「いろは歌」の行方

公開講座の前に一時間目は、1年生から六年生まで全学級で道徳の公開授業。来年度から東京都では道徳が教科になる。指導要領に基づいた「やさしさ」などの結論へ誘導するような指導ではなく、生徒自身が考える授業が主流になるらしい。「こんな時、あなたはその人を許せるか」などが、具体的に教材に基づいて展開される。私は二時間目の公開講座の担当だけれど、一時間目の授業に合わせて学校に行って、各教室を見学して歩いた。その後の体育館での話への展開のためでもあるし、自分の勉強にもなると思ったからである。校長先生が「ご案内しましょうか」とおっしゃってくださったけれど「自由に回りますので、うっちゃっておいてください(放っておいてくださいの意)」とお断りした。そして、階段の踊り場で目を見張った(写真)。私は「いろは歌」は公立学校では扱わないと聞いていた。しかし、でっかく貼ってくれていた。「諸行は無常なり(色は匂えど散りぬるを)、是れ生滅の法なり(我が世誰ぞ常ならん)、生滅を滅し已(おえ)て(有為の奥山今日越えて)、寂滅を以て楽となす(浅き夢見じ酔いもせず)」。--形あるものは常ではない。仕方がないのだ。それが生滅という大原則だからだ。しかし、その生滅へのとらわれを離れて有為の(いろいろと気を揉むような)世界の奥にある山を越えていこうではないか。そこではもはや、浅い眠りの中で見る夢のような現実離れしたことを考えることも、酔っぱらって戯言(たわごと)を言うような心配もない精神世界。心はどこまでも静かで、煩わしさはなくなり、心がとても楽になるのだから。--「いろは歌」は仏教の教えというより、日本人の精神的文化だと改めて思った。

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