Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

最強の二番手!ヤマハ・TZR250、独特進化の過程。(番外編vol.3039)

2021-07-31 14:45:18 | 日記

先日、先前日とスズキ、ホンダの2スト250ccをご紹介した以上、今日はこの80年代ヤマハを解明するしかないでしょう!

そう来ると「レーサーレプリカ」としてご紹介するマシンは当然「TZR250」ですよね。

初期モデルの登場は1985年からで、名車「RZ250」2代目「RZ250R」からの流れを汲んだモデルとなります。

エンジンはホンダとは違い、この時点では水冷式2スト並列2気筒エンジンで、

車体形式は「1KT型」、初期モデルから、ヤマハならではの新しいカラーリング「ストロボカラーのフルカウル仕様」でした。

大きな特徴としてはフロントフォークが当時の750ccモデルと同様のφ39ミリを採用しており、

車体の「合成力」をより強調したものとなっていました。

販売当初から非常に人気が高かったモデルだったこともあり、

他社が1年でモデルチェンジしてた時代にこの流れで、3年このデザイン変更なしで売られ続けます、良いマシンでしたね!

で、次に登場したのが1988年からの2代目モデル「3MA型(サンマ)」です。

詳しい人はよく知ってると思いますが、当時の市販レーサー「TZ250」がそうだった「ヘッドを逆にした後方排気」が特徴で、

この2代目モデル「3MA型」も同じフォーマットをまとったモデルでした。

車体デザインは当時の4スト400ccモデルだった「FZR400R」に近いデザインに変更、

個人的にはこの2代目初期モデル、カラーリングを含めとても「魅力的なオートバイ」として見てましたね。

単純に欲しかったです。(笑)

で、2代目後期モデルとなる1990年にはマイナーチェンジがなされ、早くもフロントが「倒立フォーク」となります。

ただ、この「3MA型」には欠点も見つかり、後方排気から来るオイルがライダーの衣類に付着しちゃうって問題が起こってしまいます。

そこを反省したのか、次のフルモデルチェンジで登場する「TZR250R」はエンジンが大幅に変更されることとなります。

また「TZR250R」シリーズとしては「完成系」に近いモデルとなり、ついに1991年に3代目「3XV型」が登場。

ネーミングも「R」が付いた「TZR250R」となり、ついにホンダ同様にエンジンが「V型エンジン」に変更され戦闘力が一気に向上します。

さらに1991年には「SP仕様」や「SP-R仕様」が追加され、サーキット走行に重点を置いたモデルへと進化します。

基本デザインは「3XV型」から大幅変更はなされておらず、

カラーリングの変更や細かなパーツ変更で1995年までマイナーチェンジを繰り返します。

最終的には、劇的な売り上げ低下で他社の2ストレプリカ同様に1999年をもって「販売中止」となり廃盤化してしまいます。

しかし、他に漏れずこの「TZR250R」は中古市場で物凄い価格が付いており、

走行距離の少ない最終型なんかは、軽く200万円超え。

現在の「2ストブームが返り咲いた事」を如実に表す結果となっています。

ただ、最後の最後までホンダ「NSR250R」には色々な意味で勝てなかった(最強の二番手)事は残念だったです。(笑)









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ホンダ・NSR250Rは初期モデルから自然進化。(番外編vol.3038)

2021-07-30 09:12:21 | 日記

今日もボク世代である「80年代」に注目します。今日はホンダが誇った誰もが知る名車「NSR250R」についてです。

昨日の続きの様ですが、今日は個人的に「けなす」のではなく「褒める」方です。(笑)

この「NSR250R」は1986年に先代にあたる「NS250R」から進化したモデルとして登場しており、

初期モデルから優れた運動性能と魅力的なデザインを誇っていました。

目玉はやはり他社に先駆けて作られた水冷式V型2気筒2ストエンジン。

当時はいわゆる「レーサーレプリカ」黄金時代で各メーカーともこぞって「2ストの速いマシン開発」に力を入れていました。

まぁ、トップを走るホンダも類にもれず、このクラスにも力を入れていましたが、

さすがと言うか、オートバイメーカー世界第1位だけあって「良い感じ」のモデルを輩出していました。

初期モデルの登場は1986年の「MC16型」で、当時で既に排気バルブがホンダお得意の「可変式」になっていました。

デザインも優れており、当時の時点でもっともレーサーモデルに近いものとして人気を博しました。

で、次に登場したのが1988年で2代目にあたる「MC18型」。

このモデルはのちのモデルを全てひっくるめても「NS250R」シリーズで一番「ピーキー」でした。

スロットのレスポンスが鋭く、速くて良く曲がるマシンだったんですよね。

また、当時のカラーリング「ロスマンズカラー」仕様に関しては「SP」モデルがあり、より軽量化が図られていました。

で、その翌年1989年には3代目の「MC18型」が登場、マイナーモデルとしてチャンバー形状が異なっていました。

さらに1990年に「ほぼ完成系」に近い4代目にあたる「MC21型」モデルが登場。

この「MC21型」は圧倒的にデザインが優れており、最後の最後まで「基本なデザイン」はこのまま進むことになります。

結果的には、とにかく「NS250R」シリーズの中でもこの「MC21型」が一番売れたモデルとなり、

90年代初期の峠は、ほとんどこの「NS250R」で埋め作られていましたね。

1994年の「MC28型」が登場するまで「SE」や「SP」と言った特別モデルも登場し「NS250R」しての進化の山場を迎えます。

で、最終モデルとなる5代目の「MC28型」。

登場は1994年からで目玉は電子機能を持たせたPGMメモリーカード・システム(カードキー)と、

リアホイールが、ガルアーム式から片持ちスイングアーム式(プロアーム)となったことです。

エンジン系統に関して2ストとしての電子制御が素晴らしく、カードキーの変更のみで直ぐにサーキットに直行出来るマシンでした。

しかしこの時代あたりから、いわゆる「レーサーレプリカ」人気が一気に陰りを見せ始めます。

あれだけ加熱してたジャンルにも関わらず、あっと言う間にこの手のオートバイは売れなくなり、

この「NS250R」に関しても結果的には仕様変更することなく、

1999年をもって長い歴史に幕を下ろし廃盤車となってしまいます。

最後に…、何故かこの「NS250R」は最後まで「倒立フォーク」が採用されなかった事が不思議だったです。(笑)









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スズキ・RG250ガンマ、モデルチェンジする度にカッコ悪くなるなんて…。(番外編vol.3037)

2021-07-29 09:30:06 | 日記

もう既に時は流れ「時効」となってるので、今日はボクの中でずっと思ってた事をハッキリ言わせて頂きます。(笑)

それは、かつて80年代に登場した2スト「レーサーレプリカ」の元祖、スズキ「RG250ガンマ」についてです。

ズバリ!モデルチェンジする度に「どんどんカッコ悪くなって行く」って、普通じゃ有り得ないお話です。(笑)

これ、当時リアルタイムに育った世代(50歳代〜)なら、

ボクだけじゃなくて他の誰もが「同じことを思った人」は多いんじゃないでしょうか。

まず初期モデルにあたる1983年に登場した初代「RG250ガンマ-GJ21A型」についてですが、

これは好き嫌いはあるものの、とにかく凄かった。

初めてのアルミフレームにアルミステップ、戦闘機の様なハーフカウルデザイン、純正チャンバーなど、

どこをとっても当時としては「驚きのマシン」と言えました。

実際よく売れて人気が高かったモデルでしたからね。

個人的にも、当時一番人気だったヤマハ「RZ250」と比べても市販車としてのレーシー感が半端ない。

要するに「デザイン」が時代を先取りしてて画期的だったんですね。

さらに、2代目モデルとしてその翌年の1984年にマイナーチェンジを受けて登場した、

初代よりちょっとフロントカウルを傾斜させた「RG250ガンマ-GJ21A型」後期モデルも、まあ良いでしょう。

ところが次からです。(笑)

さらに翌年の1985年に登場した3代目「RG250ガンマ-GJ21B型」は、

突然の様に「寸胴なデザイン」になっちゃって、誰が見てもどこか…何か…変…。

フロントウインカーはカウルの下に位置され、おかしなことになっていますし、

特に、フロント周りのデザインが絶妙にカッコ悪いです。(笑)

で、さらにその翌年の1986年には「RG250ガンマ-GJ21B型」の中期モデルとなるのですが、

これまた、追加されたウオーターウルフのカラーリングは良いのですが、やっぱり全体的に…変。

ここで完全なフルカウル仕様のみになっちゃうのですが、せっかくの純正チャンバーを隠す形となっていますし、

相変わらずフロントカウルのデザインは「絶壁感が半端なく」て超カッコ悪いです。(笑)

で、最後の「RG」モデルになる1987年式の「RG250ガンマ-GJ21B型」後期モデルは、

もう見る部分すらないです。(笑)

ホイールサイズは今につづる17インチ化にされるのですが、

相変わらず寸胴で、カラーリングを含め初期にあったカッコ良さからしても、見る影もない状態に…。

この1987年には、ヤマハから初代「TZ250」や、ホンダから初代「NSR250R」などが登場し、

デザインも素晴らしいものになってて、より「RG250ガンマ」との違いを見せつけることになってしまいます。

以上でボクの言いたい事は言い尽くしましたが、

最後に、やっとスズキも気がついて反省したのか翌年の1988年に登場した、

V型エンジン搭載の「RGV250ガンマ」は性能だけでなくデザインもカッコ良くなります。

もしかすると、もうこの時代から「ズズ菌」と言う不名誉な事態が発生してたのかもしれませんね!(笑)







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カワサキが犯した最高傑作!失敗の成功。(番外編vol.3036)

2021-07-28 09:20:13 | 日記

80年代の半ば、1985年に登場したカワサキ「GPZ400R」はカワサキにとって、

400ccクラスで初めての「水冷式エンジン」を搭載したスポーツモデルです。

この当時は、昨日ご紹介した通り「レーサーレプリカ」と言う「新しいムーブメント」が国内で大きく開花し、

中型車両を中心に各社が競い合うように新しいモデルを登場させていた時代です。

いわゆる、空前の「第2次オートバイブーム」の立役者ってやつです。(笑)

もちろん、この4ストエンジン搭載の「400ccクラス」に関しても同じことが言えて、

同年代で言うとホンダからは「CBR400-F3」、ヤマハからは「FZR400」、スズキからは「GSX-R400」と

完全な「レーサーレプリカ」が登場し主流となっていました。

しかし、このカワサキ「GPZ400R」に関しては非常に「微妙な感じ」で、

確かに見た目スポーツモデルではあるのですが、

レーサーレプリカと言うよりは、今で言う「スポーツツアラー」に近いものでした。

車体は他に比べると大きく、そして車重は重く後発で登場した割に「とことんレーシー」って感じではない。

当時のボクは、そんなこの「GPZ400R」を見て「混迷した」記憶があります。

まぁ言ってしまえば「カワサキは何を目的としてこのオートバイを登場させたのか?」ってね。(笑)

先ほども言いましたが世の中の流れは、確実に「レーサーレプリカ」です。

しかし、少なくもともボク的にこのカワサキ「GPZ400R」はどうしても、それとは違うオートバイに見えてしまって…。

ところがですよ!!!

出てみれば、これがボクの予想に反してビックリするほど売れる売れる。(笑)

あっと言う間に「大人気モデル」となっていきます。

レーサー思考に侵されてたボクが間違ってて、世の皆さんは「こういったオートバイを求めていたのか!」って思わせるほどです。

ただ、これだけは言っておきたいのですが、特に「GPZ400R」が時代を先取りしてた訳ではありません。

後の、1989年に完璧なレーサーレプリカとなる「ZXR400R」を結局登場させていますからね。

本来ならこの「ZXR400R」で、カワサキとして「やっとここで他のマシンに追いついた」って感じです。

おさらいして見直すと結局、カワサキはリサーチ不足からある意味、方向性を間違い「GPZ400R」を送り出した。

しかし、予期せずほどこれが思わぬヒット商品となった。

いわゆる、うれしい悲鳴「失敗の成功」ってやつですね。(笑)

まぁ、考えてみればカワサキは独特のオートバイ感があり「ZZR」シリーズに見られる、

当時、他社には無かったツアラー系に着目してた節が、その後にあります。

もしかするとボクが勘違いてて、

この「GPZ400R」の登場はその「新しい開拓」を目指して登場させていたのかもしれません!(笑)








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ホンダが送り出したレーサーレプリカの集大成は1990年だ!。(番外編vol.3035)

2021-07-27 09:36:05 | 日記

今日も唐突にお話を始めますが、80年代に入ってから「圧倒的な人気」を獲得したのが、

2ストエンジンからなる250ccと、4ストエンジンの400ccからなる「レーサーレプリカ」ですよね。

今年で55歳になったボクにとっては全てがリアルタイムで「超ド・ストライクの時代」です。(笑)

当時は、たったの1年周期でレーサーマシンにより近いモデルが登場し、その内容も過激化する一方でした。

そんな中、トップを走るホンダにとっての「集大成」となるのが、

実は、今日のタイトルにある様に「1990年モデル」だった気がするんですよね。(ちなみに当時のボクで24歳…)

例えば、あの名車「NSR250R」に関してはこの1990年モデルから、

最終型まで引き継がれるデザインの「型式MC21」になり、その後も圧倒的な人気モデルとなりましたし、

400ccモデルの「CBR400RR-NC29型」や「VFR400-NC30型」もこの時代で完成系を見ることになります。

これ以降に関しては小さなマイナーチェンジを繰り返すだけの状態となってしまい、

それまでの様な勢いで大きくデザインも性能も変化しなくなってしまいます。

その要因として確かに「人気の衰退」も言えるのですが、

要は、行き着くところまで来てしまい、これ以上「進化することは出来なかった」ってイメージが強いです。(笑)

特にデザインに関してはまさにそうで、1998年にヤマハ「YZF-R1」が今に通ずるデザインで登場するまで、

レーサーレプリカとしてのデザインは、完全にここで終焉を迎えています。

また、1990年はオートバイ業界全体を見ても、色々な意味で「ターニングポイント」となっています。

初期型のカワサキ「ゼファー400」の登場による「ネオ・クラッシック」ネイキッドブームの到来や、

大人気となる国産アメリカンの登場など、その後のオートバイ事情を大きく変えるモデルが、

続々登場した時期でもありましたから…。

そんな中「レーサーレプリカ」としては「ラストを飾った時期」であり、

デザインや性能に関する部分にとっても、最終系であり集大成だった気がするんですよね。(笑)

個人的に、オジさんとなった今でもこの頃のオートバイには格別の思い入れがあります。

軽さと速さが絶妙で、中型排気量でありながら今でも十分に通用する性能を誇ってる気がするからです。

個人的にはデザインも古さを感じませんし、懐かしさも合間って「良いオートバイだった」って思いにふけます。

逆に今の20代〜30代にとって、この時代のオートバイってどう見えてるのか?

一度インタビューして聞いてみたいですね!(笑)





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オートバイカスタムの歴史と方向性。(番外編vol.3034)

2021-07-26 09:54:29 | 日記
現在のオートバイのカスタムを語るに大きく「2種類の方向性」が考えられますよね。

1つはより「性能」を上げるカスタム、そしてもう1つは「見た目」の変化を楽しむカスタム。

どちらもオートバイ好きにとって「人気の高い行為」ですが、

よくよく考えてみると「本来のカスタム」ってどうゆう事を指すんでしょうね。(笑)

そこでボクなりに「オートバイの歴史」を遡ると、ちょっとだけ「見えてきた」のですが、

そもそもカスタム(変更&追加)は「実用性を上げる事」が目的だった様です。

具体的に説明すると、要するに何も付いてなかった自転車に「カゴを付ける」と言った事です。

これで1つ便利になった(実用性が上がった)訳ですね。

20世紀に入った初期の頃って、元々オートバイもクルマ同様に「実用性の乗り物」でした。

レジャー思考が高まって「趣味性の高いもの」となったのは第二次世界大戦以降から。

また、その後のカスタムは海外(ヨーロッパ圏)で始まった「オートバイレース」にあった様です。

不要なものを削ぎ落とし重量を軽くする、はたまたパワーを上げる為にエンジン内のパーツを作り直す。

ここからカスタムは始まっていますから、上記で言えば「まず性能を上げる」って方ですね。

さらにオートバイユーザーの拡大につれてカスタムの方向性に「変化」が現れ、

より個性を重視したカスタムが求められるようになります。

大体50年代〜60年代の英国とアメリカで、ほぼ同時に始まった経緯の様です。

当時のオートバイはメーカーも少なく車種も限られていた為、人と違ったモノを求めるとなると、

自然にカスタムに走る傾向だったって事です。

当時流行った「カフェレーサーやチョッパー」はその集大成と言える訳ですね。

また、元々ライダー自身の「手作り」から始まった行為だったものが、

そこに目を付けた、ある会社が専用の「カスタムパーツを量産」し売り出し始めます。

社会の縮図を見てるようですが、ある程度、需要が高まれば必ず供給する人が現れるんですね。

これにより手軽にカスタムを楽しむことが出来るようになって行きます。

日本では大体「70年代初頭」からこんなメーカーが現れ始めます。

ここでより大きく方向性が分かれ「性能」と「見た目」になっていくんですね。

今じゃ、ウインカーをLEDに変えるとか、ミラーを別のデザインに変えるとか、

どちらかと言うと性能より見た目のカスタムが流行っています。

これは確実に人と違う「個性」を求めた結果です。

世の中が豊かになればなるほど、カスタムはどんどん進む方向で人は個性を求めます。

オートバイカスタムを具体的に語ると、まぁこんな感じです。(笑)









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ビンテージ系のオートバイに乗ってるとオートバイ上級者?(番外編vol.3033)

2021-07-25 14:33:55 | 日記
確かによくあるケースにまずは新しいオートバイから始まり、

その後、乗り換えていくたびに「どんどん古いオートバイに向かう」オートバイ好きも、

世の中にはたくさんいます。

これってイメージでは、特に「ハーレー乗りや英国車に乗ってる人」に多く見られる傾向ですよね。

いわゆる劇的に古い「ビンテージバイク」に心奪われてる人たちですが、

普通に最近の国産オートバイに乗ってる人や、オートバイ初心者たちからすると、

どことなく「オートバイ上級者」はたまた「知り尽くした人」って印象を受ける傾向ってどこかありますよね。

とりあえず「何でも知ってます」って感じで、自分でメンテとかもやれちゃうイメージがあるからで、

より「深い探究心を持ってる人」と思われがちと考えられます。

しかし、実は全ての人がそうである訳ではなく、

よく分かっていないけど、ただカッコいいから「古いオートバイに乗ってる」って人もたくさんいます。

なので、ビンテージバイクに乗ってるからといって、決してオートバイに詳しい訳ではないって事です。

しかし自分が乗ってるジャンルに特化しては所有してる分、異様に詳しかったりします。

これを「上級者」と言えるかどうかは全然「別問題」ですよね。

言ってしまえば、ただの「好みの違い」ってだけかもしれません。(笑)

正直、ボクもそうで、今の愛車「ビューエル M2サイクロン」はとても特殊なオートバイの部類に属する訳ですが、

その構造に関して自分で全て理解出来てる訳ではありません。

じゃぁ、逆になぜこんなオートバイを買ったかと言うと、

ちゃんとメンテしてくれるショップを知ってたからです。(笑)

要するに信頼性のあるバイクショップを先に知ってて、困ればそこにお願いすれば良いって、

安心を事前に持っていたからこそ、思い切って買った訳です。

実はビンテージバイクに関しても、そうゆう人の方が多いんじゃないかってボクは思います。

物凄く珍しくて古いビンテージバイクに乗ってると、そのオーナーに対して「一見凄いなぁ」って思っちゃいます。

しかし、別に我々と独断違う訳ではなくて、ただの「趣味趣向の違い」って事だけだったりするんですよね。

年配者でレアなビンテージバイクに乗ってると、我々世代から見てもシンプルにカッコいいです。

いずれ「ああなりなぁ」なんて夢見ちゃいますが、憧れは持てど尊敬する人って事じゃない。

そこは「間違えて解釈するところじゃない」って言いたいですね!(笑)





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オリンピック2020が始まりました、最終聖火ランナーは大坂なおみ選手。(番外編+番外編vol.3032)

2021-07-24 10:05:40 | 日記
昨年からコロナ騒動を含めいろいろ物議を醸した中、ついに「オリンピック2020」が始まりましたね。

母国での開催という事なので個人的にも日本人選手には「素晴らしい活躍」を期待したいところです。

で、今日のテーマですが、またまたオートバイではなく、ズバリ「大坂なおみ」選手についてです。

昨日のオリンピック開催の最後まで、ベールに包まれた「アンカーの聖火ランナー」は結局「大坂なおみ」でしたね。

いや、別にこれはこれでも良いのですが、

正直なところボク個人としては別の選手であって欲しかったってのが本音です。(笑)

理由は、彼女は素晴らしい国際的なテニス選手ですが果たして「本当に日本人」なのでしょうか?って事…です。

色々言いたいことはありますが、ズバリこれがボクの意見の「全て」です。(笑)

2019年に二重国籍を持つ「大坂なおみ」選手が何故か日本国籍を選び、

それ以降は、完全な日本人選手という扱いになりましたが、

当時は「日本語もしゃべれない」我々からするとアメリカ人でしかない部分がどうしてもありました。

正直、ボクは現在でもその頃と同じように感じています。

これ、別に「人種差別的な考え」で言ってる訳ではありません。

だってボクには甥っ子(妹の子供)に全く同じ境遇のアメリカ人(黒人)とのハーフの子がいます。

しかも父親(アメリカ系黒人)が亡くなった今じゃ父親代わり、我が子同様にメチャメチャ愛しています。

ボクが懸念し言いたいのは、人種間の問題ではなくそのハーフの子が「どう育ったか」という事です。

例えば、同じハーフの「八村塁」選手(NBAバスケ)に関しては高校生(18歳)まで日本で育ち、

大学以降からアメリカで生活しています。

しかも「大坂なおみ」選手とは真逆で当時は日本語しか喋れなかった。(笑)

この環境を考えると、流石のボクだって「八村塁」選手は「日本人だ」って思います。

もちろん、ずっと日本で生活してるボクの甥っ子(日本語も英語も喋れます)も同じです。

でも「大坂なおみ」選手の場合はどうでしょう。

生まれこそ日本の大阪府大阪市で母親は日本人ですが、たったの「4歳」で渡米。

以降、ずっとアメリカ暮らしで、最近まで何故か日本語は全くじゃべれませんでした…。

確かに今は日本語を勉強してる様で、片言で日本語を喋りますが、外国人が喋ってる日本語にしか聞こえない。

この状況だと、境遇はどうであれ本来ならアメリカ人テニス選手として活動してる方が自然な気がしてならない訳です。

しかも、国籍を日本に選んだ現在に至っても結局ずっとアメリカ暮らし。

日本人ファンに対して「愛情あるメッセージ」を送ってくれてますが、

ちょっと偏見かもしれませんが、ボクはどうしても「外国人からの言葉」に聞こえます。

アスリートのスポーツマンとしてみれば、国籍が日本だろうがアメリカだろうが、どうでも良い話ですが、

今回のオリンピックの様に「国を代表する」という立場になると多少考えが違ってきます。

今日の内容は世間に「物議を醸し出す」話をしてる気もしますが、これが正気なボクの考えです。(笑)

最後に、是非とも母国開催での「オリンピック2020」は大成功に終わって欲しいですね!(笑)





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オートバイ氷河期。(番外編vol.3031)

2021-07-22 11:03:21 | 日記

現在、ここまで「オートバイ人気」が高まって来ると、以前の全くオートバイが「売れなかった時代」を

思い出す事すらなくなってしまっていますが、確かにそんな時代が「かつて」ありました。

今日は、またそうならない為にも、反省を踏まえその「理由」について少し語ろうかと思っています。(笑)

まず、いつがその「氷河期」だったかと言うと、大体「90年代の後半から2000年代の前半」の

約「10年の間」を指してると言って間違いないと考えます。

圧倒的な人気を誇った80年代から、翳(かげ)りを見せ始める90年代後半にかけて「徐々に衰退」していくのですが、

その要因の1つに社会的な「規制」がありました。

当時のブームは「10代から20代前半の世代」で構成されてた背景から「危険」に対する「抑制が行われた」訳です。

まぁ、ストレートに言ってしまうと世間的にオートバイに「乗るな条例発動」と言った感じですね。(笑)

交通ルールの抑圧が強まり全国の「峠」は二輪車での「走行が不能」となる道路が増え、

若者たちにとっての、楽しい場所を奪われてしまったって事です。

今と違い、楽しさが多様化されていないオートバイは「飛ばしてバンボ、速く走ってナンボ」って感じだったんですね。

なのでツーリングする事があまり一般的でなかった「ムーブメントにも問題があった」気がします。

また、これは個人的な意見ですが車両に関して当時の「オートバイ開発」が行くところまで行き尽くし、

これ以上「何をすれば良いのか分からなくなってた」事も少し理由となってた気もします。

特に当時は「中型バイクがメイン」だったことで、余計にその「限界」が襲ってた様にも思えるんですよね。

さらに世界的な要因ともなる「排気ガス規制」に対する問題を「素早く解決出来なかった」事も大きかったです。

これに関しては2008年までにどうにかしないといけなかった訳ですが、

当時としては開発コストを含め「解決するに至らなかった」もしくは「間に合わなかった」って理由です。

これまた個人的な見解ですが、解決が3年から5年早ければその後の状況が多少違ってたかもしれません。

またこの事で「負のスパイラル」が生じ「車種が激減」してしまう結果となります。

これも大きな要因となり余計にオートバイ離れが進んだと考えられます。

90年代の後半っていわゆるレプリカ系スポーツバイクが本当に売れなくなってて、

売れてるのは一部のカスタムしやすい街乗りバイク(例えばヤマハTW200)のみ。

それまでの2ストエンジンで速かった原付スクーターも「4スト時代に突入」するとパワー不足が指摘され、

一番台数が多く出てくれないと困る原付バイクすら、これまた売れない…。

最終まとめますと、まず若者中心のブームだった事、危険性を訴えられたことや、車体開発の限界、

新しい環境への配慮、低排気量に対する4ストでのパワー不足、規制のクリア不能からライナップの低下、などなど。

これらが「全て重なる」ことで全く売れない時代「氷河期」が襲って来たと考えます。

また、今思えばオートバイを飛ばす以外、どう楽しめば良かったのか?

まだ日本人が、本当のオートバイの楽しさを理解出来てなかった事も大きな要因だったと思えます。

この失敗を今の時代に当てはまる事なく、長いブームとしてもっともっと広まって欲しいと個人的に考えています!(笑)






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オートバイ乗り見た目に勘違い、はたまた性格急変あるある。(番外編vol.3030)

2021-07-21 09:53:08 | 日記
以前からボク思ってた事があるのですが、巨大なハーレーに乗ってる誰もが、

アウトロー(アメリカ風バイカー)を決め込んだ勘違い「やからオヤジ」じゃないんだって事を…。

いやぁ、ありませんか?

休憩場所にバリっと決め込んだ「怪しいハーレー集団がやって来たなぁ」って思ってると、

ヘルメットを脱げば、気の良さそうな「普通のおじさん」だったりする時が。

それがまた「へぇ?」って思うほどの「物凄いギャップ」だったりして…。(笑)

しかし、また一旦ハーレーに乗っちゃうとそんな普通の人が超爆音を轟かせ、

何となく周りを威嚇(いかく)や自己主張しながら颯爽(さっそう)と走り去る。

そうゆう光景を目にする事が、ボク的にはよくあるんですよねぇ。(笑)

まぁ、昔から言われるのが「乗り物に乗ると性格が変わる」なんて言葉がありますが、

1つにはそんな感じなんですかね。

それともハーレーはそうゆう乗り物だって、双方に「固定概念がある」からでしょうか。

ボクもハーレー軍団を見ると最初から「やから」と決めつけちゃうし、

ハーレーに乗ってる側も「ハーレーに乗ったらそうであるべき」って思い込んじゃってる…。

要するに、人間性としては「そもそも根っからのモノじゃない」って事です。

いわゆるノリだったりファッションだったり、ただのイメージだったり。

本当におかしい場合は坊主頭にタトゥ入り、周辺を気にせず大声で話ながらビールなんか飲んじゃって、

そりゃ「飲酒でしょ」って言いたいけど、周りも勇気がなくて注意できない本物の「やから」たち。

で、普通のおじさんの場合はそのイメージをちょっと持ち込んだ、ただのハーレー好きの人たち。

結局は単に「見た目で判断するな」って事と、乗り物に乗っちゃうと「性格が急変する」ってこの二方面。

ある気がしますね!(笑)








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