクーター「ラビット」を今日は

簡単に見て行きたいと思います(笑)。正直ボク自身このオートバイに関してはそこまで詳しくないので、参考までに読んでみて下さい(笑)。で、まず、メーカー

ですが、第二次世界大戦(太平洋戦争)の戦時中に「中島飛行機(零戦の製造メーカー)」と言われてた会社が、終戦後「富士産業(現・スバル)」となり、戦後

間も無い頃からオートバイの製造販売を開始した経緯からスタートしたとされています。このオートバイを作る切っ掛けは自社で戦時中に製造してた爆撃機「銀河」

のリアタイヤが工場に多く余っていたからと、世間でよく言われてたりしますが、確かに初期の開発の時点ではそうだった様なのですが、実際は「試作2号機」まで

がそのタイヤを使ってて、実は実用になってからは使われていませんでした(笑)。と言うのも、実は飛行機のリアタイヤっていわゆる「スリック(溝なし)タイヤ」

だったので、実際に販売された時は他社のゴムメーカーが当時開発した「トレッドパターン」が掘り込まれたものが搭載されていた様です。また開発にあたって見本

となったのがアメリカ製の「パウエル式スクーター」で、同時にソ連でもこのオートバイを真似して似た様なオートバイ「トゥギャッター」が作られていました。

この3台は非常に類似点が多いので、見てても面白いです(笑)。で、実際にこの「ラビット」が製造されたのって、1947年(GHQからの許可あり)からで、最終の

モデルで1968年まででした。生産終了した理由はホンダから登場してた「スーパーカブ」の出現で、販売台数が激減してた事が理由だった様です、また「ラビット」

と一括りにしてしまうにはあまりに「仕様」の違うタイプが多く、初期中の初期モデル「S-1」から、最終となる「S-211A」まで細かく違いがあったりする感じです。

また「S」の後に付いてる数字は、不確かではありますが開発番号を表記してるのでは無いかと推測されており、そうだとすると多分ですが「211」回、仕様変更もし

くは開発の回数があったと考えられます。で、一応スペックですがこれがあまりに多岐に渡っており、例えばエンジンだけでも、空冷式2スト単気筒、もしくは空冷式

4スト単気筒と大きく2種類のモデルがあり、排気量も様々なものがあった様です。例えば初期の2ストだと排気量が225ccで最高速が70〜80kmも出たモデルもあれば、

1957年には4ストで246ccの排気量を持つサイドバルブ式の車両があったり、翌年の1958年には2ストの87ccモデルでホイールに15インチを履かせた異質なモデルも

あったりする感じです。さらにトランスミッションに関しても、AT(オートバイ)もあればMT(マニュアル)もあり、車両によって異なっていました。で、もっと言う

と「ES」と言うタイプのモデルもあるのですが、これは完全な「電気スクーター」で、累計で産台数が23台ってもあった様です(笑)。とにかく見た目はそこまで大きく

変更されていませんが、仕様に関しては非常に多くのタイプがあり、一体どのモデルが「スタンダードなのか?」ボクみたいに知識が薄い人だと、調べてもよく分からな

かったりします(笑)。また、車両の種類で言えばいわゆる3輪となるモデルもあり、1955年に登場した「T-75A/B」であったり、試作車として「RS-3」ってもあった

様です。また基本的なお話ですが、国産スクーターの登場って、1970年代後半のヤマハ「パッソル」からと勘違いしてる人も多い気がするのですが、この「ラビット」

もジャンル分けすればしっかりスクーターです(笑)。ただ1980年代から始まった多彩なスクーターとは多少概念が違い、単なる足とはKOT異なって「商用的な要素が

高い乗り物」だったと言えます。それが故に車体が大きかったと言う点があったりする様です。またそのまま乗るパターン以外にもカスタムしてより利便性を高めた車両

も作られており、それだけに種類が豊多様化してるとも言えそうです。さて今日はそんな大昔のスクーターである国産の「ラビット」を見て行きましたが、いかがだった

でしょう!(笑)



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オートバイはなぜ生まれた?そしてその進化の目的は!。(番外編vol.4016)

2024-07-17 10:37:49 | 日記

19世紀の後半にヨーロッパで生まれた「オートバイ」と言う乗り物は、そもそも「どうして生まれたのか?」その理由を紐解いてくと大体、皆さんが想像する通り、

当時新しく登場したばかりの乗り物である「自動車の安価版」である、もしくはそれ以前からあった「自転車の進化版」と言う経緯だったりします。その辺に関して

は、確かに間違いなくそう言った時代の流が関係して「開発された乗り物である」と言えそうです。ただ、登場し始めた初期というのは贅沢品として珍しがられた事

から「貴族の足」として重宝されてたり、少し時代が進むとお金を持たない「商人の物運びクルマ」となって言ったのが、主な使用目的であったとなっています。そう

聞けばまだ、現在とは大きく違い、全く「趣味と言う概念」は無かったって感じですね(笑)。そこから大きな戦争を2度ほど経験する中で、オートバイも独自の進化

を遂げるのですが、20世紀の初期はそう言った時代の流れもあって、ヨーロッパや北米のメーカーに求められてたのは「丈夫」で「便利」が優先されてた感じでもあり

ました。この頃まで軍用車を中心に大半のオートバイが「サイドカーだった」事を考えれば、その理由がよく分かりますよね。また1950年代に入るとヨーロッパのみ

ならず、日本でも多くのオートバイメーカーが生まれ、国内外を問わず多岐に渡る「マーケティング戦争」なるものが発生するのですが、ここでオートバイに求められて

たのは、確実に「速さ」でした。それを裏付けるものとして「レース」と言うものが盛んに行われる様になり、そこで勝利すれば、そのままオートバイ販売に大きく

つながると言った傾向があったからだったと考えられます。で、これは日本国内に限らずヨーロッパ、北米でも同じ流れがあって、各社こぞってオートバイ開発を進めて

いくのですが、そこには必ず「速さ」ってのが、常について回ってたんですよね。これが現在でも同様の価値観を産ませてる理由となってて「オートバイ=速さ」って

概念が定着したって思われるんですよね。要するに自動車とは違いオートバイは「性能UP=速さ」って考え方になっていく訳です。逆にそうなっていく流れに対して、

「商用」的な要素はどんどん削ぎ落とされて行く傾向となり、この頃からオートバイに乗る人は、単に「オートバイが好き」である人に限定されていく流れもありました。

もちろんホンダの「スーパーカブ」の様な商用車も同時に新開発され、世界中で重宝されるのですが、オートバイ全体の流れを見るとやはり、昔と違い「実用性から離れ

ていく傾向」が強かったと言えそうなんですよね。ここから現在に至るまでオートバイの進化というのは性能の向上と、パワー、そしてエコロジーが重要視されていく

ことになります。また、オートバイに乗るって事が日常とあまり関わりが無くなり、あくまで「趣味」ものとして認知されていく傾向が、ますます強まっていく事になる

んですよね。この「趣味」と言う流れに対してオートバイメーカーとしては「ジャンル」と言う作戦で「対抗」してくることになります。要は類似した車両をどのメーカー

から出しても販売競争が激化するだけで、メーカー同士の潰し合いになりかねないので、各社新しいオートバイの魅力を細かく「ジャンルに分けて販売する」事で、販売

台数を伸ばそうとなってくんですよね。ここで大きくメーカーの経営が海外と国内で「概念が分かれて行く」のですが、海外のメーカーはそのジャンルに特化したメーカー

として生き残りを図る流れが生まれます。例えば「モトクロッサー」を製造するメーカーはそれに特化するメーカーへ、「ロードレーサー」を製造するメーカーはそれに

特化した車両のみを販売するメーカーへと言った感じです。で、逆に日本は国策としてメーカーをあえて「4社」に絞り込み「総合販売を目指す」ようになって行きます。

明暗はご存じの通り日本の勝ちとなるのですが、2000年を超えて、ますますオートバイが「趣味」のものとして見られるようになると、逆に特化したメーカーが魅力的に

見え始め、海外のメーカーも徐々にシェアーを広げて行くようになり、国内だけを見ても多様なメーカーのオートバイに乗られるようになっていますよね。総評しますと、

そもそもオートバイは「自動車の安価版的な商用車」として登場し、途中から速さを追求し始めた事で「趣味性の高い乗り物」へと変化し、現在に至ると言った感じです。

今日は「オートバイはなぜ生まれた?そしてその進化の目的は!」でしたが、いかがだったでしょう!(笑)





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生産終了が決定!スズキ・CBX-R1000R ABS。(番外編vol.4015)

2024-07-16 10:45:51 | 日記

そもそも、1988年からオートバイレース最高峰の「WGP」へ天才ライダー「ケビン・シュワンツ選手」と共に返り咲きを果たし、2020年まで4スト「motoGP」

へと移行した後も、継続参戦し続けた「スズキ」でしたが、同年ワールドチャンピオンを排出しつつも、遂にレースから撤退、そして現在においてはスズキの最高

峰テクノロジーを持つ「GSX-R1000R ABS」も、パーツ在庫を販売し尽くした所で生産終了となる様です。いやぁ、これって、とても「不思議な状況」で、ボク

の個人的な意見も含め、非常に「理解に苦しむ事」と言えるのですが、とにかく「どうしたスズキ!」としか言いようが無いです(笑)。もちろん、その背景には

それなりの事情があっての話にはなるのですが、それにしてもラインナップからフラッグシップモデル「GSX-R1000R ABS」が消える事はあり得ない話です(笑)。

また数年前には、長きに渡って販売されてた名車「GSX-R750」も姿を消していますし、スズキからフルカウルを纏(まと)ったスーパースポーツ(SS)マシンが

ここに来て一気に消え去るカタチとなってしまいます。そもそも、こうなった最大の要因は、2020年(令和2年)に施行された新しい排気ガス規制によってそれを

クリア出来なかった事が原因となり終了とされるのですが、他社は当然の如く改良を果たして継続販売にこぎつけています。まぁ、各社「自社の技術をアピールする

大切な車両」ですから当然ですよね(笑)。なのにスズキだけ海外輸出モデル「GSX-R600R」や、国内販売されてるネイキッドスポーツ「GSX-S750 ABS」もひっ

くるめて生産中止となってしまいます。更に実はこの経緯に関して、もっと言うと他にも改善を迫られてた車両がありました。それは人気モデル「Vストローム250」

や「GSX250R」や「ジクサー250/SF250」や「ジクサー150」たちです。但し、これらに関しては、何とか改良を加えた事で販売継続が発表されています。また

スポーツツアラーの「GSX-S1000GT」やネイキッドスポーツの「GSX-S1000」は、新開発された車両なので、最初から新しい排気ガス規制をクリアしています

から続行販売される状況でだったりします。まぁ、本来ならスズキの技術を持ってすれば、絶対に新しい排気ガス規制をクリア出来るはずですが、そこまで会社の運営

が厳しい状況にあるのか!?って悪い方向で想像してしまいますよね。また近年のスズキのオートバイラインナップを見ても国内販売されてる車両数はヤマハ同様に

「激減」しています。更に大型車両に関しては予想を下回る売り上げ数で、注目の「隼」や「KATANA」も話題のみが先行してるだけで、実際はそこまで売れていません。

結局、頼りになるのは「Vストローム250」や「GSX-R125 ABS」となるのですが、これだけだと流石に厳しいんでしょうね。ただ、こう言った「消滅の噂」に加えて、

水面下で「新開発されてるんじゃ無いか!」って情報もチラホラあったりします(笑)。例えば「GSX-R1000R ABS」だとエンジンの内部にある「クランクを逆回転

させる機構」が開発中との事で、エンジン形状のコンパクト化とそれに合わせて排気システムの効率化を目指してるとの事です。このエンジンがここまでの改良に対して

最高出力が200psをキープ出来れば、2025年に施行される次の新しい排気ガス規制(ユーロ6)に対応したカタチで、新しい「GSX-R1000R ABS」が登場する可能性

も秘めてるとなっています。この情報はかなり詳しく解説されているので、信憑性は非常に高いとも思われます。で、あるならしばらくの辛抱という事で、一安心ですね。

とにかく国内でのオートバイブームが続く状況になって、なぜか各オートバイメーカーの運営に関して、どことなく明暗が分かれてる気がするんですよね!(笑)




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この時代ならではの試み、ホンダ・モトコンポ。(番外編vol.4014)

2024-07-14 00:01:32 | 日記

1981年に登場したコンパクト自動車、初代ホンダ「シティ」に合わせてオプション的な扱いの1つに、トランクルームに設置、搭載が出来る原付バイク「モトコンポ」

が登場しており、当時、新車で8万円で売られていたのですが、現在では、その倍近くする15万円〜20万円と言う価格で売られてる状況だったりします。このコンセプト

はある意味、当時としても「かなり画期的」だったので、若者を中心に「遊び心をくすぐるアイテム」として注目を浴びていました。ただ実際に同時購入する人は思った

より少なく「シティ」と抱き合わせで買うケースは少なかったのですが「モトコンポ」だけを単体で購入する人はそこそこいて、最終モデルとしては1985年まで生産され

る事になります。とにかくポイントは「シティ」の車体に上手く搭載出来る事を念頭に開発されてる所から、ハンドルやステップ、シートなどが格納できる様になってい

た所です。この事で非常に車体自体がコンパクトになるので、どこに持ち込んでも「持ち運びが楽」だったんですよね。ちなみに性能ですが、エンジンは空冷式の2スト

単気筒で正式な排気量が49cc、最高出力は2.5psで、最大トルクが0.38kg、車重は乾燥重量で42kg、もちろん機械式のキャブが搭載されており、ホイールサイズは前後

共に8インチ、ガソリンタンク容量は満タンで2.2リットルとなっており、市街地での平均燃費は大体25km〜30kmと言う感じでした。またフレームはスチール製のバック

ボーン式で、車体のほぼ全身がカバーされており、ドラム式のブレーキシステムが前後に搭載されていました。ちなみに最高速は大体、45kmほどだったとなっています。

それよりとにかく、見た目がとても可愛いんですよね(笑)。またこう言った自動車にオートバイを積み込むアイディア自体は、先人として1952年にフランスの「バルモビル」

と言う会社が考案していたので、ホンダとしては「ライセンスを取得する必要があった」のですが、国内で古くからスクーター製造メーカーであった「平野製作所」がその

ライセンスを持っていた為、比較的すんなり譲渡(じょうと)されたと言う経緯もあった様です。更にマニアたちに高い人気を得るキッカケとなったのが、漫画「逮捕しち

ゃうぞ(1986年〜)」で、この漫画によって生産中止後も「風化しなかった」事も大きな要因だったと考えられます。また非力を懸念するオーナーの場合は、同時期に

あったホンダ「ディオ」や「ジョグ」などのエンジンと載せ替える事でパワーアップを測ってもいました。これは当時のオートバイ雑誌で見た記憶なのですが、とてつもない

カスタムとして1989年から販売開始された「フリーウェイ」と言う250ccスクターのエンジンを無理くりに搭載したものもあって、何だったか忘れましたが、そんな雑誌

などで取り上げられてた事も思い出します(笑)。また現在においてはホンダが開発した「電動アシスト自転車」である「ステップコンポ」などにコンセプトが引き継がれ

る形となってて、この「ステップコンポ」を自動車に積み込んで行楽地へと向かう楽しみ方も健在だったりします。今から思い返せば若干、登場が早かった気もするのですが、

もし1980年代の後半(バブル時代)あたりから登場してれば、全国の企業のほとんどが今の様に「週休2日制」になって行く流れがあったので、もっと受けい入れられてた

可能性があった気がします。なんせ、働き尽くめの日本人は「どう時間を使うか分かっていなかった」って経緯がありましたから、ほとんどの人たちがキャンプやBBQに依存

してた時代でもありましたからね(笑)。また少し話を変えて、ベースの自動車となる「シティ」に関してもホンダが一番先進的なモデルをどんどん登場させてた時代に現れ

たと言う経緯だったので、この自動車自体も当時多くの若者に売れてました。新車価格も安かったですしね!また、同時期に登場した「軽自動車」で初期型にあたる、ホンダ

「トゥディ」もボクの中では同じ印象です。いやぁ、思い出せばとにかく「懐かしい」の一言ですね!(笑)




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ネオクラッシックなオートバイは売れる!でもホンダは…。(番外編vol.4013)

2024-07-13 00:21:57 | 日記

2017年にカワサキから登場し現在でも人気モデルとなってる「Z900RS」だったり、2019年に登場したスズキの新型「KATANA」など、1990年代に

あった「ネオクラッシック」ブームが再燃したイメージを感じさせる現状があり、それらが現時点でも人気モデルとして君臨してる状況から、間違いなく

「ネオクラッシックって出せば売れる!」と考えられるのですが、なぜか、未だにホンダからは「Z900RS」などと同じコンセプトを持った車両が登場

していませんよね(笑)。本来なら直ぐにでも追撃体制を取る、世界ナンバーワン・オートバイメーカーのホンダですが、どうも、それらしきモデルが

現時点では繰り返しますが残念ながら登場していません。ただ、これは補足ですが今年に入って、海外輸出モデルとして「CB1000ホーネット」が販売

開始されてはいます。この「CB1000ホーネット」は、ネーミングこそ、かつての「ホーネット」と同じとなっていますが、あくまで最新のフォルムを

纏(まと)ったスポーツネイキッドですから「ネオクラッシック」に属するモデルとは違います。多分、世間がホンダに求める「ネオクラッシックモデル」

は、1970年代から1980年代にあった「CB750/900-F」じゃあ無いかって思われます(笑)。実際、2020年にWEB公開ではありましたが海外のモーター

サイクルショーで「CB-Fコンセプト」と言うモデルをホンダから発表しており、その見た目は明らかに「CB750/900-F」を想像させるものとして世間的

の注目を集めたのですが、結果的に「販売には至らなかった」と言う経緯です。理由は「Z900RS」の新車価格が大体130万円に対して、どうしても実際

に売られるとなると販売コストが「170万円近く」になってしまい、金額的に勝負出来ないと判断したからと言われています。これは、基本ベースとなる

「CB1000R」で、既に1.716.000円(税込)と言う販売価格なので、物理的にもそうなってしますんですよね。かと言って「HAWK-II」の2気筒エンジン

をベースにする訳にもいかないし、逆に「CB1300SF」をベースとすると排気量オーバーである事と、それでも160万円近くになってしまいますから、

現場でホンダが保有する基本となるベース車両が見つからない事、また全てを新設計するとなると開発費が、かかり厳しいと考えられてるからだと思われ

るんですよね。実際カワサキの「Z900RS」の場合は、基本ベースに「Z900」が使われてるのですが、新車価格は1.276.000円(税込)です。要するに

カワサキは「Z900RS」の開発にあたり「良い感じのベース車を持ってた」って事なんですよね。逆にホンダはそれが無い…。非常に残念ですが現状の状況

だとホンダから新しい「ネオクラッシック」モデルは登場しないと考えられます。ただ、そうは言っても今後の状況を考えて行くに「GB350」の成功も

考慮すると、何らかのカタチでホンダからも参戦してくる可能性はある気がします。もしかすると「CBX400F」をモチーフにした車両だったり、もっと

古い「CB400FOUR-ドリーム」などをイメージさせたモデルが出て来るかも知れません。で、今一度、基本に立ち返り「ネオクラッシック」系のモデルが

何なのか?を考えてみると、決して性能を求める傾向ではなく「いかに最新のパーツを組み込んで、かつてのモデルを再現出来るか!」が勝負所となってる

気がします。そう言った意味ではカワサキの「Z900RS」って全てが完璧って事になり、それが故にこそ、これだけの人気モデルとなってると考えれられます。

最後とにかく、かつても「CB750/900-F」をモチーフにした車両が登場する事を期待したいですが、どうなって行くんでしょうね!(笑)




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