Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

かつてのホンダ「CB900F」と、現在も売られてる「CB1100」とでは音が違う。。(番外編vol.3940)

2024-04-28 01:13:47 | 日記

以前から、何となく感じていたのですが、あるサイトでボク自身もある事実に納得しました(笑)。それは現在もホンダから売られて

る空冷式エンジンを搭載した「CB1100(現在はファイナルエディションとなっています)」のエンジンサウンドです。あくまで個人

的な印象だったのですが、どうも並列4気筒エンジンらしからぬ、排気量の大きい2気筒の雑音の様な、はたまたアメリカのV8エンジン

を搭載したマッスルカーの様な「ドロドロした音」に聞こえてしまい、何となくそれが気になっていたんですよね(笑)。最初これに

気がついたのは、以前、仲間とツーリングした時に友達が連れて来た、初の顔合わせの人が、この「CB1100」に乗っていたのですが、

どうもそれまで聞いてた、並列4気筒エンジンとは音が異なり、どうしてもボクの耳にはちょっと不思議な「ドロドロした音」に聞こえ

たんですよね。その時に「このエンジン音って何かおかしい!?」って思ったのですが、もしかすると「壊れかけてるだけ」のかも知れ

ないと思い、もしそうだったたら「知らない人からの要らぬ忠告」に聞こえて申し訳ない事になると思い、その時は何も言いませんで

した(笑)。まぁ、一緒にいた他の友達たちも特に何も言わなかったですしね。しかし、少し前にたまたま見かけた記事に似た様な疑問

のコメントが書かれてて「なんだ!そうゆう事だったのか!」と納得します(笑)。最初に「正解」を言うと要は、この「CB1100」の

2本出しマフラーに原因があった様なんですよね。また気筒数が多くなる事で乗り味がマイルドになる事を避ける為に、あえてエンジンに

それまでと違う味付けを行ってる事に理由があった様です。要するにボクの見立ては完全に間違っており、壊れかけてた訳ではなかった

と言う事でした(笑)で、まずは要因のエンジンですが、実は「CB1100」って、並列4気筒エンジンでありながら、2気筒エンジンを

2つくっつけた設計となっており、さらにあえて爆発のタイミングをそれぞれ「ずらす」事で、高いレスポンスを生み出してると言う事

らしいです。要するに加速感の高い2気筒の様な走りを実現させる為に、あえての180度クランクのまま、意図的に2気筒づつに分けて動か

してるって事らしいです。またそれを削ぎ取らない為にマフラーはあえて分離したタイプの2本出しとなっており、初期スタートの俊敏性

を高めてると言う訳です。いやぁ、さすがホンダですね(笑)!現在非常に厳しい排気ガス規制が行われてる中、最後の空冷エンジンとも

言える「CB1100」ですが、パワーダウンによる走りの低さを補う為に色々と工夫を凝らしているってことの様です。正直、あのドロドロ

した音はいただけない気もしますが、そう言った理由であると知れば納得です(笑)。現在「CB1100」には「EX」と「RS」があります

が最終モデルとなっています。近い将来ラインナップから消え去り、ついに空冷式エンジンが消滅してしまう訳ですが、新車でも150万円

以下で買える車両なので、空冷式エンジンが好きな人にはオススメと言えますが、あのサウンドは好き嫌いがあるかも知れません。ただ

もしマフラーを社外品に交換して乗るとなると、一体どう言った音になるのか?何となく気にはなりますね!(笑)




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ザ・ジャパニーズバイク、ホンダ・CB1300SF/BD。(番外編vol.3939)

2024-04-27 19:51:27 | 日記

日本に住んでて自分自身が日本人だと、海外で国産のオートバイが「どう映って見えてるのか?」ネットなどの「噂」だけではハッキリした

実情って分かりにくいと思うのですが、色々言われてる中で、これだけは間違いないのが、ホンダ「CB1300SF/BD」の存在です。いわゆる

日本における1970年代からあった日本車らしい「日本車を代表とするスタイルのオートバイ」です。まさに「ザ・ジャパニーズバイク」と言

っても過言じゃないオートバイだと考えられている様なんですよね(笑)。また、色々調べて海外の日本車におけるオートバイのイメージなど

を取り上げてみますと、コメントとして圧倒等的なのが「高性能」や「壊れにくい」や「車種が多い」などらしいです。またプライベートで

「様々なレース」などを楽しむ、アマチュアのサンデーライダーには日本車が特に愛されてる傾向らしく、そこからでも性能面で強く信頼され

ており、排気量が高ければ「速いバイクである」と認識されてる感じみたいですね。このイメージは明らかに「motoGP」や「WSBK」などの

メジャーな国際オートバイレースで、日本製のオートバイが強いからじゃないかと裏付けられる気がします。中でも得に「ホンダの人気」は

海外でも凄いものがあり、アメリカやヨーロッパ、アジア圏に関しても「高い認知度と人気がある」といされてるらしいです。さすがオートバイ

売り上げ「世界第1位」だけの事はありますよね(笑)。また単体で新車売り上げを見ても「CB1300SF/BD」は海外で多く買われてる1台で、

特にヨーロッパ圏での人気が高いとされています。で、日本車の特徴の1つに「多気筒」というものがあります。いわゆる4気筒エンジンを市販

の量産車として作った最初のメーカーがホンダだった事もあり、どうも「多気筒エンジン = 日本車」と言う、イメージもあるみたいなんです

よね。そうなるとフォルムからエンジンまで、全てが日本製らしいと見られてるこの「CB1300SF/BD」は日本を代表する1台になってもさして

不思議じゃないって事ですよね(笑)。で、一応気になるスペックを見てみますと、まずエンジンは、水冷式4スト並列4気筒DOHC4バルブで、

最高出力が113ps、最大トルクが11.4kgで、車重は「SF」で266kg、「BD」で272kgとなっています。さすがにちょっと重いですね(笑)。

また正式な排気量が1.284ccで、もちろんフューエルインジェクション(PGM-F1)となってて、トランスミッションは6速MT、ホイールサイズ

は前後ともに17インチで、フレームはスチール製のダブルクレードル式で、スロットルは電子制御式、他にクルーズコントロールや、ライディング

モード(3種類)、クイックシフター(上下対応)に、サスペンションは設定変更が出来るタイプのものが搭載されています。またオールLED化や

最近では珍しいヘルメットホルダーが標準で装備されてて、グリップヒーターや、オプションでパニアケースやバイザー、USBポートやETCなども

搭載可能となっています。この「CB1300SF/BD」の場合、十分な走りを堪能する事も可能ですが、クルーザーとしての素性も兼ね備えており、

ロングツーリングするにもかなり有効なオートバイだと言えます。今日は「海外から見た日本車って…」ってテーマと共に、この「CB1300SF/BD」

を見てみましたが、いかがだったでしょう!(笑)





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大手メーカーじゃ作れない!スネークモータース・K16。(番外編vol.3937)

2024-04-26 00:46:37 | 日記

かつて「世田谷ベース」の雑誌の中で所ジョージさんの「遊び心」から始まったオートバイ企画の1つにこの架空のメーカー「スネークモータース」が

作る「K16」ってモデルがありました。厳密には50ccモデルと125ccモデルの2種類のエンジンに加え、まず「所ジョージさん仕様」と「北野武さん

仕様」の2つがあり、それ以外にもスタンダードモデルとなる「K16スポーツ」がありました。ほぼ受注生産として数年間売られるのですが、現在も

継続して売られてるのかどうか定かではありません。このモデルに実はボクの友達も乗ってて、彼の乗ってるモデルは125ccの「所ジョージさん仕様」

で、結構、普段乗りとして使われてたりします。彼の場合、とにかくビンテージものや、レロ系が好きなタイプで、クルマに関しても古い「フィアット」

の「チンクエチェント500」に乗ってたりします。WEBデザイナーなのでセンスが良いですよね。で、この「K16」ですが、最初は所さんが武さんの為

にドラッグレースなどで有名な目ん玉のマークメーカー「MOON AUTO」で制作した1/1スケールのオモチャ「KITANO SPECIAL」として紹介されるの

ですが、武さんが「これ、量産しても良いじゃないか!」って流れから市販化計画がスタートします。まず本体のデザインはかつてアメリカで行われて

たバイクのレース「ボードレース(木材で作られた楕円形のトラックレース)」で当時の「インディアン」や「ハーレーダビットソン」などが制作してた

レース用マシンのフォルムを再現しており「所ジョージさん仕様」では、そのクルーザー仕様となっており「北野武さん仕様」の方はまんまクラッシック

レーサーとして販売されいます。また初回販売の時は500台限定車(公道走行不可)となってて、その後に登場したモデルは一般道の走行が可能なモデル

として販売される事になります。カラーも大体決まってて「所ジョージさん仕様」だとクリームホワイト、「北野武さん仕様」だとレッドがスタンダード

カラーとなっており、他にも濃いブルーや、薄いパープルなどのカラーもあったりします。とにかく再現性が非常に高く中華エンジンながら走りは良好で

リアがリジット(サス無し)となっていますが、少し手を加えてやればボクの友達の様に日常の足として乗れる感じになる様です。非常に個性的で心揺さ

ぶるデザインが最高なのですが、本来ならこう言った遊び心をくすぐる車両を大手メーカーが作ってくれても良い気がしますが、残念ながらここまでの

冒険はしてくれませんよね(笑)。そもそもオートバイは趣味性が強いので、本来なら似た様な車両を出すのではなく、性能も含め面白いオートバイを

制作しても良いじゃ無いかってボクは思うのですが、この手のオートバイって「欲しい人が一通り買ってしまうと後が続かない」って事がありますから、

無理なんでしょうね(笑)。また現在の中古市場を見てみますと、大体安いもので30万円辺りから、高いもので55万円まである様です。球数は少ない

ですが、丁寧に乗られてる車両が大半なので走行距離の少ないものや、サビのない車両などが結構あります。最近、ホンダ「スーパーカブ」をフルカスタム

する事が一部で流行ってる様ですが、逆に大金を出してやるなら、あえてこの「スネークモータース」の「K16」なんかを所有するのも、1つの手になる

気がしますがどうでしょうね!(笑)



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周りから巻き起こるブーム、現在の仲間のオートバイたち。(番外編vol.3936)

2024-04-25 00:16:14 | 日記

2010年にボク、教習所で大型バイクの免許を取得するのですが、その頃、辺りの近しい友達らも免許を取得してオートバイに乗り始めます。

一人一人に聞いたわけでは無いので、正確な乗り出す理由は分かりませんが、中にはボクに影響を受けた人もいれば、何となくオートバイ

ブームがオヤジ世代にある事に気づき、乗り出した仲間もいたと思います。また、そもそも、オートバイに乗り出して知り合った、いわゆる

「オートバイだけ」の繋がりからくる仲間とは違い、学生時代からだったり、会社で知り合った人など「付き合いの古い人達」ばかりで、昔

からのいわゆる、全員が友達や親友たちなのですが、不思議なのは、それぞれがそれぞれに、ちゃんとオートバイ歴があり、既に大型バイク

の免許を取得してた親友もいれば、それ以前は、ボク同様に中型(普通)免許までで、このタイミングで大型免許を取得した友達もいたります。

でも、みんな過去を振り返れば何らかのカタチでオートバイに乗ってた経緯があったんですよね。結果的には「総勢で10人ほど」の友達が返り

咲きと言うカタチで、同時期からオートバイに乗り始める事になって行きます。だったら、せっかくなので「ツーリングチーム(サンズヘッド)」

を作って一緒に走ろうって感じで、この時代辺りから、親しい友達たちと頻繁にツーリングを楽しむ様になります。現在でもその状況に大きな

変化はないのですが、みんなボクと同世代のオヤジばかりなのでオートバイは全て大型バイクとなっており、そんな友達らが乗ってる(もしく

は乗ってた)オートバイを今日はご紹介します(笑)。で、まずは、BMWの「S1000R」の初代モデルで、アップダウンのオートシフターが

搭載された車両だったり、同じくBMWのちょっと古い1991年式「R100RS」のボバーカスタムされた車両など、はたまた、BMWのボクも

大好きな「R-ninet カフェ」や、気がついたらドゥカティ大好き人間となってる彼の「ハイパーモタードSP」だったり、元々、モトクロスが

得意な友達も、あえてツーリング用にヤマハの「MT-07」フルカスタムを所有したり、相変わらず飛ばすのが大好きで、唯一、オートバイでの

ブランクが無い友達の「MT-09」とカワサキ「ニンジャ1000」だったり、唯一、このタイミングでオートバイに乗り出した友達の、ハーレー

ダビットソン「ロードキング」だったり、いつまでも貧乏癖が治らないカワサキの「ZZR1100」乗りや、高校からの友達のヤマハ「V-MAX

1200」などなど。それに、ボクのビューエル「M2サイクロン」となっています。非常に「様々なジャンル」のオートバイたちとなっていますが、

同じオートバイが好きと言っても、それぞれの好みがある事がよく分かりますよね(笑)。もうあれから10年以上、時は経っていますが相変わ

らず、みんなオートバイに乗ってて、昔ほど頻繁には一緒に走らなくなっていますが、みんなオートバイライフをそれぞれで、楽しんでる感じです。

もちろんそんな感じなので、どんどん乗り替えて今は違う車両に乗ってる人もいますし、ずっと同じで乗ってる人もいます。ボク自身、これからも

彼らと一緒にオートバイライフを楽しんで行きたいと思ってるのですが、40歳代だった所から50歳代の後半になってしまった現在の年齢もあり、

今後についてどう変化するかはまだ予測不能です(笑)。ただみんな元気なので、多分しばらくはこのまま行くんじゃ無いかって思ってるんです

よね!(笑)



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悪魔の囁き?、カワサキ・ZX10R(2011年モデル)。(番外編vol.3935)

2024-04-24 00:24:29 | 日記
以前から、面倒な事を拒むボクなので「SNS関係(LINEでさえも…笑)」を全てずっと避けてたのですが、仕事の関係上、仕方なく2010年から

フェイスブックだけを始める事になります。ここで突然「お友達申請」して来たのが、過去によく地元の峠(種松山)で一緒になってたある友達

でした。それこそボクが頭の悪い「峠小僧」を辞めて以来、20年ぐらい会っていなかったのですが、彼の方からDMで「遊びに来ないか」と連絡

があり、久しぶりに彼の自宅に遊びにいく事に…。当時、ボクは大型免許を取得して間もない時期で、しばらくオートバイに乗っていなかった所

からの、いわゆる「返り咲き」を果たしてた事もあり、喜んで出掛けたのですが、久々に会ってみると、彼は趣味でアマチュアの草レースをやって

て、頻繁にサーキット通いをしてたんですよね。しかも丁度それまでの600cc(ST600クラス)から1.000cc(ST1000クラス)へステップアップ

するタイングだったのですが、彼から「今度一緒にサーキットに行かないか」って誘われます。ボクはサーキットを走れるオートバイを持っていな

かったので、最初は断っていましたが「じゃぁ、ボクのバイクを貸すよ」って言われ、乗り換える以前に乗ってたカワサキ「ZX-6R(2009年式)

サーキット仕様」を借りる事にします。本人は当時新車で購入したばかりのカワサキ「ZX-10R(2011年モデル)」をサーキット仕様にカスタム

してて、それに乗るので「もし転けて壊しても構わないから」って感じで迫って来た訳です。まさに、ここが「悪魔の囁き」で、ついその誘いに

乗ってしまいます(笑)。この頃のボクは過去最高に仕事が順調だった時期で、適度にお金は持ってた為、結局、2回目のサーキットに行く時は

その「ZX-6R(2009年式)サーキット仕様」と、周辺物(タイヤウォーマー・レーシングスタンド・予備のチェーン・予備のスプロケ・異なる

レートのサスペンション・予備のタイヤ&ホイールなどなど)や、他にも、ツナギ、ブーツ、ヘルメットまで全て合わせて50万円で買う事にします。

まぁ、ある意味、運の尽きってやつです(笑)。そこからボクすっかりサーキットにハマってしまい、彼と一緒に頻繁に通い始めます。ボク自身は

2015年までで、色々な事情から通う事を断念する事になるのですが、結果的には1度もレースに参加した事はありませんでした。逆に、彼はと言うと

毎年に近いぐらい「ZX-10R」を新しい年式に買い替えて、結構「真剣にレース活動をしてた」ので。ボクも何度か、その草レースのサポーターと

して手伝いに行きました。さて、なんだか昔話が長くなりましたが、今日は彼が最初に乗ったカワサキ「ZX-10R(2011年モデル)」を見て行きます。

で、まずですが「ZX-10R」としては丁度モデルチェンジをしたばかりで「4世代目」にあたるモデルです。このモデルは非常に性能が良かった事もあり、

2020年まで「スタイル変更されず売られ続ける」事になるんですよね。まずエンジンは、水冷式4スト並列4気筒DOHC4バルブで、最高出力が200ps、

最大トルクは11.4kgで、車重が198kg、もちろん、フューエルインジェクション(FI)で、トランスミッションは6速MT、またこの頃から、ABSが

標準装備され、メーターはデジタル化されます。で、ホイールサイズが前後ともに17インチで、高性能なラジアルアイやを標準装備。さらにトラクション

コントロールやパワーコントロールが装備されてて、現在でも社外パーツは豊富に取り揃っています。バックミラーにウインカーが付いてるのが特徴

で、エンジンから発する熱対策もしっかり行われており、膝下に逃げるカウル形状になっていました。ただ、アルミフレームに熱が伝わる問題があり、

そこはカーボンなどのカバーを必要とする状況だったりします。さて、今日は非常に長い昔話とちょっとだけの、カワサキ「ZX-10R(2011年モデル)」

を見て行きましたが、いかがだったでしょう!(笑)



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非常にピーキーだった?、ホンダ・NSR250R(MC18型)。(番外編vol.3934)

2024-04-23 00:14:44 | 日記

1988年に専門学生だった京都から地元に戻り、そこから就職して社会人になった直後、高校の頃やってたロックバンドの仲間に声をかけられ

バンド(ここからベースマン)活動を開始するのですが、その時のバンド仲間にオートバイ好きがいて、一緒に地元の峠を走る様になります。

彼の愛車は最初、スズキ「GSX-R400(GK73A型)」だったのですが、当時、新型で登場して間もないホンダ「NSR250R(MC18型)」に

直ぐ乗り換えてしまいます。で、その頃のボクはと言うと、それまで3年乗ってた、ヤマハ「RZ250R(29L型)」を廃車処分にして、新しく

ヤマハ「FZ400R(46X型)」を購入し乗っていました。購入の決め手となったのは、ベースとなるエンジンが当時あった中型バイクのレース

「TT-F3」で使われてたもので、高性能なFC系のキャブに、ヨシムラのレーシングマフラーが搭載されていたからだったのですが、残念ながら、

購入直後から、あまり調子が良くなく、頻繁にオイル漏れを起こしたり、急にエンジンが掛からなくなったり、乗る以前で苦戦してた状況だっ

たのですが、それでもよく峠に通っていたんですよね(笑)。まぁ、20歳を超えていましたが、相変わらずのバカです(笑)。で、特にその彼と

はよく一緒に走ってて彼の乗る「NSR250R(MC18型)」は本当に速いマシンだったと感じていました。また彼の場合、どちらかと言うと理論

で乗るタイプではなく、感性とフィーリングで乗るタイプで、逆に言うと「無謀」とか「勢い」って感じだったのですが、ある時、ボクが参加

しなかった「バトルツーリング」で事故を起こし病院に入院してしまいます。オートバイ以外にもバンド活動があったので、しばらく彼と連絡が

取れなかった事から「何かあったのか?」と心配してた時、彼の方から電話がかかって来て、「今、病院にいる」って、そこでボク初めて状況

を知ります。結局、コーナーの手前で後ろを確信し、前を見たら既にコーナーに入ってしまっており、そのままガードレールと衝突したって言う、

情けない自損事故だった様です。それでも「内臓破裂」に「鎖骨が折れた」状況で、そこそこ重症だったと知ります。結局2ヶ月ほど入院してしまう

のですが「NSR250R(MC18型)」は廃車になってしまってました。で、過去に何度かこの「NSR250R(MC18型)」をご紹介した事があり

ましたが、今一度スペックを見直してみますと、エンジンは水冷式2ストV型2気筒ケースリードバルブで、最高出力が45ps、最大トルクが3.8kg

で、車重が乾燥重量で127kg、フレームはアルミ製のダイヤモンド(エンジン吊り下げ式)で、ホイールサイズはフロント17インチ、リア18インチ

となってて、」トランスミッションが6速MT、早々とラジアルタイヤが装備されており、ガソリンタンク容量が満タンで16リットル、初期モデル

から装備されてた「PGM-F1」が搭載されており、ガソリンとオイルの放出が電子制御されていました。当時はこの機構によりそれまでの2ストと

比べ劇的に白煙を吐かないって触れ込みがありましたが、実際にはしっかり白煙を吐いてました(笑)。それでも250ccモデルながらワインディング

に持ち込めば最速と言われてましたし、特にこの「88モデル」と言われてた「NSR250R(MC18型)」はピーキーで有名で、ライダーを選ぶなんて

言われ方もしてました。実際、1990年に登場した次の「NSR250R(MC21型)」は多少乗り味がマイルドになったので、本当にそうだったのかも

知れません。さて、今日はそんなボクの昔話と、ホンダ「NSR250R(MC18型)」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)



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峠で起こる事だから当然の結果だった?カワサキ・KR250。(番外編vol.3933)

2024-04-22 11:43:14 | 日記

ボク、1984年に高校を卒業し地元から京都の専門学校に通うようになった直後に、京都の教習所でやっと中型(普通)免許を取得します。

そこから念願のオートバイ(ヤマハ・RZ250R-29L型)を購入し、早々に「峠」へと向かう事になります。とは言え最初はほんの好奇心から

どんな感じなのか知りたいだけで行った(TVなどニュースでローリング族が話題になってたから…)のですが「最初の衝撃」が凄くて、それ

こそ峠が完全にサーキットの様なサウンドを放ちながら凄い勢いでガンガン走る連中を見て激しく心を揺さぶられちゃったんですよね(笑)。

正直、それまでは、ただオートバイには興味があって「乗りたい気持ち」だけだったのですが、その光景に魅了されてしまい、そこから毎日

峠に通い始めます。最初は怖くて周りのペースについていけず、恥ずかしい程ドンガメの様な状況だったのですが、そのうち登りではそこそこ

速く走れる様になり、ちょっと自信をつけた頃に知り合った峠仲間の1人に、このカワサキ「kR250」に乗ってた人がいたんですよね。彼は

その新しく持ち込んだカワサキ「KR250」で驚くほど速く走っていました。最初は彼の経歴をよく知らなかったのですが、それ以前から他の

オートバイで峠をざんざん走り込んでおり、ボクが知った頃にはそこの峠で「最速」的な存在になってたんですよね。そんな彼と親しくなって

から走りのコツや、メカのノウハウを教えてもらってるうちに、ボク自身もどんどん上達して一緒に並んで走れるまでになって行きます。そこ

から半年ほど経った頃に、突然の訃報が耳に入ります。直接見た訳でも無いし、その後に葬式に行った訳でもないので、噂しか届かなかった

のですが、聞いた話では彼が早朝にそこの峠を攻めてた時、牛乳配達のトラックと正面衝突を起こし亡くなったって聞きました。非常にショッ

キングな出来事だったのですが、正直「峠」を走ってれば「よくある話」で、彼が初めてって訳では無かったのですが、ボク個人としては仲良く

してたので結構ショックでした。それに加えて「運転が上手いからといって事故を起こさないとは限らない」って思いも芽生えました。多分

ですが「峠小僧」になって初めて自分のやってる行為が「危険だ!って意識が芽生えた瞬間だっと思い返します。まぁ、そんな事があったのです

が、今日ご紹介するこのカワサキ「KR250」ですが、詳細なスペックを見てみますと、エンジンは水冷式2ストのタンデム2気筒ロータリーリード

バルブで、正式な排気量が249cc、最高出力は45psで、最大トルクが3.7kg、車重は乾燥重量で133kgとなってて、フレームはダブルクレードル式、

トランスミッションが6速MTで、面白いのはチャンバーの1つが後方廃棄となってた所です、またホイールサイズは、フロント16インチ、リア18

インチとなっていました。さらに、このエンジンはカワサキが「WGP」の250ccクラスに参戦してた時に開発されたもので、シリンダーヘッドが

ヨコではなくタテに並んでるものでした。だから「タンデム」って呼ばれてるんですよね。その後ろ側にあるシリンダーヘッドが逆向きになってる

のでマフラー(チャンバー)が後方に向きになってるって事です。また当時珍しかった「アンチノーズダイブ機構(AVDS)」を搭載しており、

これでフロントフォークの沈み込みと、ダンピングを制御する事が可能となっていました。車体のデザインは好みの分かれるところですが、当時

としては非常に性能が高く、軽いので走り込みやすかったマシンと言えそうです。結果的には経った1年だけの生産で次の「KR250S」へと進化し、

さらに、1988年には「KR-1」へとつながっていく事になります。さて、今日はそんな昔話とカワサキ「KR250」をご紹介しましたが、いかが

だったでしょう!(笑)



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高校の同級生が乗ってた、カワサキ・Z750FX。(番外編vol.3932)

2024-04-21 00:01:38 | 日記

懐かしい思い出と共に、当時は新しかったオートバイを見ていく企画が続きますが、今日はまた同級生で同じクラスだったある友達のお話です。

で、彼はボクと似た「無類の乗り物好き」で、当時から突拍子もない事をしでかす、怖いもの知らずのタイプだったんですよね。確か高校1年生

の頃に黙って原付免許を取得し、その後、直ぐに中型(普通)免許を取得し、17歳(高校2年生)で非公認の教習所に通い「限定解除」を取得

します。実はこれ全て学校の校則違反で、当時、ボクらの学校はオートバイの免許取得は違反となってました。しかし、少し学校から離れた市外

から通ってた事もあり、彼は最後まで学校に見つからなかったんですよね。運の良いやつです(笑)。で、その「限定解除」で大型免許を取得

して購入したのがカワサキ「Z750FX」だった訳です。今思っても「高校生で大型バイクは異例」の事で、羨ましかったですし、何でもありか!

って思いもありました(笑)。で、確かボクの記憶だと1981年式の最終モデルの新古車を、翌年の1982年に購入したって聞いた記憶です。なの

で、ボディカラーはシルバーにブルーのストライプが入ったもので、初期モデルと違い、ガソリンタンクが大型化され21リットル入る仕様のもの

だった気がします。で、彼の自宅までそのオートバイを見に行った事があるのですが、そこは港が近いコンビナートが直ぐそばにある場所だった

ので、広いコンクリートの広場で少しだけ運転させてもらった事がありました。もちろん原付バイクすらほとんど乗った事がない状態だったので、

いきなり大型バイクというプレッシャーから多少ジタバタした気がするのですが、動き出すと意外に乗れて楽しかったです。まぁ、一般道とは違う

広い敷地だったので障害物が無かった事も安心して乗れた理由だったかも知れません(笑)。その後、高校を卒業した彼はホンダ技研工業に就職

し「NSX」と「ビート」の内装デザインを担当し20年ほど働いて、ホンダを退社後は、日本人で唯一、フェラーリ(エンツォ・フェラーリ)の

デザインをした「奥山清行」さんの会社に就職して現在では、コンセプトカーなどのデザインに携わっていると聞いています。いわゆる、我々の

クラスメートの中では「超エリート」ってやつです(笑)。また現在のカワサキ「Z750FX」を見てみますと中古市場での高騰率は半端ないですね!

最近では盗難車のトップ3にも入る車両で、ちなみに調べてみますと安いものでも大体450万円あたりから高いものになると1.200万円なんて価格が

付いてるものも存在しています。まぁ凄いですね!(笑)。またちょっと仕様(スペック)を見ていきますと、まずエンジンは、空冷式4スト並列

4気筒DOHC2バルブで、最高出力が67ps、最大トルクは5.6kgで、車重が乾燥重量で232kg、正式な排気量は738ccとなっており、本体フレームは

スチール製のダブルクレードル式で、ガソリンタンク容量が前期で18リットル、後期で21リットルとなっています。更にトランスミッションは

6速MTで、ホイールサイズはフロント19インチ、リア18インチ、フロントブレーキはダブルディスクに、リアもディスクブレーキとなっていました。

またカワサキの「FX」と言えば角張ったデザインと言うイメージが強いですが、最終で出た「FX-III」モデルは少し丸みを帯びたものになっています。

さて、今日はまたまたボクの思いで話と共にカワサキ「Z750FX」を見ていきましたが、いかがだったでしょう!(笑)





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高校の同級生が乗ってた、ホンダ・CBX400F。(番外編vol.3931)

2024-04-20 15:28:49 | 日記

ボクが高校の1年生の頃(1981年)、同じクラスの友達が乗ってたオートバイに、ホンダ「CBX400F」があった事を思い出します。確か登場して

直ぐに新車で購入した車両だったと記憶しています。まぁ自慢してましたからね(笑)。とにかく、彼の場合、1年の夏休みが終わって2学期から

人格が忽然と変わり「大ヤンキー」になってしまったのですが、ちょうどその頃に16歳になったからだったか?無免だったか?そこは覚えていない

のですが、学校に内緒で通学に乗って来てたんですよね。もちろん学校はオートバイでの通学は禁止でしたし、それ以前に原付免許すら取得する事

が禁止だったので、見つかれば速攻「定学」か「退学」って状況でした(笑)。まぁ、彼の場合どうも悪い兄貴がいててその影響が強かったんです

よね。時代もそうでしたが吐出した「大ヤンキー」になってしまってから、クラスの仲間がみんな無視し出して「一人ぼっち」みたいになってたの

ですが、なぜかボクだけ普通に接してて、つるむってほどじゃなかったけど、彼と一緒にいる事が多かったんですよね。そんな感じでよく学校帰り

に隠してたその「CB400F」に乗って家まで送ってもらったりしてました。また多分ですが、兄貴の仲間たちと暴走行為をしてた様で、そんな話を

よく聞いてました。で、いつ頃だったか「彼女を妊娠させてしまった…」って話を聞いた直後だったか、深夜の暴走で事故を起こし亡くなってしま

います。まだ16歳だったんですけどね。もちろん葬式にはクラス全員で行きましたが、多分兄貴やその仲間と思われる人たちも大勢いて、ぶつかった

相手のクルマの運転手を「懲らしめる」って相談をしてた会話を聞いた事を今でも良く覚えています。でも実際は友達が反対車線を意図的に走ってて、

それが原因で、ぶつかったので相手に責任はなかったんですけどね。まぁ、こんな話も、あの頃の時代だったと言えばそうですし、特殊だったと言え

ばそうだった気がします。そんな感じでボクの中で思い出にあるのが、このホンダ「CBX400F」だったりするんですよね。現在では中古市場で異常

な価格帯を誇る車両ですが、当時もそれまでの、カワサキ「Z400FX」や、ズズキ「GS400」や、ホンダの「CB400ホーク」などが人気で、暴走族

を中心に乗られていましたが、この「CBX400F」はその性能が一気に上昇した車両でもあったと考えられます。とにかく特徴はコンパクトな車両に、

ホンダ久々の4気筒エンジン。しかも空冷式ながらDOHC4バルブとなっており、純正でクロスされた集合管が搭載されていました。当時(1981年)

では、まだいわゆるレーサーレプリカとされる車両が登場する前ではありましたが、それに近い十分なポテンシャルを誇ってたと言えそうです。で、

最高出力は48psで、最大トルクが3.4kg、車重は乾燥重量で173kgとなっており、正式な排気量が399ccでした。またフレームはスチール製のダブル

クレードル式で、トランスミッションは6速MT、ホイールサイズは前後ともに18インチで、当時ホンダが開発してたインボードディスクブレーキが搭載

されていました。さらに乗り味はノーマルだと非常にスムースで乗りやすくコンパクトが故にそこそこ足つき性も良かったです。この時代の空冷式の

エンジンはデザインが美しく「CB750F」からの流れを持つ見た目は素晴らしかったです。現在他のモデルとは一線を返して別格扱いされた車両となって

いますが、それだけ現在でも人気が高いモデルであると言えそうですね!(笑)




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幼馴染の友達のお兄さんが乗ってた、スズキ・GS400 。(番外編vol.3930)

2024-04-19 11:59:22 | 日記

ボクが中学3年生なので年号で言うと1980年の頃、幼謎みで友達のお兄さんが高校2年生だった頃に、そのお兄さんが乗ってたのが、スズキ

「GS400」でした。このオートバイは後にマンガ「湘南爆走族(1982年〜1987年まで掲載)」で主人公の「江口洋介」が乗ってたバイクで

有名になる車両です(笑)。まぁ、何となく気がつく人もいるかも知れませんが、当時、高校生でこのスズキ「GS400」に乗ってたって事は、

要するにズバリ「暴走族」です(笑)。この頃って、今とは大きく違い暴走族が集団化してた時期で、ボクの住む地方でも、大きな組織として

あった「スペクター(西日本)」と言う暴走族グループがあって、そこに所属する人だったんですよね(笑)。また、自宅のシャッター付きの

ガレージには仲間のバイクも数台ほど隠してあって、毎晩そんなお兄さんの仲間が友達のウチに集まってバリバリ言わせながら出動してたのを、

幼馴染の友達とボクとで見送ってたって感じでした(笑)。とにかく見た目は怖かった(横浜銀蝿みたいな…)のですが話すと優しくて、ボク

が成人してからも、お兄さんの族車(トヨタ・クラウン S12型-7世代目)でちょこちょこ遊びに連れてもらってたりしてました(笑)。ただ、

いつ頃だったか。お兄さんが長距離トラックの運転手をしてた時に事故を起こして、今は既に亡くなっています。そんな何とも言えない思い出

のあるスズキ「GS400」だったりするのですが、そもそもの登場は1976年からで1978年まで生産されていました。その後については1979年

から「GS400E」へと進化し、1980年で一旦は生産終了となるのですが、1989年より同じ名称「GS400E」としてデザインが一新されたカタチ

で再販され1993年まで売られていました。ただこの「GS400」と言えば結果的に「初期型モデル」を思い浮かべる人が多いとおもられますが、

そのスペックを見返してみますと、まずエンジンはスズキ初の、空冷式の並列2気筒DOHC2バルブエンジンで、正式な排気量が398cc、最高出力

は37psで、最大トルクが3.3kg、車重は185kgで、フレームはスチール製のダブルクレードル式となってて、トランスミッションは6速MT、フロント

ホイールが18インチ、リアも18インチとなっていました。また、フロントブレーキはシングルディスクで、リアはドラム式となっており、ガソリン

タンク容量が14リットル、市街地での平均燃費が大体17kmから20kmと言った感じでした。とりあえず個人的な印象を言うと1つにエンジンが

2気筒ながら「カッコ良かった」印象です。個人的な好みですがデザインが良くて特にヘッドの部分の雰囲気が好きでした。で、今になって見返して

みると非常に「スタンダードなデザイン」だったなぁって事に気がつきます。その後のスズキを考えると逆に「珍しい」と思っちゃいますね(笑)。

また現在の中古市場ですが、調べてみますと大体安いもので120万円辺りから。高いものだと550万円ほどするものまであります。いやぁ、お高い

ですね(笑)。いわゆるプレミア価格となっていますが、逆に車両の「球数が比較記多い」気がします。また当時の状態の族車も多いのですが、

高額なモノはノーマルって感じです。ちょうど400ccモデルが2気筒から4気筒へと移行する流れがあった中、2気筒エンジンを搭載した車両として

は非常に当時から人気が高かった「GS400」ですが、ユーザーは旧車會の人たちに多少限定されてる感があります。さて、今日はそんな一時代を

謳歌した名車?と言えるスズキ「GS400」をボクの昔話と共に見てみましたが、いかがだったでしょう!(笑)


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