オートバイの最高峰レース「motoGP」に興味がある方ならよく知ってる話ですが、
カワサキのワークスチームが絶大な活躍を見せる事なく「motoGP」を撤退した事は、
ファンなら、誰もがよく知ってる話だと思います。(笑)
しかし、そもそも過去を振り返れば、70年代後半には「WGP」の「250ccクラスと350ccクラス」で、
4年連続の「WGPチャンピオン」に輝いた経緯があり、決して弱かった訳ではない事も事実としてありました。
でも結果として同年の500ccクラスの不振から突然、1981年に「WGP」から全チーム撤退を発表し、
その後、2002年まで世界最高峰レースでの活動はなされてきませんでした。
この事に関して、オートバイ好きのイメージとしては、どこか「2ストモンスター」マシンについては、
カワサキの技術力が他のメーカーと比べ劣る部分があって、
やっぱり大型4ストエンジンを生業(なりわい)としてるカワサキイメージがどうしても強く、
その結果が、レースに現れたんじゃないかって思ったはずです。
もちろん、ボクもそう思っています。(笑)
しかし、2スト500ccクラスの廃止から4ストマシンへの移行する2002年(motoGPクラス)が決まった時から、
20年近いブランクを経て久々のカワサキマシンが世界最高峰レース「motoGP」に参戦を開始します。
いわゆる得意の4ストマシンが主体となる事で、
カワサキとしても「motoGP」のレギュレーションなら「勝てる」と見込んだからでしょう。
でも現実はそんなに甘くなく、世界スーパーバイク世界選手権で結果を出していたハラルド・エックル率いる、
セミワークス体制で参戦を果たしますが、
2002年から2006年までの結果を見ても10位以内に入ることがやっとの状態で、
カワサキも威信をかけて体制の変更を余儀なくされます。
それにより2007年からやっと本腰を掛けて「カワサキ・モータース・レーシング」を立ち上げ、
本格的なワークス体制を整えますが、結果的には他社のマシンとは大きく溝を開けられる形となり、
表彰台を獲得することなく、翌年2009年にはたった2年の期間だけで早々に撤退する形となってしまいます。
これに関しては一説に川崎重工自体が「リーマンショック」の余波を受けて、
経営不振から撤退したとも伝えられています。
その後もいわゆるプライベーターチームとして2010年まで「motoGP」参戦を果たしていましたが、
結果は散々で日本のオートバイメーカーの中では、全く良い所なしで2010年をもって完全撤退してしまいます。
不思議なもので、一般車両を改造して行われてる「世界スーパーバイク世界選手権」でのカワサキの活躍は、
アメリカを中心に目覚ましいものがあります。
もちろんこちらに関してはずっと参戦し続けて撤退した事もありません。
そうなると、それなりに力があるはずのカワサキなのに、なぜ「motoGP」では成功しなかったのか?
思い返せば、ボク的に不思議だったりするんですよね。(笑)